第2章 7人の管理人 忘却と偽りのキャンパス
――わたしが描いたのは、誰の“物語”だったのか
あの日から、特に何も起きなかった。
いつも通りの朝。
雪とピーターと笑いながら学園に向かう、なんてことのない日常。
だけど、ほんの一瞬でその穏やかさは崩れた。
「待ってよ、彩姫!!」
突然の声に振り返ると、そこに一ー
「もう!!置いていくなんて酷くない!?」
見覚えのある姿一ーしかし、どこか違う。
深い影を宿した瞳、冷たさの中に微かに笑み。
「椿......?」
彩姫は思わず口をつぐむ。
どこから、この世界は狂い始めたのだろう。
ほんの少し前までの平穏は、すでに遠い過去のように思えた。
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目の前に立っているのはーーあの時、確かに亡くなった彩姫の親友、紫原椿だった。
赤い短髪はあの時と変わらず、軽やかに風になびいている。
違っていたのは.......魔法学園の制服を身にまとっていることくらいだった。
「な、なんで......」
彩姫は言葉を失い、目を丸くする。
隣で雪も目を見開いていた。
しかし、ピーターだけは違っていた。
まるで椿がずっとここにいるかのように、自然に挨拶を交わす。
「おはよう、紫原」
「おはよう、ドラコジルくん!相変わらずイケメンだねぇ〜」
二人は笑顔で会話を弾ませる。
彩姫と雪は、ただその場で置いてけぼりのように立ち尽くしていた。
その時、後ろから小さな声が聞こえた。
「お姉ちゃん!!」
振り返ると、そこにいたのはーー
「ヌヌ......!」
彩姫が魔法で作り出した人形から生まれた、椿ヌヌだった。
中等部2年生の彼女は、姉妹のような彩姫との絆を持っている。
さらにヌヌの隣には、ヌヌと同じクラスの草野紅葉通称モミが立っていた。
モミもまた、彩姫たちにとって馴染み深い存在だ。
ヌヌは椿が過去に亡くなったことを知っていたため、目の前に現れた現実に驚き、慌てて駆け寄ってきた。
彩姫の胸は、言葉では言い表せない混乱と興奮でいっぱいだったーー
「あれ?ヌヌちゃんも今日は一緒なの?」
椿はいつもの軽やかな笑顔でそう言ったーー
しかし、その笑顔が、どこか怖く見えて仕方がなかった。
彩姫の胸の奥がざわつく。
本能的に、ここは何かがおかしい。
この空気、違和感一一何かが狂っていると、体が訴えていた。
そう、ここは椿が死ななかった世界。
NoFace一一椿がかつていた裏の組織も存在せず、誰も傷つかず、誰も泣かない、理想の世界。
だが一一彩姫たちはまだ気づいていなかった。
雪もまた、目の前の景色の不自然さに戸惑いながら、気づかぬままその状況に呑まれつつあった。
この世界の静けさは、どこか異様で。
その"理想”の裏に潜む危うさを、まだ誰も感じ取れていなかったーー
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「なんで......椿がここに.....」
雪は思わず呟いた。
しかしその瞬間、後ろから強く手を引かれた。
慌てて振り返るとーー
「雪!!今日一緒に行かないなら連絡しろよな!」
そこに立っていたのはーー
「......ゴール?」
そう、菜花と付き合ってから、少しずつ疎遠になっていた田園善隆一一通称ゴールが、目の前にいたのだ。
雪は然、今日一緒に登校する約束などしていない。
慌てて訂正しようと口を開くが、その時一一目の前の景色に思わず息を呑む。
菜花が、別の男子と楽しそうに話していたのだ。
「なんで.......?」
動揺する雪に、ゴールは心配そうに顔を覗き込む。
「どうした?体調でも悪いのか?」
「う、ううん!ただ......びっくりしちゃって......」
「びっくり?」
「だ、だって.....菜花と付き合ってるんじゃ......」
そう小さく呟く雪に、ゴールは不思議そうな顔をした。
「何言ってんの?寝ぼけてんの?」
雪の胸は、混乱と動揺でいっぱいだったーー目の前にいるゴールは、確かに知っているあの人なのに、目の前の現実は、彼女の記憶と少しずつずれていた。
そしてーーゴールはそっと雪の頭に手を添え、優しく頬に口付けをした。
「雪が、俺の彼女だろ?」
雪はあまりの出来事に、思わず顔を真っ赤にして頬に手を当てた。
心臓がドキドキと跳ね、頭の中が真っ白になる。
ここでは一一雪とゴールが恋人関係だったのだ。
だから、こんな自然な行動も、二人にとっては日常の一部のように感じられる。
だがーーこの光景に、彩姫たちは気づくことができなかった。
理想の世界に巻き込まれた現実は、彼女たちにとってまだ見えない秘密のように、静かにその場を覆っていた。
雪は胸の奥で、小さな幸せと戸惑いの両方を感じながらーー
それでも、ゴールの手をそっと握り返すことしかできなかった。
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彩姫の胸には、言い知れぬ違和感が渦巻いていた。
目の前にいるのは、かつて亡くなったはず
の親友、紫原椿一一赤い髪、あの時と変わ
らぬ笑顔。
どうして...椿がここに?
