第6話 評価が生まれる場所
「評価が最初に生まれる場所です」
カイゼルのその一言は、軽い調子のまま、妙に重く落ちた。
わたくしは一瞬だけ足を止める。
「……それは、どこにあるのかしら」
「案内すると言ったでしょう?」
彼は振り返らない。
そのまま歩き出す。
躊躇はなかった。
あるとすれば、それは選択ではなく、確認だ。
ついていく価値があるかどうか。
結論は、すでに出ている。
わたくしは静かに後を追った。
――カイゼル・ドレイク。
この男は信用できない。
けれど。
嘘はつかない。
少なくとも、“つく意味がない嘘”は。
回廊を抜け、石造りの通路へ入る。
見慣れたはずの学院の構造が、少しずつ変わっていく。
灯りが減る。
人の気配が消える。
「……こちらは立ち入り禁止のはずでは?」
「ええ」
あっさりと頷く。
「だからこそです」
そう言って、壁に手をかける。
押す。
軋む音。
そして。
わずかに開く隙間。
「どうぞ」
軽く手を差し出す。
わたくしは、ためらわずに中へ入った。
暗い。
そして、静かだ。
外の音が、完全に消えている。
扉が閉まる。
空気が変わる。
「ここは……」
「学院の記録区画の一部です」
カイゼルが言う。
「ただし、正式には存在しない場所」
足元に視線を落とす。
石床に刻まれた線。
古い。
そして。
微かに、文字が残っている。
「……古い形式ね」
「ええ。評価制度の“初期型”の名残です」
わたくしは、ゆっくりと歩き出す。
壁には棚が並び、そこに無数の帳簿が収められている。
だが。
整理されているようで、されていない。
統一されていない。
「これは……」
「不完全でしょう?」
カイゼルが笑う。
「現在の制度に繋がる前の、試行錯誤の記録です」
わたくしは、一冊を手に取る。
開く。
そこに書かれているのは。
名前。
評価。
そして。
――判定理由。
「理由が、書かれている」
「今は書かれていませんね」
「ええ」
現在の評価記録には、結果しか残らない。
だが、ここにはある。
なぜその評価になったのか。
誰が、何を見て、どう判断したのか。
すべて。
「……これは」
息を吐く。
「面白いわね」
「でしょう?」
カイゼルが近づく。
「評価とは、本来“誰かの判断”だった」
指で紙面をなぞる。
「ですが、今は違う」
「“仕組み”になっている」
「ええ」
頷く。
「誰も疑わない仕組み」
わたくしは、ページをめくる。
次。
また次。
そして。
ある一点で、手が止まる。
「……あら」
「見つけましたか」
カイゼルが覗き込む。
そこには、奇妙な記述があった。
名前。
評価。
理由。
そして。
――“保留”。
「評価が、確定していない」
「ええ」
「そんなことが、あるの?」
「ありました」
過去形。
「ですが、今はありません」
つまり。
「消されたのね」
「そういうことです」
わたくしは、本を閉じる。
ゆっくりと。
思考を整理する。
評価は、絶対ではない。
記録は、完全ではない。
そして。
この場所は。
「“決める前”の情報がある場所」
「その通り」
カイゼルが笑う。
「評価はここで生まれる」
一歩、後ろに下がる。
「そして、外へ出ると“確定する”」
わたくしは、目を細める。
「つまり」
言葉を選ぶ。
「ここに触れれば、評価は動く」
「理論上は」
「実際には?」
「難しいでしょうね」
即答だった。
「なぜ?」
「ここに来られる人間が限られているからです」
なるほど。
だから、今まで誰も触れなかった。
いや。
「……触れた人間が、いた」
消えた評価記録。
あれは。
「ええ」
カイゼルが頷く。
「そして、今もいる」
空気が変わる。
わずかに、張り詰める。
「あなたは、それを知っているのね」
「ある程度は」
曖昧な答え。
けれど、嘘ではない。
「では、なぜ教えるの?」
「簡単です」
彼は、わたくしを見る。
まっすぐに。
「あなたが、どう動くか見たいから」
正直すぎる。
だから、信用できる。
「観察者、ですものね」
「ええ」
にこりと笑う。
「そして、あなたは被験者だ」
「不愉快ですわ」
「でしょうね」
軽く肩をすくめる。
「ですが」
一歩、近づく。
「ここまで来た以上、もう引き返せませんよ」
わたくしは、少しだけ笑う。
「最初から、そのつもりはありません」
視線を棚へ戻す。
無数の記録。
未確定の評価。
判断の痕跡。
すべてが、ここにある。
「……どれを触るべきかしら」
呟く。
すると。
「それは」
別の声がした。
低い。
静かな声。
わたくしは振り返る。
そこにいたのは。
黒い制服の男だった。
見たことがない。
だが。
明らかに、この場の人間だ。
「触れてはいけないものです」
そう言って、こちらを見る。
感情のない目。
評価する側の目。
「……どなたかしら」
「管理者です」
短く答える。
「この場所の」
空気が、一気に変わる。
重い。
逃げ場のない重さ。
カイゼルが、わずかに笑った。
「来ましたね」
「あなたも、ずいぶんと余計なことを」
管理者は、彼を見ない。
視線は、わたくしに固定されている。
「ルナ・ローゼ侯爵令嬢」
名前を呼ばれる。
今度は、きちんと。
「あなたは、ここにいてはいけない」
「理由を伺っても?」
「決まっているからです」
即答。
迷いがない。
「あなたは“外れた”存在だ」
わたくしは、目を細める。
「だからこそ、ここにいるのですが」
「だからこそ、排除される」
静かな声。
だが、絶対だ。
わたくしは、ほんのわずかに笑った。
「なるほど」
一歩、前へ出る。
「では、試してみましょうか」
空気が張り詰める。
「何を?」
「どこまでが、“決められているのか”」
管理者の目が、わずかに揺れた。
それを、わたくしは見逃さない。
この世界は、完全ではない。
そして。
ここは、その中心だ。
ならば。
触れる価値は、十分にある。
「――面白い」
背後で、カイゼルが笑う。
わたくしは、目の前の男から視線を逸らさない。
逃げない。
譲らない。
ここからが。
本当の始まりだ。
ついに「評価が生まれる場所」に到達しました。
そして現れた“管理者”という存在。
ここから、ルナはただの外れた存在ではいられなくなります。
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次話では、初めて“制度側”との衝突が始まります。




