火曜日
『ケータイ貸して。面白いアプリがあるんだけど…。』
フッと目が覚める。
「夢…か。」
沙絵は布団に包まりながら、ケータイを取った。
6時30分。
目覚ましが鳴る前に目覚めてしまった。損した気分になる。
寝ぼけ眼でケータイをいじる。
確か、先週の金曜日。
誰かに携帯を貸した。
そして何かのアプリをダウンロードしてもらった気がする。
誰に貸したかが思い出せない。
記憶を巡らせていると、昨日の出来事を思い出して飛び起きた。
「夢!?」
慌ててメールボックスを確認する。
「…あった。」
ハッピーカミングカンパニーからのメール。
「夢じゃないんだ…。」
ベッドの下も確認する。昨日と同じ位置に、黒いバッグがある。
風呂を終えた後、万札150枚まで確認したが、疲れて数えるのを諦めた。
1000枚、いや、それ以上ありそうだ。
なんせ100枚束になっていないし、ピン札でもなければ連番でもない。本当にただ1万円が詰まっているだけだった。
ガチャっと音がして、沙絵は慌ててまた黒バッグをベッド下に押し込んだ。
開いたのは沙絵の部屋のドアではなく、向かいの菜絵の部屋だったようだ。
階段を下りて行く音がする。
「…お母さんには言おうかな。」
沙絵は身支度を済ませ、階段を下りた。
「おはよ。」
「あれ、お早う沙絵。」
父が目を丸くして沙絵を見る。
「げっ!姉ちゃんじゃん!」
菜絵は慌てて時計を確認した。自分が遅刻なのかと思ったようだ。
「失礼な妹だなぁ。姉ちゃんだってたまには早起きしますー。」
「ビビらせないで。」
「ビビらないでよ。」
母が食卓に朝ごはんを並べる。
「お早う、サエ。どうしたの今日。」
「お母さんまでー。」
結局、朝ごはんを食べて行ってきますまで、なんとなく母には言えなかった。
沙絵はクラスに向かう廊下で、背中をトンと叩かれた。
律が日誌を持って立っている。どうやら今日は日直の様だ。
「おはよよん!サーエちゃん!」
「リツー。おはよよん。」
「昨日はご馳走様でした。」
「どういたしまして。門限大丈夫だった?」
「よゆーだよぉ。ところでさ、サエちゃんちクラス、今日化学ある?」
「5時限目だけど?」
「あらら。さっき職員室でね、佐藤先生の机見たんだけど、今日抜き打ちテストするみたいだよ~。問題用紙積んで、『3-B』って付箋してあった。」
「えーマジで!?イヤすぎる…!てかこないだもテストやったばっかだよ!」
「まぁ、受験生ですからねぇ。」
「進級したばかりだっていうのに…。
リツも、やっぱり大学受験するの?」
「リツは就職組だよ。」
「え!?そうなの!?意外!」
「へへ。じゃ、またお昼にね。」
律は自分のクラスに入って行った。
成績も悪くは無いし、将来やりたい事も特にないと言っていたから、てっきり大学に進学して、それから考えるんだと思っていた。
沙絵も隣のクラスに入る。
「おはよ、トーコ。」
「お早う。…昨日、わざわざ駅前まで行ったんだって?」
私の忠告も聞かずに。
そう言われた気がして、沙絵はビクッとして透子を見た。
ところが透子はいつもと変わらず、沙絵を見ている。決して怒ったりしている目ではない。
「…うん!駅前にさ、一回入ってみたい焼肉屋さんがあってね。」
