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この高校に入ってから初めて部室棟を訪れたということもあって、目的の部室を見つけるまでに随分と手間取ってしまった。
入学してから二週間。今日は入部希望期間の四日目だ。本当は五日間ある内の一日目に来るつもりでいたんだけど、いろいろと他のことが忙しくていままで先延ばしにしてしまっていたのだ。今日は教師陣が会議をするとかで短縮授業だったから時間に余裕ができたけど、もしそうでなかったなら、また先延ばしになっていた可能性も否めない。
締め切りギリギリまで行動をしないのは、直したいと思っていてもなかなか直らない悪癖だ。実際に昨夜、今日が締め切りとなっている課題を寝ないで終わらせたばかりだった。
僕は使い古しのスポーツバッグの重みを肩で感じながら、眼前の扉を観察するように注視する。どこの学校にもあるような、ノブがついているタイプのそれだ。
目的の部室だ。間違いない。人気のない廊下の静けさが、重々しい空気を醸し出している。
ごくりと唾を飲み込んで、次なる行動を取ろうとした……その瞬間だった。
――唐突に、視界が黒に染まった。
「は? え? ……は!? ちょ、だ、誰――ふぐっ!」
いきなりの事態に困惑していると、次には口に異物感。数瞬おいて布だと気付く。タオルかなにかで猿ぐつわを噛まされたらしく、声がしっかりした言葉にならない。感触から察するに、目にも同じく布が被せられているようだった。
「む……ぐぅっ」
どうしてこんな物が? なんてことを考えるよりも先に身体が動いた。
背後にいる謎の相手を振りほどこうと、必死に腕を振り回す。その拍子に目隠しがずり落ちかけたものの、十分な視界を確保するには至らなかった。相手の正体は掴めない。
「くっそ、この……暴れんな、……っ抑えろ!」
「わかりましたっ!」
相手方も僕がいきなり抵抗するものとは思っていなかったらしく、どこか慌てたような声を上げながら腕を押さえにかかってきた。聞こえてきた声は二人分、……複数犯? どういうことだ? 不安と混乱は加速して、頭の中はパニック寸前だ。僕を拘束しようとする相手の力は予想外に強かったけど、どうにか抜け出そうとしてもがき続ける。
「って、わ!? ……ちょ、ちょっと」
そこで、唐突に。
「――うひぇあっ!?」
むに、と。なんだか柔らかい感触の物が、手に当たった。
「……へ?」
「……」
僕も相手も、沈黙した。
冷静に考える頭があれば、先方がどうして固まったのかは想像に難くなかったかもしれない。だが、僕にはなにが起こったのか理解するほどの余裕は残っていなかった。
「……な、なな、な……わ……」
いや、その余裕を取り除かれたという方が正しいか。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「おぐうぁぁぁぁぁぁぁぁ――!?」
なんの予告も警告もなしに、思いっきり腕をひねり上げられたのだ。ギリギリとボロ雑巾のようにねじられて、水の代わりとばかりに額から脂汗がにじみ出る。
激痛に硬直したところで、細い紐らしき物で両手首をぐるぐる巻きにされる。そのまま肩を突かれ、僕はなす術なく床に倒れ込んだ。膝と肩へ伝わる鈍痛に思わず顔をしかめる。この体勢はまずいと思って立ち上がろうとするんだけど、完全に起きあがる前に足払いをかけられてまた転ばされてしまった。正直すごく痛い。布に遮られてなにも見えないからどうとも言えないけど、端から見たら僕は間抜けに見えたんじゃないだろうか。
「……せぃッ!」
「ぐふぅッ!?」
――なんてゆっくりと考えている暇もなく、今度は腹部に衝撃が来た。
「ぐっ! がっ!? ……うふぅッ!?」
「記憶を消せなにも思い出すないっそ死ねいますぐ死ねぇぇぇぇぇ!」
