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ねこじたトリニティ  作者: ニャンコ先生
第2×2章 猫耳シンクロニシティー
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第36話 イタズラ○ 後編

 とりあえず『追いかける』という部分は着目に値する。俺はひとまずここを重点的に考えてみることにした。


 ふむふむ、追いかけられた方もたいへんだったろう。

 もしそれが俺だったら、付かず離れずの距離を保って、その楽しい時間が長引くように精一杯努力したに違いない。トラネコさんに追いかけられるのは、是非一度体験してみたい。

 でもトラネコさんの話だと本気で腹を立ていてたみたいだ。俺としてはもう少しソフトな感じでお願いしたい。軽いイタズラでからかわれた時くらいのお怒りが望ましい。今トラネコさんのノートを取って逃げ出したら、それを堪能できるだろうか。いやいやそれだとひょっとしたら逆鱗に触れるかもしれない。どのくらいが良いのか加減が分からない。

 そんなことを考えていると、トラネコさんの瞳が厳しく咎めるように輝いた気がした。俺は少しばかり恐怖し、その場をごまかすためにもうんうんとうなずいて話を促す。

「…………まあいいわ。それで後で冷静になって考えてみたの。それで気が付いたのよ。そんな事に怒ってなんかいないと自分を誤魔化していただけで、本当は全然許していなかったんだって。無理して感情を抑圧していただけなの。そういうふうになりたいなって夢想してただけで、決してそうなれたわけじゃなかったのよね。ああ、これが理想と現実のギャップなのかなって思ったわ。でもそこに気付いても、どうやったらその理想の自分に近づけるのかは分からなかったのよね」

 理想ですか。俺としては五分くらい追い掛け回されて、捕まった後にお仕置きタイムが控えているのを希望します。そのお仕置きタイム中なぜか監視の目がゆるくなり。脱走に成功するがまたすぐ捕まる。そういうループが二、三回繰り返されるのが理想ですね。そして捕まるたびにだんだんとお仕置きが厳しくなっていって、最後には『おとなしくしていないクロネコくんが悪いんだからね』とか言われて無理矢理パンナコッタ……。

 などと不適切なことを考えていると、現実のトラネコさんが「聞いてる?」とでも言いたげに首をかしげる。俺は「聞いているよ」と目で語って取り繕う。くっこれが理想と現実のギャップっていうやつか。

「………………なんだか釈然としないけど、まあいいわ。覚えているかしら、この前チビ子がクロネコくんにいろいろ嫌がらせしてたでしょう? いろいろ文句言ったり八つ当たりしたり、敵意むき出しで散々色々やった上に、モンスターをなすりつけたりしてたよね」

 そういえばそんなこともあったな。俺は軽くうなずいてみせる。うんうん、チビ子すなわちシロネコ先生との追いかけっこも楽しそうだ。しかしゲームの中から良いのだが、現実世界では俺が本気で逃げると引き離しすぎてしまうな。頑張って追いかければ捕まえられるという希望を持たせないとあきらめてやめてしまうかもしれない。これは何らかのハンディキャップが必要だろう。それもその悪条件を背負わなければならないという必然性が重要だ。下手に手を抜いているとばれれば元も子もない。ふむ、これは思ったよりも難しい課題である。真摯に検討せねばなるまい。

 トラネコさんはいぶかしげに俺を見る。いやいや、話はちゃんと聞いていますよ。聞いているからこそ、こうしていろいろ考えているわけです。

「……………………その時クロネコくんはどうするのかなあって思って見てたのよね。さすがにあそこまでされたら、わたしだったら憤慨して怒鳴り付けちゃうかなって思っていたの。クロネコくんが腹を立てても、それもしょうがないよねって。それが普通の反応だよねって。でも違った。わたしのように気に留めない振りをしたんじゃなくて、本当に怒ってないんだなっていうのが分かったの。それにわたしがクロネコくんだったら、あそこまで露骨に嫌いっていう態度を示した相手と、友達になって遊んだりなんてできないと思う。その時思ったのよね、クロネコくんてすごいなって。わたしもクロネコくんみたいになりたいなって」

 トラネコさんはそこまで言うと、やおら席を立ち無言で俺の隣に座るとにっこりと微笑んだ。そして右手を俺の頬にそっと当てて艶かしく俺をみつめた。俺はごくりと生唾をのむ。

 長い話だったが、終着点が見えてきた。俺のことを少し買いかぶりすぎている気がするが、ここでそれを否定するのは不粋な気がした。トラネコさんの夢を壊さないために、その思い描くような人物になるよう努力した方が建設的だ。それにしてもこれはひょっとして……。

