第2章 7人の管理人 魂と引き換えの願い2
眠ってしまった雪を前に、彩姫とピーターは思案を重ねていた。
何が起きたのか、どうすれば助けられるのか一一答えは、都市伝説のような噂の中に隠されていた。
「......聞いたことあるか? 7人の管理人の話」
ピーターが低く呟く。
彩姫は首を振る。
「狐のお面の女に願いを叶えてもらうと、魂を抜かれるらしい......」
その言葉に、彩姫の胸がぎゅっと締め付けられる。
そして、もう一つの情報。
「"時間を巻き戻す"時計を持つ者がいるらしいーー『時の管理人・トキ」だ」
彩姫は固く拳を握った。
「過去に戻れるなら......雪を、助けられるかもしれない」
しかし、時計を使うには代償が必要だという。
魂の代わりに、何を差し出すのかーーそして、誰がその時計に触れるのか。
彩姫の瞳は決意に光る。
だがその背後で、わずかな恐れも胸にひそんでいた。
代償が大きすぎるかもしれないことを、彼女は理解していた。
雪を救うためー一彩姫は、すべてを覚悟しなければならなかった。
雪は驚きのあまり、思わず息を呑んだ。
「(何故ここに......あの時のゴールが......)」
目の前に立つ、あの頃のゴール。
中等部時代の面影そのままの笑顔を向けられ、雪は戸惑う。
ゴールはそっと雪の頭に手を置き、優しく撫でながら言った。
「大丈夫か?どこか痛いところでもあるのか?」
慌てて雪は首を振り、「大丈夫」と答える。
その返事を聞くと、ゴールはホッとしたように顔を緩ませた。
「(そんな顔.....菜花と付き合ってから、一度も見せなかったくせに......)」
雪の胸の奥で、昔の記憶と今の自分が交錯する。
無意識に自分の姿を確認しようと、鏡代わりに近くの窓に目をやる。
やはり中等部時代の制服に、髪型はハーフアップ。
鏡の中の自分を見て、雪は息を吐いた。
「(やっぱりここは......私が戻りたかった青春の時代。
ゴールとずっと傍にいられると、勘違いしていたあの時代......)」
さらに思い出が胸に迫る。
「(この時の私は......ゴールに彼女なんてできると思ってなかった。
おんなじ気持ちだって......思ってたんだっけ......)」
その時、保健室のドアが勢いよく開く音がした。
「雪ちゃん!!大丈夫?」
目の前に現れたのは、牛乳瓶の底のように厚い地味な眼鏡をかけ、髪を一つにきっちり結んだ少女。
校則をきちんと守った真面目な服装が、昔の雪には眩しく映った。
「(あぁ.....嫌でも思い出してしまう......)」
雪の胸がぎゅっと締め付けられる。
その少女、花園菜花は、優しい声で微笑んだ。
「大丈夫だよ、雪ちゃん」
雪はその言葉に少し救われると同時に、胸の奥に、複雑な感情が押し寄せるのを感じていた。
雪の胸に、黒い感情がひそかに渦巻いた。
「(菜花......。いつ見ても思ってしまう。
なんで、こんなやつにゴールを取られたんだろう......)」
わたしの方が.....わたしの方が......
嫉妬という名の、澱んだ感情が雪の中を流れる。
だがその黒い感情も、すぐにかすかに薄れていった。
なぜなら、目の前にいるゴールが、笑顔で優しく声を掛けてくれたから。
「何かあったら言えよ?俺は......お前のことを、何があっても助けるから」
この時代の雪とゴールの頼は、菜花との関係よりもずっと厚かった。
誰もが雪とゴールを恋人同士だと誤解するほど、二人の間には自然な親密さがあった。
そのため、雪は自分に自信を持てたーー「このままなら、彼と恋仲になれるかもしれない」
しかし、菜花が隣で微笑むだけで、胸の奥がざわつく。
「雪ちゃんは可愛くて羨ましいなあ」
「そんなことないよ。菜花も可愛いわよ」
雪は思わず心の中で吐き捨てた。
「(そんなことあるに決まってるじゃない。
私は......ゴールに好かれたくて、自分を磨いているんだから)」
一緒にされるのは、耐えられないーー。
自分でもその感情を嫌悪していた。
菜花が良い人だから、ゴールと付き合えたことも知っている。
でも、それでも、どうしても消えない気持ちがあった。
「(わたしの方が......好きだったのに)」
胸の奥にひそむ、黒くて醜い想い。
雪はその感情を、誰にも見せず、ただ心の奥に押し込めた。
学園の裏手、木々に隠された石造りの塔一一その古びた建物は、長い年月の間、誰も近づかない場所だった。
だが今、何十年も止まっていたはずの大時計の針が、静かに刻を刻んでいる。
「ここが......古びた大時計.....」
彩姫は低く息をついた。
隣にいるピーターも眉をひそめ、慎重に塔の扉を押す。
螺旋階段を一段ずつ、音を立てないように昇る。
石の冷たさが指先に伝わり、塔の中を漂うひんやりした空気が、緊張をさらに引き立てた。
やがて、最上階の部屋が開けた。
巨大な歯車がゆっくりと回り、天井からは揺れる振り子がぶら下がる。
そして、そこに立つ人物一一時の管理人・トキ。
淡く光る懐中時計を片手に、ゆっくり振り向く。
深紅の衣装が闇に浮かび、そして何より目を引くのは顔を覆う仮面だった。
朱鷺を象ったその仮面は、不気味に光を反射し、目元の奥は一切見えない。
「.....来たな。未来を歪めたい者たちよ」