第20話 虎猫
魔法陣の中に入ると、突然背後の空間が閉ざされたような気がした。手を伸ばしてみると見えない壁のようなものがそこにあった。もう逃げられないということらしい。
俺たちが近づくと、赤い獣は二本の足でおもむろに立ち上がり、ゆっくりと歩み寄ってきた。一歩ごとに大地は震え、そしてその全身を覆う鎖がこすれあう音は、得体の知れぬ力強さを予見させるものだった。
まずは委員長の矢が尽きるまで、防御主体で戦う作戦だ。撃ち終わった後は委員長が回復に専念し、俺と先生とでやれるところまで戦うのみである。
シロネコ先生は敵の背後に回りこみ、注意を分散させている。
「腕がやたら長いわね。間合いは広そうよ。油断しないで」
その瞬間、大きく振り回された丸太のような腕の一撃が、俺の体をかすめていった。思いもよらぬ距離からの攻撃だ。アドレナリンが分泌されたのだろうか、心臓の鼓動音が聞いたこともないような速さで聞こえてくる。あれはやばそうな攻撃だった。不用意に間合いを詰めていた俺は距離を取り直した。その攻撃で俺は気が動転してしまっていたらしい。
「怖気づいてないで前に出るの! 今の攻撃も良く見ていれば前兆がわかるの!」
先生はそんなことを言うが、前兆が分かったからと言ってどうしろというのだ。対処の仕方がわからない。それでも、委員長のために前に出るしかない。
間合いはやけに広い。しかし張り巡らされた鎖の重さゆえか、その歩みが遅いのが救いだ。
「逃げて!」
その声に従い後ろに下がると、俺のいた空間をまた先ほどの攻撃が通り過ぎた。なるほど、きちんと予兆とやらを見逃さなければ、対応はできるらしい。
「相手の動きをもっとよく観察するの!」
そう言われ、少しばかり冷静になった俺は、獣のパターンを見極めることにした。確かに攻撃前の兆しは存在する。しかし、それに反応して動けというのはどうにも難しすぎる。早すぎるのだ。
「前に出て。チビ子ちゃんの負担が大きすぎるわ」
弓を撃ちながら委員長がつぶやく。いくら先生とはいえ、完全に防ぎきれているわけではないらしい。少しばかり先生の動きが鈍ってきたようだ。そうすると体力は三割程度か。俺もどこまでやれるか分からないが交代だ。
俺は獣の背後から、力まかせの一撃を叩き込む。全力の攻撃でもほとんど体力を奪えない。敵は振り向きざま、裏拳のような攻撃をしかけてきた。それを身をかがめてかわし、数歩だけ、ギリギリの位置まで下がる。敵は的を俺に切り替えたようで、またゆっくりと歩み寄ってくる。その隙に委員長がちびっ子先生の回復をする。魔法を使っても瞬時に回復はしないから、ある程度時間を稼がなくてはならない。
獣は両手を頭の上に振りかぶった。あれは分かる。そのまま両手を叩きおろしてくる攻撃だ。かわせた。しかし続けざまにきた横殴りの攻撃をかわしきることができず、盾で防ぐ。体力の三割近くが一気にもっていかれた。
だんだんと動きが見えてきた。大丈夫だ、落ち着いてやれば俺でも少しは役に立てている。
「敵の体力はどのくらい?」
「やっと半分ってところかな」
「サポートにまわるわ。後はお願いよ」
いつの間にか矢が切れたようだ。後は俺と先生の剣と魔法のみが頼りだ。ただ先生は既にかなりの魔法を使っているはずだ。そちらにあまり期待はできない。委員長の回復魔法も同じだ。魔法力は無尽蔵ではない。
戦いに慣れるにつれ、俺の集中力は次第に増してきていた。最初は到底無理だと思っていたちびっ子先生の動きも、今ならなぞれる気がする。ちびっ子先生の身のこなしをイメージし、それと同化するように体を動かしてみる。
「やればできるじゃないか!」
「いい調子よ、あと少し!」
そうだ。少しずつ少しずつ、俺は成長していった。だんだんと敵の動きがゆっくりにさえ見えてきた。やがて本当にその動きが緩慢になった。
「敵さん三割切ったぞ」
「おし! 確実にいくよ!」
やがてその赤い獣の体力が二割を切ったころ、勝利を確信していた俺達の前でそれは起こった。獣がふいに動きを止め、その身を縛っていた鎖が雪崩のように剥がれ落ちていく。嫌な予感がよぎる。
いましめを解かれたその獣は、先ほどまでの俊敏さを取り戻したようだ。それどころか以前より速くなっているようにさえ感じる。その獣はいきなり走り出し、ちびっ子先生に詰め寄ると、今までにない猛攻を繰り出した。