 俺とトラネコさんの目と目が合い、心臓の鼓動は高まる。こんなときどんな表情をすればいいのか分からない。今俺がどんな表情をしているのかも分からない。

 やがて委員長はその右手をゆっくりと動かしながら、再び語り始めた。俺は否応なくその声に集中させられる。今までのように他所事を考えてなんかいられない。

「これは今だから言えることだけど、もしあのときクロネコくんが怒ったのなら、わたしそのままゲームを止めちゃっていたかもしれない。うん、クロネコくんには悪いけれど、多分そうしたと思う。これは話したと思うけれど、わたしは前にも同じようなゲームをやっていたのよね。いろいろあってそっちは引退しちゃったけどね。それで、この新しいゲームなら何か別のことが起きるんじゃないかなって期待していたの。だけど、いざ始めてみたら見知った顔に囲まれていたのよね。だからそんな期待よりも、同じことの繰り返しになりそうっていう予感の方が大きかったの」

 残念ながら俺の期待していた展開にはならなかったものの、依然として魅惑的な状況は続いている。トラネコさんは右手だけでなく左手も俺の頬に添えてきた。ゲームの中ながら、呼吸のタイミングにさえ気を使っている俺がそこにいた。

 そうやって俺が過度に緊張しているのをほぐすように、トラネコさんはくすりと笑って言った。

「クロネコくん、わたしの話聞いててくれた?」

「は、はい、聞いておりました」

「じゃあ分かるわね。わたしまた些細なことが許せなくなっちゃったみたいなの。でも今回はどういうわけか、その怒っている理由がさっぱりわからないのよね。クロネコくん、心当たりはあるかしら」

 俺が首を振ると、トラネコさんは両手で俺の頬をつねり上げる。

「いたたたたたたた! ごめんなさい! 分かりません!」

「あら、なんで謝るの? 謝らなきゃいけないのはわたしの方よ。話を戻すけど、勝手にあんなこと言っちゃってごめんなさいね」

 どういうわけかご立腹らしいが、その原因には思い当たるところがなくはない。まずは本命のところから詫びを入れてみよう。

「あの……、ちゃんと話を聞いてなくてごめんなさい」

「えっ、クロネコくん聞いてくれていなかったの!? 信じてたのに!」

 聞いていましたとも、追いかけっこの話ですよね。トラネコさん知っていますか。追いかけっこや隠れんぼっていうのは、遊びの原典とも言えるものなんですよ。由緒正しい遊びなんです。その上人間だけじゃなく、猫だってやるんです。うちの黒猫も喜々としてやりますよ。つまり健全なんです。だから今度シロネコ先生もまじえて一緒にやってみませんか。

 よし、はっきりそう説明してやろう。今日の俺は強気だぞ。暴力には屈しないぞ。

 ────────頬をつねるその両手に力がこもる。

「痛いです! ごめんなさい! いやいや聞いていました、聞いてました。ただほんの少し不適当な想像を逞しくしちゃっただけです」

 これはおかしい。当初の予定では俺がお仕置きをするはずだったのに、なぜ立場が逆になっているのだ。微妙に嬉しいから良いのだが、早急に事態を改善せねばなるまい。

「いいのよ。そんなのいつものことだから怒ってなんかいないわよ」

 残念ながら、話を真面目に聞いていなかったことで怒っていたのではないらしい。トラネコさんの機嫌がよろしくないのは別の理由からのようだ。

 それよりも、『いつものことだから』って何ですか。俺は普段そんなこと考えてなんかいませんよ。年に一度あるかないかです。それがたまたま先ほどだっただけです。そう弁解しようとしたが、なぜかそれを察したようにトラネコさんが口元だけでにっこりと微笑む。俺はそれに気圧されて思ってもいないことを口走る。

「いや……、その……、いいです。変なことばかり考えていてごめんなさい」

「そんなことはどうでもいいの。それよりクロネコくんに迷惑がかからないように、明日みんなの前で訂正するわね。だからって許してくれるわけないわよね。本当にごめんなさい。…………ちなみに今のは大ヒントだからね」

 だからどうして謝りながらお仕置きするんですか。それに大ヒントって何ですか。怒っている理由は自分じゃ分からないとか言っておきながら、しっかり把握してるじゃないですか。何なんですか、まったくもう。

 しかしそのヒントとやらがきっかけで、なんとなく原因究明の糸口がつかめた。カギとなるのは『みんなの前で訂正する』のところだ。

 そこまでヒントをもらえれば、鈍感な俺でもさすがに気が付く。

 結論から言えば、『クロネコくんはどう思ったかしら』の質問に『このまま本当に付き合っちゃおうか』くらいのセリフを言わなかったことで、不興をこうむったのだろう。

 なんだそうか、つまり俺から好きと言ってほしいのか。まだお互いのことも良く知らないのだし正直なところまだ早い気もするのだが、トラネコさんがそう望むなら仕方ない。

 そう思ってニヤニヤしていると、トラネコさんはそれに気が付いたようだ。頬をつまんでいた両手が離れる。

「クロネコくん、ひょっとして何か分かったのかな?」

「はい、もうばっちりです」

「そう、じゃあ期待しないで聞いてみるから言ってみて」

「えーと、とりあえずみんなの前で訂正とかそういうことはしなくていいんじゃないかな」

「ふーん」

 トラネコさんはそうつぶやくと、俺の両肩を押し込むように手をあてて立ち上がり、にこにこと笑いながら俺を見下ろす。

 あれれ? 俺何か間違えたのかな。なんだか一気に告白するような雰囲気じゃなくなったぞ。気のせいだろうか、威嚇されているようだ。おかしいな。俺の予定では『訂正は不要だ』『あらどうして?』『本当に付き合っちゃえばいい』でハッピーエンドのはずだったのに。