向こうずね、肩、もう一度、腹部、さらに腹部、とどめに腹部。身体中が連続して鈍い痛みに襲われる。容赦のない追撃によって肺腑から空気が絞り出されていく。間断なく腹部に来る衝撃に、息を吸うことができない。痛いのもそうだけどなにより苦しかった。
「……おい、ちょっとやりすぎなんじゃねぇの、これ?」
と、僕に対する殺意をむき出しにしている人物とは別の声が近くから聞こえてきた。それに併せて攻撃も止む。
「はーっ、はーっ。……ちょっと先輩は黙ってて下さい、ちょっとこの変態殺しますから」
あまりに自分勝手で理不尽すぎる言いぐさだった。理由もわからずに殺される方はたまったもんじゃないと思う。あと僕は変態じゃない。
「いや、でもよ、ちょっとシャレになってねぇんだけど。気持ちはわかるけど落ち着け」
「落ち着け!? 落ち着けですか? なんですかそれアメリカンジョークですか? 笑えませんよホントもうこんな、まさかあんな、うわあぁぁぁぁもう!」
「人格変わってんぞお前……悶絶すんのはいいけどよ、さっさと動いた方がいいぜ? 時間もねぇし。コイツのこと提案したのはお前だろ? 発案者の責務ってやつを果たさねぇとな」
「……むー、わかりました、動きましょう」
「にしても、こんなに蹴っちまって……大丈夫かな、こいつ」
あ、やっぱこれ蹴られてたんだ、と気付いたころには、もう僕の両手両足は持ち上げられていた。空に浮いた身体を抵抗のために動かす気力もなく、軽い虚脱感を伴った揺れにただ身を任せているうちに、妙に心地よい眠気が襲ってきて、不覚にも僕は意識を失ってしまった。
目が覚めたら、そこは真っ暗だった。
というのはもちろん比喩であって、実際には布越しに微かな明るさが伝わってきている。でも、なにも見えないという点で言えば、やっぱり真っ暗な状態と変わらない。
「う……ぐ……?」
全身に走った痛みに、呻吟する。
――なんだ? どうして身体が痛むんだ?
意識はぼやけていたが、記憶の糸を手繰っているうちに、段々と覚醒へ向かってゆく。ものの数秒もしないうちに、僕は先ほどの出来事を思い出した。
部室棟で、何者かに襲われたのだ。
僕は襲撃を受けた際、謎の人物から蹴打を加えられて、その後、あろうことか眠ってしまった。この疼くような鈍痛はおそらくそれの残滓だろう。時間はそう経っていないはずだ。
そこまで思索がたどり着くと、急にいまの状況が気になってきた。目隠しのせいで視覚情報は得られないが、おおよそのことはどうとでも推測できる。
右半身に硬い床の感触があることから、転がされているのだというのはわかる。おそらくは屋内だ。猿ぐつわが掛かっているのと、後ろ手に縛られているのは記憶と同じだったが、それに加えていまは足首までもが縄かなにかで固定されていて、まるで動くことができなかった。
どうにかして抜け出すことができないだろうか。そう考えてもぞもぞ身体を動かしていると、
「お、気付いたっぽいぞコイツ」
上方から、誰かの声が聞こえてきた。当然ながら聞き覚えはない。
「大丈夫か? お前ずっと気ぃ失ってたんだぜ? ……まあ、こっちの手違いなんだけどよ」
独特のイントネーションと、特徴的な声質。女性にしては少々ハスキーに過ぎるような気もするが、かといって男性のそれであるかと問われれば首をかしげたくなる高さだ。聞きようによっては変声期の男子にもそういう女声にもとれるような、微妙なライン。
「いや、それにしても災難だったな、どっかの誰かさん? ……ありゃあ、ジョークにしちゃちょっとばかしやり過ぎだ」
ただ、口調が男性のそれに近かったため、おそらく男性だろうと仮定する。
記憶を探ってみたものの、しかし該当する人物を思い出すことはできなかった。推定が当たっていようといまいと、特徴的な声質であることに変わりはないから、面識のある相手だったら少なからず記憶に残っているかと思ったんだけど。
となると、こいつは僕の知らない人間だということになる。……なら、目的はなんだ?