「ふぎゃー。走れるなんてずるいー! 助けてくださいですー」
先生はなんとか耐えているが、だいぶ削られているようだ。あのままでは持ちこたえられないだろう。あのスピードを相手に今までのように戦えるとは思えないが、俺が代わりに行くしかない。そう思い踏み出した瞬間、俺は肩をつかまれた。
「ごめん、クロネコくん。剣を貸してくれないかな」
「え? あ、ああ」
「ありがとう」
委員長は剣と盾を持ち、獣に挑みかかっていく。その動きは今までに見たどんな剣の使い手よりも美しいものだった。
『おめでとうございます。隠しクエストをクリアした皆様にはそれぞれ スキルカード:ランク3+引換券 を差し上げます。メインアイランドに渡航後、冒険者ギルドにてカードにお取替え可能です』
「ランク3って言うと、シルバーコモン相当ね」
「あれだけ苦労してやっとシルバーが一枚ですか」
「充分だろ。確率は50枚に1枚だったじゃないか」
「ヘンタイさんはあんまり役に立ってなかったからそう思えるのです!」
「ひどいな、これでもけっこう頑張ったんだぜ」
本当にギリギリの戦いだった。終わったときには全員体力がほとんど残っていなかったらしい。委員長がこのゲームで封印していた剣の腕を披露してくれていなかったら、到底勝つことはできなかっただろう。それも俺や先生が協力してやっとなんとかという状況だった。
シロネコ先生の口ぶりによれば、多分前のゲームで剣聖だか何だかと呼ばれていたらしい。それなのになぜ剣術をとらなかったのかと聞いたら、こう答えてくれた。
「他のもやってみたかったの。それだけよ」
そうか、そうだな。やりたいことをやる、これはゲームなんだからそれでいいと思う。
次の日、俺は普段どおりに学校へと向かう。いつもの通学路を歩き、いつものように席に座る。委員長は既に登校していた。
「おはよう」
声をかけてみた。
委員長はピクリと反応したが、動きがない。少し間をおいて委員長は立ち上がり、一枚の写真を俺に渡した。
「あげる」
その写真には、虎猫をかかえて微笑む委員長の姿が映っていた。いわゆる茶虎猫というやつだろう。安心しきって委員長に抱かれるその表情がとても心を安らげる。
「ああ、約束してた写真だな。とてもかわいいじゃないか。ありがとう、大切にするよ」
委員長は満足げに頷くと、また自分の席へと戻っていった。やはり学校ではいつもの委員長だ。話があまりはずまないのは少しさびしいけれど、みんなが知らない一面を知っている俺はちょっとだけ優越感に浸れるのだった。
そしてまたいつものような一日が過ぎていった。
この季節の天気も移ろいやすい。
帰宅しようと昇降口まで出ると、既に外は大粒の雨が降り出していた。
「まいったな、教室出るときまでは降っていなかったのに」
傘を忘れた俺はぼんやりと雨を見つめていると、いつの間にか横に委員長が立っていた。
「傘」
そうぽつりとつぶやき、傘を差し出してくる。
「うん、忘れちゃってな。困ったよ」
「差して」
「え、委員長の傘は?」
「入れて」
「……ありがたいけど、いいのか?」
「いい」
やがて校門を出て、人通りが少なくなったころ、委員長がぎゅっとしがみつくように寄りかかってきた。俺は嬉しさと恥ずかしさを隠すように、軽く拒絶をしてみる。
「おい、くっつきすぎじゃないか」
「濡れてる」
「いや、いいんだよ。肩くらい」
「嫌?」
「嫌じゃないけど、その……うれしいけど」
「ご褒美、代わり」
「そういやそんなこと言っていたっけな。忘れてたよ」
「不満?」
「そうだな、これでも満足だけど、どうせならもっと別のものが良かったかな。こう、ほっぺたをつねってくれたりとかさ」
俺はそう言って、口数の少ない委員長をからかってみる。
それに気がついたのか、委員長はうつむくと、いつもの抑揚のない声ではなく、少し照れがいりまじったようにこうつぶやいた。
「ばーか」
その時俺は委員長の素の声を初めて聞けたような気がした。
寄り添う委員長の腕に力がこもる。
「お、おい。あんまりくっつくと歩けなくなるよ」
「ばーか」
傘で弾けた雨音が二人を包む。それはこの高まりゆく胸の鼓動を隠してくれているようだった。
第02章完結しました。
2012.02.10 猫




