第2章 7人の管理人 魂と引き換えの願い3
「.....来たな。未来を歪めたい者たちよ」
その声は音として耳に届くのではなく、直接脳に響くような、不思議な感覚だった。
彩姫は一歩前に出る。
「あなたが.....時の管理人一?」
トキは静かに頷いた。
背後には三つの時計が浮かんでいる。
チクタクと、規則正しい音を刻むその光景は、時間の存在そのものを押し付けるようだった。
金色に輝く「止まる時計」
白銀の「未来へ進む時計」
漆黒に沈む「過去へ還る時計」
彩姫は目を見開く。
「私たちの友人が......狐女のせいで意識を失った。彼女を助けたいんです」
トキは軽く首を傾げる。
「ならば、過去に戻れ。狐女と出会う前に。.....ただし、”代償”を払え」
彩姫は眉をひそめ、ぎゅっと拳を握った。
「......代償?」
朱鷺の仮面の下で、トキは笑ったように見えた。
「君たちは"雪”のために願うというが、過去に戻れるのは"雪自身”しかない。
そしてその代わりに、"彼女の心から一つ、大切なもの”をいただく一それが取引だ」
トキが指を鳴らすと、空間の奥に氷山雪の魂が浮かび上がった。
小さな赤い灯がキラキラと輝き、まるで雪自身の意識がそこに凝縮されたかのようだった。
「これは彼女の"想い“一
彼女は、想いを失うことに同意した。この契約をなかったことにすればいい。
幸い、この魂は俺の手にある。彼女の魂を返してやってもいい」
そう、面倒くさそうに告げられた瞬間、彩姫もピーターも言葉を失った。
心の中でざわつく不安と、雪を救えるかもしれない希望が、同時に押し寄せてきた。
彩姫は思わず後ずさった。
「ち、ちょっと待って!?
その......なんで......私たちに都合のいい提案をしてくるわけ?」
心の中で呟く。
何も、いいことなんてないはずなのに.....。
トキは静かに俯いたまま、ゆっくりと口を開いた。
「数ヶ月前に.....お前を見たことがある」
彩姫は思わず息を呑む。
「え......?」
トキはゆっくりと続ける。
「......あの時、飛び出してきた車に子どもが轢かれそうになっていた。
魔法も間に合わないくらい、ピンチだったろう......。
ろう.......
それなのに.....お前は、子どもの命を懸けて守ろうとしていた。
その行動に......心を打たれた」
その一言だけで、トキは仮面をクイッと上げた。
「......それだけだ」
彩姫は口を開きかけて、思わず声を漏らす。
「え......?」
「あ゛?」
その瞬間、漆黒の時計が部屋いっぱいに激しく鳴り響いた。
雪の魂が、小さな赤い光を放ちながら、過去の時間軸へと引き戻されていく。
彩姫の視界が揺れる。
トキは淡々と、しかし確実に、狐女に魂を渡したように見せかける幻術を行っていた。
時間の巻き戻しと記憶の捻れーー
狐女の目を欺くための計算された手段だった。
「今回だけだ。次は敵だ」
トキはそうだけ告げると、彩姫とピーターに向けて静かに転移魔法を放った。
眩い光に包まれ、二人は意識が引き裂かれるようにして、強制的にその場を去らされる。
視界が切り替わると、二人は外に追い出されていた。
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彩姫とピーターは息を切らしながらも、必死に雪の寝ているベッドまで駆けつけた。
雪の小さな体に手を伸ばし、魂を丁寧に体に戻す。
しばらくの静寂のあとーー
雪の胸がゆっくりと上下し始めた。
小さく、弱々しいが確かに呼吸をしている。
「よ、よかったぁ~」
彩姫は思わず胸をなで下ろす。
涙が一粒、頬を伝った。
その横で、ピーターが険しい顔をして小さく唸る。
「あいつ......彩姫にこころ奪われたって言ってた。
......殺すか」
彩姫は慌ててピーターの肩を叩き、怒り混じりに言った。
「物騒なこと言うな!!!」
ピーターは少しだけ肩をすくめ、しかし彩姫を守る決意はそのままに、鋭い目で周囲を見回す。