いま一度僕がこんな状態になった経緯を思い返して、ぞっとしない想像が頭に浮かんだ。
もしかすると、これから僕はとんでもない目に遭わされるんじゃないだろうか。
「むぐ、……もぐー!」
どうにか逃げようとして腕や足に力を入れる。びくともしない。
「おいおい、落ち着けよ、ちょっと拉致って来ただけじゃねぇか」
落ち着けるか馬鹿。
そう言い返してやろうと思ったんだけど、残念ながら相手には伝わらなかったらしい。布を噛まされてるから、当然と言えば当然だ。
「ん? ……こっちはお前がなに言ってるんだかわからねぇからさ。まずはこっちの話を聞いた方がいいと思うぜ、ジョー?」
ふざけるな誰がジョーだ。勧告を無視して、なおも逃げだそうとのたうつ。
「無駄だって、……別に取って食おうってんじゃねぇよ。悪いようにはしねぇから、ちょっとだけおとなしくしろ? な?」
完全に悪役の台詞だった。
『悪いようにはしない』なんて言った人間が、有言実行をした試しはない。テロリストに強盗、果ては政治家。少なくとも僕がいままで見てきた映画や小説(含ノンフィクション)では、その約束は破られるために存在しているようなものだった。
下手したら殺されるよこれやばいよやばいよ、なんていうしょうもない領域まで思考の暴走が達したあたりで、背後からため息が聞こえてきた。
「玉屋、説得や交渉をする上で、それは最悪の言葉じゃないか?」
低めの、しかしよく通る声だった。さっきのテロリスト(仮称)とは違って、こちらは明らかに女性のものだ。
「えー、でもよ、せっかくだからこれくらいやりたくなんねぇ?」
「……なにが『せっかく』なんだ?」
「いや、一回でいいから最っ高に悪役じみた台詞とか言ってみたくてなー。ちょっと憧れてたんだよこういうの」
その答えに辟易したように、また一つ嘆息が聞こえる。
「君の願望はこの際どうでもいい。……ともかく拘束を解いてやれ、彼もそのままでは苦しいだろう」
「んー、もうちょっと楽しみたかったなぁ。……仕方ねぇか、了解だ御大将」
テロリスト(玉屋)が残念そうに言った。少しの間があって、後頭部で布の結び目がほどかれた。口が自由になり、息苦しさが解消される。
質問をしようと試みたけど、軽く咳き込んでしまったせいでそれも敵わなかった。
「おっと、大声は出すなよ。もしそんなことしたらどうなるか……わかってるな?」
そうしている間に、忠告が耳に届く。同時、首筋に冷たい物が当たった。首に伝わるそれの感触は硬質で、ひどく金属じみていた。……金属?
「さて、いまここにいる人間は、みーんなお前の生殺与奪を握ってるってわけだ。一応言っておくが、人数は三人。お前が逃げようとしても、多分それは無駄になるぜ」
――え? なにコレ、ナイフ? 本物? なんだよそれちょっと意味わからないんだけど頭おかしいんじゃない? え? ここ法治国家ですよね?
「おい、玉屋……」
先刻のリーダーとやらが非難じみた声を上げたが、それを意にも介さぬ様子で、テロリスト(悪役)は続けた。
「Pikes Peak or bust(でかいことやるか、破産するか)……だな。試してみるのもいいが、そしたらお前の待遇はいまより悪くなるだろうな? そうなったら最悪だ。目も当てられねぇ」
ひたひた、と『ナイフと思しきなにか』で軽く首が叩かれる。
「ただ、いまからこっちが出す要求を飲むってんなら、話は別だ。VIPとしての扱いがお前を待ってる」
どうする? といたずらっぽく問いかけてくるが、しかしその話は、ちっとも僕の頭に浸透することはなかった。そんな余裕がないくらいに、僕は混乱していたのだ。
なんなんだこの人、どうして笑ってられるんだ。他人をいじめて楽しむタイプの人間なんだろうか。言っておくが僕はあくまでノーマルであって、そういう趣味は持ち合わせちゃいない。
「三十秒やるから決めろ。ここでどんな選択をするかによって、お前の未来が決まるってわけだ。いわゆる分岐点ってやつ、……わかるな?」
それを聞いて、僕は内心で相手を嘲った。――僕も見くびられたものだ。三文芝居もいい加減にしろ、馬鹿にするな。白々しい。
制限時間の終わりを待つまでもなく、僕の答えは決まり切っている。