「あぁ、この前一緒に見たとこか。美味しかった?」
「そりゃもう!トーコも今度行こうね!」
言いながら自分の席に座った。
透子はあまり昨日の事は気にしてなさそうだ。
沙絵はホッとして、今し方、律から仕入れたばかりの情報を透子に聞かせた。
「テスト?ふーん。」
「あ、受け入れちゃう感じ?」
「私、テストって嫌いじゃないんだよね。自分の力量が分かるなんて、燃える。」
「…はぁ~。」
「足掻いても仕方ないって。テスト止めてって言っても止めてくれる訳無いし。」
あ。
沙絵が気付くと同時に、多分透子も気付いた。
「ねぇトーコあのさぁ!」
「無理無理無理無理。あんたバカ?」
「…まだ何も言ってないじゃん。」
「どーせ、お願いしたらまた叶うんじゃないかとか考えてるんでしょ。」
「出来るんでないかなぁ?」
「はいはい。」
「今日は、午後休校になぁれ!」
「あ、ケイゴ。お早う。」
透子は沙絵を無視して、教室に入ってきた圭悟に言った。
「うーっす。遅刻じゃねぇぞ、見たかサエ。」
沙絵は両手を合わせて天井に念を送ってる最中だ。
「…何やってんの、この人。」
圭悟が透子に聞く。
「祈祷。」
「は?気持ち悪っ。」
ボスッと音がして、沙絵の拳が圭悟の脇腹に入った。
「ってぇ!脇腹はやめろ!」
「悪口反対。おはよ、ケーゴ。」
そうこうしている内に、先生が入ってきてHRが始まる。
「あーっと…、今日は、急だが午前授業になった。」
クラス中がざわつく。ポカンと口を開けたのは沙絵と透子だ。
圭悟がすかさず立ち上がる。
「えぇ!?なんでなんで!?」
「午後一杯、緊急の職員会議になるそうだ。教育委員会も見える割と大規模なものだから、4時限目終了後、みな直ちに下校するように。今日は部活も一切ナシだ。」
「こんなの初めてじゃねぇ?」
「やった!」
「ラッキー!」
「何で急に?」
クラスメイトが口々に騒ぎ出す。
「先生、なんか悪い事したのか?」
「バカ言うなよ、圭悟。みんな落ち着け。HRは以上だ。
…委員長!」
呆然としている所を突然指名されて、透子は慌てて立ち上がった。
「き、起立っ!」
透子は、やっぱりというか、浮かない顔をしている。
圭悟はHR終了後すぐに浮足立って何処かに行ってしまった。台風やインフルエンザなんかで学級閉鎖になるともれなくテンションが上がるのは、中学時代から何も変わっていない。
「ねぇこれ、偶然だと思う?」
沙絵の質問に、透子が少し首を傾げる。
「私は…いや、いいや分からない。偶然だろうな。偶然じゃなかったら少し怖いし。」
「怖い?すごいと思うけどなぁ。…ラッキー!」
「ほんと、楽観的なんだから。1限目音楽だ。行こ。」
「あ、うん。」
透子の後について、沙絵も教科書を持って教室を出た。
「…あっ、ごめん。あたし、ちょっとトイレ寄ってくね。」
「そ。先行ってる。」
「え~、待っててよぉ!」
「音楽室の鍵開けといてって、朝、先生に頼まれてんだ。」
「…はぁい。」
音楽室へ行くには、A組の前を通る。雪耶のクラスだ。
トイレを済ませ向かう時、教室を覗こうとしたらすぐに雪耶がいた。
廊下側の自分の席で、雑誌に目を落としている。
「おはよー、ユキヤ。」
「沙絵ちゃん。お早う。聞いた?今日。午前中で帰れるんだってね。」
「ね!