直感が告げる。
「これは、管理人の仕業だーー」
だが、誰が、何のためにーーそれはまだわからない。
あの理想的すぎる世界の裏に、何者かの意図が隠れていることだけは確かだった。
彩姫は目の前の光景を噛み締めながらも、眉をひそめる。
彼女の心に、戦いの予感が静かに芽生えていたーー
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彩姫は全力で、この異常な世界から抜け出す方法を探そうと、雪に相談した。
しかし返ってきた答えは、最初椿を見て驚いていたときとはまるで違ったものだった。
「彩姫?何言ってるの?変じゃないよ。ここは」
彩姫は言葉を失った。
雪の瞳は真剣で、揺るぎなく、自分の意志を伝えていた。
「確かに...ここは違う世界かもしれない......でもね?ここではゴールと結ばれてるの。
ずっと夢見てた"本当の幸せ”なの。彩姫。
あなただってそうじゃないの?
私は......ここにいたい」
その言葉は、彩姫の胸に深く突き刺さった。
理解と戸惑い、そしてほんの少しの痛みーー
雪の幸福を否定できない自分がいることに、彩姫は気づかずにはいられなかった。
管理人が雪に見せたのはーー
"最も求めていたけれど、決して手に入らない理想の世界”だった。
彩姫はその光景を見つめながら、息を呑む。
雪はもう、その甘美な幻想に溺れていたのだ。それほどまでに、彼女の"想い”は本物だった。
それでも今なら止められると心のどこかで思っていた。
「でも…!」
「雪!!」
そのとき、ゴールが雪を呼びに現れた。
「...今行く!じゃあね」
雪は微笑みを返し、彩姫の視線を気にも留めずにその場を離れていく。
彩姫はふと、雪の言っていたことの意味を理解したーー
ここは本当に雪が望んだ通りの世界。
雪とゴールが本当に結ばれている、偽りではない”理想の世界”だったのだ。
人物紹介(追加)
草野紅葉【固有魔法 緑】(通称モミ)
中等部2年生Bクラス
兄と同じく髪色にミントの葉のピン留めをつけている
彩姫の妹、ヌヌと恋人関係。
呪いで1度人形に変えられたが、ヌヌのお陰で人間に戻ることができ、自由自在に人形に変幻できる。
最近の悩み「人形の姿だと可愛がられて嫌だけどヌヌちゃんが喜ぶからどうすればいいか分からない」
椿ヌヌ 【固有魔法 人形化】
中等部2年生Bクラス
ツインテール。片方にのみ、ハートの飾りがついた髪ゴムをつけている。
椿彩姫の妹
彩姫が魔法で人形を作った際に偶然出来た人形だったが、人格が芽生え、人間として生きれるようになった。
血は繋がっているかは不明だが、本当の姉、妹のような仲。草野紅葉と恋人関係。
最近の悩み「人形って結婚できるのかな?」