「殺さないで下さい殺さないで下さい僕なんでもしますから助けて下さいッ!」
すごく気弱な台詞が一息で飛び出していった。
本当に、馬鹿にしないでもらいたい。ここで降伏以外の選択肢があるわけがないのだから。自分が置かれている状況さえわからないのに相手に刃向かうなんて、無謀でしかない。先ほどの会話から判断すればこれが単なる悪ノリであるという色は濃厚だったけど、本当に命が脅かされている可能性も捨てきれないのだ。少しでも危険があるのなら抵抗に意味はない。
「ほんと、もう、勘弁して下さいよぉ……うぐ、なんでも、しますから……」
適度に嗚咽を混じらせつつ、うわごとのようにつぶやき続ける。
ここまで自分をみじめに見せれば相手の同情を誘うことは必死だ。少なくとも殺されはしないだろう。もしも僕を拘束している人間が冷徹で残虐非道な奴だったとしたら僕はここで死ぬことになるわけだけど、一応僕は人の良心という物を信じている。
「はっ、そうかよ。あくまで反抗するってなら、こっちにも考えが……って、え? は? ど、どうしたお前? 大丈夫か? 腹でも痛いのか? おい大丈夫か?」
テロリスト(意外にいい人)にとってこれは予期せぬ返答だったらしく、慌てた様子で矢継ぎ早に質問を投げてきた。
かかった、これはいける。そう確信した僕は、さらに自分を情けなく見せる演技をする。あくまで演技だ。決して本心からの行動じゃない。本当だ。……本当だ。
「ごめんなさいごめんなさい殺さないで下さいホントなんでもしますから勘弁して下さい……」
意図せず涙やら鼻水やらがあふれ出してきたけどこれはあくまで演技だ。嘘じゃない。
「ちょ、ちょっと待て! すまん悪かった! ヤバいどうしようナギ、助けてくれ!」
やはり相手も人間である以上、罪悪感という概念はかろうじて保有しているらしい。焦燥の色を声に含ませながら、ナギなる人物に助けを求めた。
「だから、いたずらに恐怖心を煽るなと言っただろう。玉屋」
テロリスト(もしかしたら違うのかもしれない)を諫めていた人の声が耳に入る。いままでの会話を顧みるに、どうやら彼女がここのトップらしかった。
「ただでさえ彼は右も左もわからない状況に追い込まれているんだぞ? どう接触するべきか、それくらいは誰にだって考えられそうなものだが……はぁ」
また一つ彼女は嘆息した。変人を相手にするというのは疲れるものだ。かくいう僕にも嫌というほど覚えがある。
「まあいい。君は少し静かにしていてくれ。話がややこしくなる。――日浦、彼の縄を解いてやれ。交渉は君に任せた」
「あー、はい、了解です。……なんかすみません白崎先輩。こいつ、ちょっと変な方向に妄想力たくましい馬鹿なんです」
――と、さりげなく僕を罵る文句が耳に届いた。それも、やけに聞き覚えのある。
「……」
「あ、黙った。よっと」
足音が近寄ってくる。しゃがみ込んだのか、衣擦れが背後すぐ近くで響いた。手指と思しき細くて冷たい物が、僕の手首に触れた。
猛烈に嫌な予感がする。
なにかの間違いがない限り、いま、僕の緊縛を解こうとしている人物は知り合いだ。
「……なぁ、真乃」
おそるおそる、その名前を呼ぶ。
「んー? なにかな、陸斗?」
案の定、返答があった。
「あのさ。……なにしてんの?」
「え? 縄、解いてるんだけど?」
そこじゃねぇよ。
「いや、……なんで真乃がここにいるわけ?」
「やけに難しいこと聞くね陸斗。哲学に目覚めちゃったの? 青春フィロソフィー?」
「別に僕はそういう意味で質問をしたわけじゃないんだけど、そこんところわかってくれないかな? ……もう一回訊くけどさ、どうして、僕のことを、捕まえたわけ?」
ゆっくりと、いつもよりも区切る部分を多くして、大きめの声量でもって尋ねる。
僕の質問をいっそすがすがしいまでに無視して、彼女は静かに独りごちた。
「うわすっごいきっつく縛ってあるねーこれ。わたしでも解けるかどうかわかんないや、結んだのわたしだけど。このままだと腕が腐って落ちるよ」
「朗らかに怖いこと言うな! ほどけないなら切れよ!」
「腕を?」
「縄を!」
どうしてこうもこの子は的が外れた発言をするんだろう。いや、さすがにわざとやってることはわかるんだけど、それにしたってもう少しマシなことは言えないものだろうか。