 俺が戸惑っていると、トラネコさんは「続けて」とつぶやいた。それは命令か、あるいは強制なのか。

 どうしよう、このまま続けるべきか。俺の生存本能がやめろと警告する。理性もやめろと言う。多数決により予定を変更せざるを得ない。だが一度口から出した言葉を訂正するのは難しい。そこからうまく軌道修正し、どうにかしてトラネコさんのご機嫌を取らなくてはいけない。お気に入りのおもちゃで遊ぶ猫のように、俺の脳細胞がフル回転しはじめる。

 しばしの沈黙の後、俺はおそるおそる弁解を開始した。

「えーとですね、ここは一つ貸しということにしておきませんか」

「あらあら、ごめんなさい、わたし話がさっぱり分からないわ」

「つまりですね、みんなの前で宣言したことは、とりあえず棚上げしておきましょうということです」

「よく分からないけど、それってつまり、わたしがトラネコくんに一つ借りができるってことかしら」

「いえいえ、逆です、その反対です。俺が借りるってことです」

「どうしてそうなるの?」

「いえ、その、トラネコさんが俺に気を使ってしてくれたことだし、現にそれでピンチをまぬかれたわけだし」

「ふーん、本当にそれでいいの?」

「はい、ぜひ、そうさせてください。お話したかったのはそのことなのです。このことは今後の宿題にさせてください!」

「まあクロネコくんがそう言うならそれでもいいけれど」

 どうやらトラネコさんは少しだけ機嫌をなおしたようだ。

 肩を掴んでいた手を離し椅子に座りなおすと、またにこにこと俺に話しかけてくる。

「でも、本当にいいの? 訂正しないとクロネコくんに迷惑じゃない?」

 俺に迷惑だって? それには聞き覚えがあるぞ。

 どうやらトラネコさんが出したヒントは『俺が迷惑じゃないか』という部分だったらしい。改めてそれを教えてくれたということか。トラネコさんはやさしいな。

 そしてそれに気が付いた瞬間、俺は理解した。パズルの最後のピースがはまったのだ。

 つまり、そのことを口実にして高飛車な態度を取っていた俺が悪かったのだ。友達というのは対等であるべきだ。『迷惑はお互い様だ』とトラネコさんは言っていたじゃないか。

 よしそうと分かれば迷惑じゃないと全力で否定しよう。トラネコさんの行為を肯定しよう。

「迷惑だなんてことはありません。むしろ光栄の至りです。それにあの場で訂正しなかった俺も共犯みたいなものです」

 沈黙は是。これを認めてしまえばアドバンテージがなくなるのだが、ここはそう言うしかない。そしてそれを言葉にすると、今まで俺が思い上がった態度を取ってきたというのが改めてよく分かった。トラネコさんが怒るのも無理はない、反省しよう。

「そうかしら、その場の雰囲気に流されちゃったんじゃないの?」

「違います。あれがあの場ではベストなやり方だと、そう判断いたしました」

 これでトラネコさんのお怒りは静まるはずだ。長かった戦いは終わった。

 嵐は収まった。天を覆っていた雲が切れ、その隙間から暖かな日の光が差し込む。

 物事をやりとげた後のような充実感で満たされる。


 そんな穏やかな雰囲気の中、トラネコさんがもじもじと恥ずかしそうにつぶやく。

「えーとね、これは言いたくなかったんだけどね」

 うんうん、なんでも言ってください。

「クロネコくんて好きな人いるんでしょう?」

「ん?」

 あれ、そこに戻るのか。でもその質問に答えるには少し勇気がいるな。

 俺がどう返事をするか迷っていると、どういうわけかトラネコさんはじわりじわりと先ほどまでとは比べ物にならないどす黒いオーラを漂わせ始めた。

 好きな人? えーと、トラネコさんのこと、かな? でもそれをささやけるような甘いムードじゃないですよね。

「城鐘さんと一緒に仲良く恋人同士みたいに歩いてたもんね。クロネコくんのあんなデレデレした顔初めて見ちゃった。あ、ひょっとして城鐘さんじゃなくてその後ろで歩いてた子たちが本命かしら。いずれにせよ詳しく話を聞かせて欲しいなー」

「にゃ、にゃあ……」

 俺は言葉にならないうめき声をもらして後ずさる。ゆっくりとトラネコさんが立ち上がる。


 その後俺が待ち望んでいた追いかけっこが繰り広げられたわけだが、それがそんなに良いものではないと学ぶのにそう長い時間はかからなかった。




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