何読んでるの?漫画?」
「うん。今はこれ、この映画の記事見てた。」
週刊漫画の合間にある特集記事の様だ。
公開したばかりの映画の、主演俳優のインタビューが載っている。
「へぇ…。あたしもこの映画、見たいと思ってたんだ。そうだ!今日の午後、観に行かない!?」
「あぁ、ごめん。今日はもう先約があるんだ。」
「予定立てるの早っ!」
「あはは。HR終わってすぐ、じゃあご飯行こうってなってさ。」
「(女の子…じゃないよね)」
気になったが、その質問はグッと堪えて沙絵は笑顔を作った。
「ちぇ。じゃあ~次の土曜日とか…。」
携帯のカレンダーを見ようとすると、新着メールが来ていた。差出人は、沙絵のアドレス。
『件名:無題』
『本文:名城沙絵様。ここに幸せの一部をお届け致します。ハッピーカミングカンパニー。』
「…昨日の事?いや、でもあれは手紙入ってたし、もしかして今日の?」
「沙絵ちゃん?」
「あ!ううん、何でもない!トーコ、待たせてるから行くね!」
本当は待たせてなどいないが、沙絵は雪耶に手を振って音楽室に向かった。
「ちょっとこれ、やっぱり、想像以上に凄いかも!宝くじ当たるより凄い事かも!」
もう一度、今のメールを読み直す。
『幸せの一部』と記載がある。昨日の手紙もそうだった。
つまり昨日の幸運も今の幸運も、『一部』なのだ。
まだ届く。
ドンッ。
「痛ッ!」
「いてぇ。」
携帯に気を取られていて、沙絵は人にぶつかってしまった。
「ごめんなさ…!」
顔をあげると、圭悟だった。
「なんだ、ケーゴか。」
「なんだじゃねぇよ!オレだったら謝らないで済むと思うな!」
「はいはい、ごめんね~。」
「ホンットに可愛くねぇな、お前は!」
「謝ったじゃん。」
「誠意が足らん。そしてお前にスマホは似合わん。」
沙絵は圭悟の背中を思いっ切り叩いて音楽室に入って行った。
「またケイゴと遊んでんの、サエ。もう先生来るから席着いたら。」
「遊んでないのー!てゆーかむしろ…ユキヤと遊びたかった。ユキヤと映画行きたいー…。」
「恋愛中毒。」
「そ、そんなんじゃ…!」
透子に、雪耶の事を好きとはっきり伝えた訳ではないが、最近はなんとなく察した様だ。
だから沙絵は堂々と透子には雪耶の事を話す。
透子は恋愛にあまり関心が無いようで、好きな人の事を聞いてきたりはしない。
それが沙絵には逆に心地好かった。話せばちゃんと聞いてくれるし、常に冷静な意見をくれる。
チャイムが鳴り、先生が入ってきた。
音楽室では出席番号順に座るので、沙絵は透子から離れた席に座る。
圭悟とは前後だ。
と、携帯が振動した。こっそりと盗み見る。
新着メールが2通。
「(…ユキヤだ!)」
『件名:ちょうど授業始まっちゃったかな?』
『本文:今日、約束がナシになったから、映画観に行こう。駅前の映画館でいいよね。』
沙絵のテンションは、文字通り急上昇する。
上の空なままに、1限目はいつのまにか終了していた。
沙絵は、雪耶と二人きりで遊んだ事が無い。なんだかんだで、いつもお約束の様に透子や律や圭悟がいる。
遊ぶだけに限らず、例えば2人で下校する機会が誰かの介入により潰れる事は必ずと言っていい。
もとよりそうゆう分野においては運が無い方だと、沙絵は自己評価していた。
つまり。
今回もそういう可能性はあるだろうと予想はしていた訳で。
「…はぁ~。」
「サエちゃん、溜め息大きい。」
下駄箱から靴を出しながら、律が軽く笑う。
「だってだって、実際に予想通りになるとやっぱり凹むんだもーん…。」
「あぁ?何の話だ?」
「うっさい圭悟バカ!」