「んー、切るもの切るもの……玉屋先輩、そのペーパーナイフちょっと貸してくれません?」
「おう。ほらよ」
真乃の気配が遠ざかり、またすぐに戻ってくる。数秒後、僕の両腕は戒めから解放された。はらりと紐だか縄だかが落ちたのを契機に、腕が軽くなる。
「ちなみにこれ、さっき陸斗の首に当たってたやつね。……どうみても冗談なのにあんなに泣くとかさ、やっぱり馬鹿なの? ちょっと現実的な想像力が足りないんじゃないかな陸斗は」
「……ペーパーナイフでだって人は死ぬんだぞ」
想像力が足りないのはそっちだろ、冗談だってことくらい僕にだって理解できる。と反駁したらどうなるか『想像力豊か』な僕は容易に予想できたので、それ以上の句を重ねることはせずに、手首のあたりをさする。血流が止められていたのと動かすことができなかったのが相まって、少々こわばっていた。
床に手をついて上体を起こし、自分で目隠しを取り去る。光量が急に増えたせいで少しだけ目の奥が痛んだけど、すぐにそれもなくなった。どうやらこの部屋はカーテンを閉め切っているらしく、僕がつい先ほど――どれくらい経っているかわからないから、主観だけど――いた廊下に比べれば随分と薄暗かった。
目が慣れるにつれて、徐々に周囲の様相が明らかになっていく。しかし、僕が周辺の状況を把握するよりも先に、
「や、おはよ」
ひょこり、という擬音でもついてきそうな軽快さで、真乃が顔を視線上に差し挟んできた。横髪だけが長い妙な髪型も、どこか挑発的な笑みも、ぴたりと僕の記憶に合致する。頭を傾けているせいで視界の妨げになっている、やたらと長い横髪を手で払いつつ、彼女は続けた。
「こうやって話すのはけっこう久しぶりだよね、ご機嫌いかが?」
にやにやと楽しげな微笑をたたえた真乃に近距離から見つめられて、正直少しどきりとした。
アイドルのような華やかさこそないものの、顔立ちは整っている。意志を感じさせる大きな瞳は、ともすれば他の部分との不協和を起こしかねなかったが、しかしそんなことはなく、むしろ彼女の個性的な魅力を引き立たせていた。
「……あのさ、なんか反応して欲しいんだけど」
真乃が怪訝そうに眉をひそめた。思わず黙り込んでしまっていたらしく、虚を突かれた僕は硬直をごまかすように肩をすくめて答える。
「え、あ、いや……ご機嫌は最悪だね」
「そう、よかった」
「最低だなお前!?」
一瞬でもこいつにときめいた自分が信じられなくなった。
そんな僕の反応を楽しむようにへらりと笑って、真乃は話を切り出す。
「まあ、それはさておくとしてー。陸斗……さっき自分が言ったこと、覚えてる?」
「は? え? ……言った、こと?」
「あー、やっぱり覚えてないか。陸斗って、昔っから自分が興味ないことに関しては徹底的に覚えが悪いからねぇ。幼馴染みちっくなわたしのことを覚えてたってことは、わたしには興味がある、って、こと……あれもしかして変態?」
「お前の思考回路は少しおかしいと思う」
彼女、日浦真乃と僕とは旧来の友人だ。幼稚園から小中高と、いまのいままで同じ進路を辿ってきた。家はそこそこな近所同士に位置しているし家族同士の仲もいい。こうして彼女との接点を列挙してみれば、なるほど幼馴染みと形容するにふさわしいのかもしれなかった。
「ひどいなぁ。……話戻すけど、これ、なんだかわかる?」
言いながら、彼女は制服のポケットをまさぐってなにかを取り出した。小さな長方形の物体だ。いくつかの小さなボタンがついている小型電子機器。
話は戻るどころか迷走してたけど、それに文句を付けても進展がないのはわかりきっている。
「……ボイスレコーダー、か?」
「正解」
ふふん、と真乃はなぜか得意げな表情を作って、レコーダーの再生ボタンを押す。スピーカーから雑音が発せられたが、それも一瞬のことで、すぐに鮮明な音声が出力され始めた。
『――で……い……さないで下さい僕なんでもしますから助けて下さいッ!』
「……これ」
身に覚えしかない音声を聞いて、僕は真乃の方を見る。
「うん。さっき言ったよね? 『なんでもする』ってさ」
そこにある彼女の顔は、本当に愉快そうな雰囲気を纏っていた。