雪はまだ眠ったままだが、その呼吸は確かに命の温もりを取り戻していた。
彩姫は深く息を吸い込み、そっと雪の額に手を添える。
「これで......大丈夫......」
だが、二人の胸には、まだ先がある戦いへの緊張と覚悟が残っていた。
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数時間の時間が過ぎた後一一
氷山雪はゆっくりと目を開けた。
目覚めた瞬間、彼女はまだ少しふらつくようにベッドで身を起こすと、申し訳なさそうに彩姫とピーターを見た。
「ご、ごめんなさい......」
彩姫はすぐに手を伸ばして雪の手を握る。
「大丈夫だよ、雪。もう無事だし」
雪は小さく息を吐きながら、震える声で話し始めた。
「.....神社で、狐のお面を被った子どもに出会ったの。
それで、多分......眠っている間に、過去に飛んでいたみたい」
彩姫は真剣な表情で尋ねる。
「どんな時代だったとか、覚えてる?」
雪は首をかしげ、少しうつむいた。
「......ごめん。記憶が曖昧で......あんまり覚えてないの。
でも、子どもの頃に見た景色だってことは、分かる」
「.......そっか!」
彩姫はほっと胸をなで下ろし、笑みを浮かべた。
雪も小さく頷き、彩姫に向かって微笑む。
忘れてしまったとしても一一今こうして、二人のそばに戻れたことが何よりも大事だった。
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だが一一雪の心は、完全には元の時代に戻れてはいなかった。
過去にいたあの時間の記憶は、鮮やかに残っている。
楽しかったーーあの頃の中等部での毎日。
ゴールと一緒に笑い、友達と過ごした、何気ない時間のひとつひとつ。
胸が温かくなるような、幸せな思い出。
「あのままずっと......過去にいれたら......」
そう思った瞬間の自分の弱さを、雪は誰にも打ち明けられなかった。
彩姫やピーターに話してしまえば、きっと悲しみだけが返ってくるーーそう感じたからだ。
中等部にいた自分の姿、あの時感じた心の高鳴り、笑顔で過ごした日々ーーすべてを伏せ、雪は静かにベッドに身を沈める。
「言えない.....言ったら、辛いだけだから......」
小さな声で、雪は自分自身にそう言い聞かせた。
でも心の奥では、過去の記憶が消えずに、そっと微笑んでいる。
彩姫たちには知られないままーー
雪は、まだ過去の幸福を胸に抱えていた。
神社の闇の中、狐女は漆黒の夜風に髪を揺らしながら、怒りを露わにしていた。
「朱鷺......あの子の魂を返すなんて、信じられない!
せっかく手に入れたものを、なんで勝手に.......!」
トキは、冷静なまま腕を組み、落ち着いた声で返す。
「なぜ怒る?ちまちま小さな魂を集めるよりも、強大な魂を一度に手に入れた方が、効率的だろう」
一一冷たい月光が二人を照らす中、狐女は静かに、しかしその声には揺るぎない権威が宿っていた。
「.....朱鷺。あなたの言い分も、一理あるわ」
狐女はゆっくりと口を開き、漆黒の夜に響かせる。
「でもね、遅くなればなるほど、欲しいものは手に入らない。
お互い、目的は同じでしょ?」
トキは腕を組んだまま俯き、狐女の言葉を受け止める。
「分かったら......私のやり方に従いなさい」
狐女は冷たい月光の下、狐面越しにトキを見据える。
「今回だけは目を瞑るわ」
一瞬、静寂が流れた。
トキは、淡く光る懐中時計を握りしめたまま、わずかに肩をすくめる。
「.....了解。今回だけ、だな」
彼の声には従順さと、ほんの少しの不満が混ざっていた。が、リーダーである狐女の決定に逆らうことはない。
狐女は短くうなずき、夜風に髪を揺らした。
「よろしい。これで、計画は滞りなく進むわ」
利害は一致している。だが、方法論の違いによる小さな火花は、静かに夜の闇に消えていったーー