沙絵は、同じく下駄箱から靴を出していた圭悟の脇にグーパンチを…。
止められた。
「むむ、やるなぁ。」
「そう何度も喰らってたまるかっての。…カウンターだ、食らえぇ!」
「きゃあぁぁ!」
「あはは、楽しそうだね2人共。」
攻防しあいふざけていた二人の後ろに、いつの間にか雪耶が立っていた。
沙絵が更に大きな声を上げる。
「うあぁ!ユキヤ、いつからそこに!」
「今し方。お待たせ。」
「ちち、違うの!全然楽しくないんだから!」
「お前、それは。オレに対して失礼なんじゃねぇの。」
結局、こうなる。
雪耶が圭悟に話し、圭悟が透子を誘い、それなら律もと、いつものメンバー集合だ。
「あれ?トウコちゃんは?」
「あぁ、日誌書かないといけないから、先に校門で待っててって。」
沙絵も靴を履きながら、律に答えた。
「そっかぁ。…うわぁ!リツ今日日直だった!日誌書いてない!」
律はもう一度上履きに履きかえて、小走りで去ろうとした。が、すぐに振り返って3人をジッと見る。
「…どしたの、リツ。」
「ケイちゃん、ちょっとおいで。お話しがあるの。」
律がにっこり笑って圭悟に手招きする。
何か企んでそうなその笑顔。
「何。愛の告白なら受付ねぇぞ。」
「ケイちゃんはお馬鹿さんなのかな。いいからおいでってば。」
「何だよ、引っ張るなって!」
律は圭悟を引きずって廊下を進む。
そして階段を上がって、ポカンとしている沙絵と雪耶が見えなくなると、パッと手を離した。
「今日はサエちゃんの味方してみたり。」
「は?」
「今度はケイちゃんの味方したげるね。」
「待て、意味わかんねーし。」
「わかんないかなぁ?リツは、博愛主義って言ってるんだよぉ。」
「わかんねーって。」
沙絵の方は、律の思惑に気付かず、単純に今の状況を喜んだ。
「やった!2人きり!願わくば、トーコまだ来ないで!」
雪耶に聞こえない様に呟く。
「ん?何か言った?」
「ううん!」
ガタガタガタッ。
その時、遠くで音がした。階段から何かを落としたような音。
と同時に、沙絵の携帯が振動する。
「階段の方からだね?」
「うん。誰かカバンでも落としたのかな。」
言いながら沙絵は携帯を見る。
新着メール1件。
「…あれ?まただ。」
本日3度目となる、ハッピーカミングカンパニーからのメール。
「今の呟きも『お願い』扱いなのかな…。」
階段の方がざわつきだす。
「何だろ。」
「行ってみようか、ユキヤ。」
2人は階段へ向かった。1年生の女子が悲鳴を上げている。
誰か落ちたのだと、すぐに察した。
先生が駆けて来る。
階段の下に倒れているのは女子だった。
3年生の上履きを履いた、ボブヘアーの女の子。
その姿は紛れもなく。
「ト…!」
「透子!」
雪耶が駆け寄って透子を抱き起こす。沙絵も隣でしゃがんで覗き込んだ。
頭を強く打っていたらどうしよう。
「トーコ!大丈夫!?」
「あぁ、ユキヤ。サエも。」
意外にも、透子の目はパッチリ開いていた。何事も無かった様な、いつもの透子。
「…びっくりしたよぉ。落ちたの?どこか痛い?」
「落ちたなー。恥ずかしい。足、ひねったかもしれん。」
沙絵が透子とそんな会話をしていると、急に透子が持ち上がった。
「先生。俺、保健室連れて行きます。」
雪耶が透子を抱えて歩き出した。
「えぇ、お願いね。みんな道を開けて!」
先生が野次馬を散らす。透子は雪耶の腕の中で暴れた。
「ちょ、ユキヤ!大丈夫だって、左足だけだし、自分で歩ける…」
「頭は?打ってない?」
「え、あ…うん。」
「気をつけてよ。心配させないで。」
「ん…。ごめん。」
透子の耳が赤くなる。
