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雨色

作者: 沙華やや子
掲載日:2026/06/11


 紗帆(さほ)はしゃがみ込み、枯れかけた紫陽花に声を掛ける。

 傘の露先から雨垂れが、背中のリュックに落ちるけどお構いなし。


「良かったね、お前達。待望の雨だよ」


 一度枯れた(がく)は二度と鮮やかな紫には戻らない。けれどもその根は美味しい水を健やかに吸い上げ、仲間を咲かせる。それに茶色くくすんでいたって、空が泣いてあげれば良いじゃない? 包み込む涙の雫の弔いだよ。


「ンー。あたし、お花には話し掛けられるのにね」と言いつつも人目を気にし、怪しまれぬよう……紗帆が花とおしゃべりする時は、まずキョロキョロと辺りを見回してから。人がいないことを確認した後、愛しい花との素敵なひと時を束の間過ごすのだ。


「ねえ、どう思う? 南翔(みなと)、あたしのこと好きかなぁ? あたしと同じ気持ちだったら嬉しい……」


 その時大きな雨粒が何処かから落ち、ポンっと紫陽花の萼を弾ませた。まるで花が頷いてくれたように感じる紗帆。

 左手人差し指でロングヘアーを耳にかけ小首をかしげた。


「ありがと。じゃあ、またね」


 ――――家路をゆっくりと歩む紗帆。仕事の帰りだ。現在カフェで働き独り暮らしをしている。30才。好きな男性は……いる。そう、先程紫陽花に告白した、同じカフェに勤める南翔。28才。2つ年下の彼だが、店では先輩なのだ。


***


 ――――翌朝。雨が上がっていた。でも梅雨らしい曇天。家を出、駅までのいつもの道を行く紗帆。


 住宅街なのであまり人は通らない通勤路。いつも通る公園。昨日の紫陽花の花々はそこに咲いている。


(いってきます、紫陽花さん)

 紗帆は声に出したかったけど、前方から丁度犬の散歩をしている女性が歩いて来たので心に呟く。


「あ」

 そうだ、と思いスマートフォンを取り出す。灰の空を背景に宝石のティアラをかぶった花はとても美しい。

 昨日の雨粒がキラキラと紫陽花を、華やかでありながらもどこか儚げに際立たせている。

 紗帆は美麗さに魅せられ1枚写真を撮った。


***


「おはようございます」


「あ、おはよう紗帆ちゃん」


 恥ずかしい。もう勤め出し1年にもなるのに南翔と挨拶するだけではにかんでしまう。仕事をする時もドキドキの連続。我ながらよくも勤まっているなと感じる紗帆。


「おはよう、南翔君」


「今日は忙しいかも」と南翔。


「え、なんで?」

 紗帆が尋ねる。


「ン、長年の直感、アハ」

 南翔が明るく笑い八重歯を見せた。


 実は紗帆、彼のチャームポイントの八重歯がとても好き。ドラキュラみたいに首を齧られたい。

 南翔は流行りのツーブロックのツイストスパイラルパーマ。金髪と黒髪のメッシュだが厭らしさがなくとてもさりげない。非常におしゃれだ。派手なのに馴染んでいるのは彼のセンスゆえだろう。


「そうなんだ。前もさ『今日は暇になるぜー』て南翔君が言ってその通りになったもんね」


 紗帆はメイクの時(あたし、チークなんか要らないかも)とふと思う。しょっちゅう今のように南翔と話す度顔を(あか)らめちゃうからだ。


「そうだよ! 当たるんだから、アハハ。さ、今日も頑張ろうぜ、紗帆ちゃん」


「うん」


***


 ――――そうして今日の勤務を終えた紗帆。


 紗帆と南翔は上がり時刻が同じだ。夜の部の人達と18時に交代する。

 南翔は店のスタッフ用ドリンクをゴクゴク飲んでいたので、先に紗帆はバックヤード奥へ行った。そこでエプロンを外す。

 夜の部のスタッフは「おはようございます」と元気に紗帆に挨拶し、ホールへ出て行った。


(そうだ!)

 紗帆は宝物を南翔に見せたくなった。


 すっかり帰り支度を整えてもバックヤードで南翔を待つ紗帆。

 ――――ウーロン茶を一気飲みした南翔がこちらへ近づいて来る。


「お疲れ様です」と南翔に声を掛ける紗帆。


「紗帆ちゃん、ネー、当たったでしょう。今日は忙しかったね。お疲れ様です!」


「うんうん、今日も南翔君の言う通りだったね」


「あれ? 紗帆ちゃん、なにか用事? 帰んないの」


 口から心臓が飛び出しそうなほどトキメキで眩暈を起こしそう。優しい南翔の物言い。


「これ、見て!」


 少し離れた場所から悪戯っぽい笑顔でスマホの写真を見せる紗帆。


 なんだなんだ、と興味深げに南翔が紗帆のもとへやって来た。


「わ~! 綺麗だね。お花のグラデーションと、コロンとした雫が輝いてるじゃない」


 やはり南翔は温かな視点を持つ人だな、と紗帆はもっと南翔を好きになってしまった。


「うん。朝、公園の紫陽花を撮ったのよ」


 そんなシンプルな発言でさえ、こんなに近くて俯きがちになりながら告げる。

 紗帆は、南翔の背の高さ、シャンプーかなにかの素敵な香り、スマートだけどしなやかにある筋肉、強そうな指に胸を高鳴らせている自分を恥ずかしく感じているのだ。


「まるで紗帆ちゃんみたい。お姫様のようで可愛いな」


「え!」


「あ、セクハラだったかな。ごめんなさい……」


「ううん、あたし、だって……だって、南翔君をかっこいいって想っているの。その……あの」


 しどろもどろな告白。少々紗帆は自己嫌悪。


「その先はオレに言わせて、紗帆ちゃん」


 紗帆は南翔の瞳を見上げて黙っていた。


「好きだよ、紗帆ちゃん」


 一瞬なにが起こったのか把握できなかったが、事態が飲み込めた瞬間、気絶しそうになった。


 一生懸命紗帆は伝えた。


「大好きよ、南翔君」


「うん」と頷く南翔。

 恐らく、どうかすると南翔に照れる紗帆の態度ゆえ、紗帆の恋ゴコロは南翔に丸わかりだったのだろう。


「一緒に帰ろうよ」と南翔。


「うん」


 外に出ると大きな手は小さな手を守るように握った。そうして歩く。


「お願いごとがあります」

 紗帆は駅へ向かう道の途中で立ち止まり、南翔へ言う。


「うん? なあに、紗帆ちゃん」


「今度、公園の紫陽花を一緒に見たい」


 南翔は穏やかに微笑んだ。

「もちろん良いよ。さっきの紫陽花の所へ連れて行ってね、紗帆ちゃん」


「うん」


 灯り始めた街灯りが水溜まりに赤や緑の模様を作る。

 鏡みたいで綺麗。


 雨に洗われた景色が新しい恋人を祝福している。




 

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