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境界を歩く者たち  作者: 星渚歌唄
第5章 君がくれた真愛

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錯綜

先頭の影が一歩踏み出した瞬間、煙の幕がふわりと裂けた。

そこに立っていたのは一一見慣れた赤髪。鮮やかで、炎のような赤。


彩姫の瞳が大きく見開かれる。

喉の奥から、信じられないものを見たような、かすれた声が漏れた。


「......なんで......?」

赤髪に、煌びやかな瞳。

彼女がここにいるはずはないーーそう、心のどこかで確信していたはずだった。

だが、現実は残酷に、その姿を目の前に突きつけてくる。


「…ルビー姉......?」


空気が、一瞬にして凍りついた。

天袮も、寧音も、目を見開いたまま動けない。

その者はかつて彩姫の隣で笑い、肩を並べて戦ったその人物が、今一一敵の列に立っていたからだ。

赤髪の少女ーールビーは、昔のような柔らかい微笑みを見せなかった。

代わりに、その唇から零れたのは、氷の刃のように鋭い声。


「......彩姫。ここにいるとは。任務に支障が出る」


その声音には、懐かしさの欠片もなかった。


冷徹で、まるで他人に向けるようなーー"秘刑隊”としての声。


「な、んで......どうして、ルビー姉が......!」


彩姫の声が震える。

しかし、ルビーは一切の感情を殺した瞳で彼女を見据え、淡々と告げた。


「秘刑隊として来ただけ。私情は挟まない。

それが私の条」


一歩

ー一彼女が前に踏み出す。

その足取りに、かつての優しさはない。容赦も、迷いも、ためらいも。

ただ冷たい決意だけが、聖堂の石床を震わせた。

彩姫の胸の奥で、何かがギシリと音を立ててひび割れていく。

"姉”と呼んだ人が、敵として立ちふさがる。

その現実が、彼女の心に突き刺さった。


「敵であろうと、味方であろうと一一命令に逆らう者は、排除する」


静寂を切り裂くような、鋭く澄んだ声だった。

ルビーの手には、紅蓮の輝きを帯びた魔剣。

刃先からは、赤い燐光が舞い上がり、まるで血のように空気を染めていく。

その目に迷いはない。

任務は絶対一ーかつて誰よりも情に厚かった少女は、いま、感情ではなく「組織」への忠誠を選んでいた。

次の瞬間、紅の魔剣が宙を薙ぐ。

振るわれた一閃が空間を裂き、空気が悲鳴を上げるように軋んだ。

天井に嵌め込まれていた巨大なステンドグラスが砕け散り、色とりどりの破片が閃光を散らしながら宙を舞う。

紅と青と白一一光の粒が舞い上がる中、現実だけが冷酷に突きつけられる。


「彩姫、天袮くん!......ここは退くしかない!」


寧音が即座に声を張り上げた。

その瞳には、戦いではなく "撤退”の決意が宿っている。

天祢も周囲を見渡し、すぐさま寧音のところに行き、短く呟いた。


「このままじゃ.......囲まれる」


大聖堂の至る所に、秘刑隊の影が立ち並び始めていた。彼らは無音で動き、瞬く間に包囲の輪を狭めていく。

だが一一彩姫はその場に立ち尽くしていた。

目の前にいるのは、いつか笑い合い、背中を預けた"姉の姿。

なのに、その刃は一一確かに、今、自分へと向けられている。


「.....っ!」


現実が、胸に鋭く突き刺さった瞬間。

寧音が彩姫の手を強く掴んだ。


「今は考える時間すらない、逃げて!!」


その声と同時に、寧音が地面へと魔力を叩きつける。

付加魔法が炸裂し、床が爆ぜた。

熱と砂埃が巻き上がり、陽炎のように視界が揺らぐ。

その一瞬の隙間に、退路が切り開かれた。

天祢が間髪入れず空間魔法を展開する。歪む空気の中に、異空間への入口が現れた。青白い光が渦を巻き、逃走の道を作り出す。


「行くぞ!」


天祢の低い声と共に、寧音が彩姫を引き込み、全員がその裂け目へと飛び込む。

その直前一一背後から、氷のように冷たい声が響いた。


「追え。逃がすな」


ルビーの命令だった。

その声音には、一片の情もなかった。


数名の秘刑隊が一斉に地面を蹴り、黒い影となって異空間の裂け目へ飛び込もうとする。

しかし、天袮が振り返りざまに両手を広げ、空間を閉じる魔法を叩き込んだ。


「そう簡単には.....来させない」


空間の入口がバチン、と音を立てて閉じ、黒い影の指先がわずかに届く寸前で弾かれた。

次の瞬間、世界が反転しー一彩姫たちは異空間の中へと消える。