「(あれあれ。)」
沙絵の心臓がチクリと痛む。雪耶が透子を軽々と持ち上げた時は、男らしい一面にドキドキした。今は、とても嫌な気持ち。透子が女の子に見える。
羨ましい。
疎ましい。
「(…何考えてんの、あたし!)」
沙絵は慌てて透子と雪耶のカバンを持ち、2人を追った。
「(信じらんない!今は透子の心配をしなくちゃいけないのに!)」
『しなくちゃいけない』。
沙絵の足が止まる。
前を歩く雪耶が気づくはずもない。
「(あたし、こんな嫌な子だったっけ。)」
ギュッと拳を握り締める。
そして2人に追い付かない様に、ゆっくり保健室へ向かった。
「トウコちゃぁん!」
事の次第を沙絵からメールされた律が、保健室に飛び込んできた。
「あ、リツだ。悪い悪い。」
足に湿布を貼って椅子に腰掛けている透子。
律は突進するようにつかみ掛かった。
「落ちたの!?大丈夫!?痛い!?」
「今は肩が痛い。出来れば離して。」
「あぁ!ごめん!」
遅れて圭悟も入ってきた。
「受験生なのに縁起悪ィなぁトウコ。だっせー。」
「圭悟。」
開口一番の台詞に、雪耶が低い声でたしなめる。
「な、何だよ、怖ぇよユキ。」
沙絵も驚いた。雪耶が人にキツく言葉を言うのを、今まで聞いた事が無い。
「…わかったよ。悪かったな、トウコ。」
「いいよ別に。それより、映画ごめん。私、念のため今から病院行くからさ、4人で行っといでよ。」
「「行かないよ!」」
4人共、口を揃えて答える。
「映画なんていつでも見れるし、また今度みんなで行こうよ。」
沙絵が言う。
一瞬、変な気持ちになってしまったけれど、透子が大切なのは確かだ。
と、不在にしていた保健室の先生が戻ってきた。
「川嶋。先生の車まで来れるか。」
「はい。」
立ち上がる透子に、沙絵が手を貸す。
「俺、運ぼうか。」
「いやだ。あれ、恥ずかしい。」
雪耶はまた透子をお姫様だっこする気の様だ。
透子が本気で嫌がる。
「あたしが付き添うからいいよ、ユキヤ。」
沙絵と透子は、先生の後について保健室を出た。
沙絵には一つ、透子に聞きたいことがあった。
それは、みんなの前ではあまりに聞きづらい事。
「…ねぇトーコ。」
「何?」
沙絵は、透子にまだ来てほしくないと願って、すぐに完了通知を受信した。
ハッピーカミングカンパニーが
『透子をまだ来させない』
様にした。
つまり、そういう事だ。
「…階段から落ちた時、誰に押されたの?」
沙絵の質問に、透子は驚いて答えた。
「怖いこと言わないでよ。足を踏み外しただけ。」
「え…?」
「え、じゃないよ。そこまでの恨みは買わないで生きてるつもりだけど?」
透子がムスッとする。
今のやり取りでは、当たり前の反応だ。
「ごごごめん!いやいや!なんだそっか!…良かった。」
「…良くない。私、足痛いんだけど。」
どんどん墓穴を掘っている。
沙絵は慌てて謝り、何とかご機嫌を直してもらって、病院へ向かう透子を見送った。
今日はそのまま解散になった。
沙絵が家に帰ると、ハナちゃんが1回だけ吠えて迎えてくれる。
「ただいまぁ。」
当たり前だが誰も居ない。
冷蔵庫の物で適当に昼食を済ませ、いつも菜絵が占拠しているソファに横になる。
「はぁ~…。びっくりしたなぁ、もう。」
誰かが、ハッピーカミングカンパニーの会社の人が、突き落としたのかと思った。
自分が願った事のせいで。
「…どこまで出来るのかなぁ。」
試してみたくなった。
ちょっと怖いけど。
好奇心が勝る。
「明日、3年部の先生がみんないないといいな。
…こんなんで一つ、お願いします。」
寝そべったまま、両手を合わせる。
今日の午後休校に加え明日も休校になったら、勉強好きな透子が怒りそうだ。
「…ははっ!どんだけ授業キライだよ、あたし。」
5分。
10分。
30分経っても、携帯はメールを受信しない。
「あれぇ。今まではすぐに通知が来てたのに。…流石にコレは無理って事かぁ。」
日差しが暖かくて心地いい。
携帯を握り締めたまま、沙絵はいつの間にか眠りについていた。
「サエ。サーエ!ほら、制服シワになるよ!」
母の声で目覚める。
「アンタ今日どうしたの、早いんじゃない?」
「…今日、午前授業だった。」
寝ぼけ眼で答える沙絵。
「あーあー。ご飯食べた後、水に漬けといてくれたら洗うの楽なのに…。」
母がテキパキと片付けを始める。
時計を見ると、もう6時を回っていた。
「…ちぇ。半日損したなぁ。」
携帯に新着は無い。
沙絵はメールを打った。
『足、まだ痛むのかな。お医者さんなんだって?』
すぐに透子から返信が来る。
『軽い捻挫だってさ。それより、映画ダメにしちゃったね。ごめん。今度の日曜日、行こうか。ケイゴ達はオッケーだって。』
『あたしもオッケー!じゃあ日曜日に行こうね!』
2人で下校デート計画は脆くも崩れ去ったが、休日に雪耶と会えるのは悪くない。
というか、私服の雪耶に会えるなんて、尚イイ。
「サエ!ハナちゃん!」
「はぁい。」
そういえば昨日、ハナちゃんの散歩に行ってあげなかった。
外は薄暗い。
足早で散歩を済ませ、家の前まで帰ってきた。
「…あれ。」
誰かが立っている。
菜絵と、背の高い男の子。
近付いて行くと、会話が聞こえる。
「…また明日ね、菜絵。」
「はい。送ってくれてありがとうございます。」
と、菜絵が沙絵に気付いた。
「姉ちゃん!」
顔を真っ赤にして動揺する菜絵。
「あ、こんばんは…!」
男の子も慌てて沙絵にお辞儀をした。
他校の高校の制服を着ている。
「…こんばんはぁ。」
沙絵はそそくさと2人の横を通り抜け、ハナちゃんを小屋に繋ぎ、急いで家の中へ入った。
玄関で呆然とする。
「ナエに…。」
「おかえりー。」
遠くで母の声がする。
「ナエに先越された…。」
「サエー?どうしたのー?」
「おかぁさぁん!ナエに男が出来たぁ!!」
玄関が開いて菜絵が沙絵に飛び付く。
「うわぁ、姉ちゃん!声が大きい!!」
玄関で大騒ぎする姉妹。
母も台所から顔を出す。
「あら、おかえりナエ。何やってるの、あんた達。」
「お母さん!ナエに」
「だぁー!うるさいうるさい!!」
「誰!?あれ誰!!高校生だよね!?」
「放っといてよ!!」
散々問い詰めると、菜絵は漸く白状した。
彼は菜絵の一つ年上で、部活の先輩だったらしい。
沙絵の2個下。中学時代に校内で見かけたこともあるかもしれない。
「…それは無いと思っていた…。」
自室で沙絵は、ベッドに身体を放り投げた。
いつも就寝する時刻になったので、普段と同じ行動をとってみたものの、やはり眠くは無い。
お菓子をほうばりながらソファでゴロゴロするのが大好きな菜絵。
まさか彼氏が出来ようとは。
姉として妹の幸せは祝福すべき事だが、どうも手放しでは喜べない。
「あたしが、ユキヤと付き合える可能性って何%くらいなんだろう。…頑張ったら届くのかな。」
羨ましい。
沙絵は起き上がり、机の上に並んでいる参考書を適当に一冊取ると、布団に潜った。
今の時間、律ならもう寝ているだろう。
圭吾ならお笑い番組とか観ていて、透子なら勉強していそうだ。
雪耶なら、何をしているんだろう。
参考書の最初から読む。
1時間経ったか経たないか。
沙絵はいつの間にか眠りについていた。