残された大聖堂には、粉々に砕けたステンドグラスが舞い落ちる音と、紅い魔剣を握りしめるルビーの冷たい横顔だけが残っていた。


異空間の回ーーそこは、まるで現実と夢の狭間のような世界だった。

足元には薄く光る魔法陣が幾重にも重なり、青白い軌跡を残しては次々と後方へ流れていく。空気は重く、耳鳴りのような低い音が響き続け、空間全体が微かに脈打っていた。

彩姫たちはその中を、息を切らしながらひた走っていた。

背後では、異空間を裂いて別ルートから追跡してくる秘刑隊の気配が、じわじわと迫ってくる。黒い影がちらりと視界の端をかすめるたび、背筋が冷たくなる。


「......どうして、ルビー姉が.....」


彩姫の震え混じりの声が、ひどく遠くに聞こえた。

言葉を吐き出した瞬間、胸の奥から溢れ出すのは混乱と痛み。じたくない現実が、何度も心を叩きつけてくる。

寧音が先頭を走りながら振り返りもせずに叫んだ。


「それを考えるのは、止まってから!」


その声は鋭く、彩姫の迷いを断ち切るようだった。

天袮は最後尾から仲間たちを守るように走り、後方の空間の歪みに目を細める。


「奴ら、完全に殺る気だ。次に会った時は、迷うな」


その声音には、いつもの冷静さに加えて、薄い怒りの色が滲んでいた。

彩姫は唇をぎゅっと噛みしめる。

迷いたくなんてない。でも一一相手は、ルビー。姉のような存在。


(ルビー姉......本当に、敵になったの......?)


心の奥底に絡みつくような痛みが、じわりと広がる。

胸の中心を冷たい手で掴まれるようで、息が詰まった。

それでも一一彩姫は足を止めなかった。

風を切り、歪んだ異空間を駆け抜ける。

涙が零れそうになるたび、その一滴を風がさらっていく。

迷いと痛みと恐怖を抱えたままーーそれでも、前に進むしかない。

背後から迫る気配は、確実に距離を詰めてきていた。

次に振り返ったとき、彼女たちの背後にいるのはーーもう、敵の刃かもしれない。

___________________________

次元のひずみが、重苦しい音を立てて閉じた。

周囲は一瞬で静寂に包まれる。

木々は鬱蒼と生い茂り、昼間であるはずなのに陽光は一切届かず、森全体が薄い霧に覆われていた。湿った空気が肌に張り付き、耳元で何かが囁くような錯覚さえ覚える一ーまるで、世界そのものが息を潜めているかのようだった。


「......っ!」


天袮が地面に膝をついた。強行した転移の反動が一気に身体を襲ったのだ。

すぐに寧音が駆け寄り、彼の体を支える。


「.....急ぎすぎたから…大丈夫天袮くん?

…でも......なんとか逃げーー」


その言葉が最後まで続くことはなかった。

ピリ......と、空気が裂ける音が背後から響く。

一同の背筋に、氷柱を突き立てられたような寒気が走った。

天袮の魔法の効果が切れてしまったのか、振り返った瞬間、霧の奥の空間に蜘蛛の巣のような「亀裂」が走り、そこから凍てつくような気がゆらりと漏れ出してくる。

天袮が低く、喉の奥で唸るように声を上げた。


「......っ、来るな!」


だが、それは間に合わなかった。

異空間の裂け目から、最初に現れたのは__一本の銀の鎖。

蛇のように空中をうねり、森の空気を締め上げるように音を立てて伸びてくる。


「もう逃がしはしないわよ」


霧の向こうから、悠然と歩み出てきたのは女王だった。

月光のように淡く輝く荘厳なドレスに身を包み、表情はまるで能面のように無機質。

その微笑みは優雅ですらあるのに、底に潜むのは確固たる支配の上だった。

その背後に、黒衣に身を包んだ秘刑隊の数名が無言で並び立つ。

そしてーー


「......っ......」


彩姫の瞳が大きく見開かれた。

霧の奥から、ゆっくりと歩み出てきたのはピーターだった。

整った顔立ちに、感情の色は一切ない。

瞳は暗く、底知れない闇を湛え、光を完全に失っている。

額には銀の鎖が食い込み、皮膚を穿って脳にまで達しているかのように深く根を張っていた。まるで「人間」という器を侵食する呪いそのものだった。


「.......っ!」


彩姫の心臓が、ドクンと激しく脈打つ。


「ピーター!!やめて!......戻って!!」


震える声で、彼に向かって必死に叫ぶ。

しかしーーピーターは一言も発さない。

立ち止まったその場で、無表情のままゆっくりと右腕を持ち上げる。

その動作は、生きている人間のそれではなかった。

感情も、迷いも、意志もなく.....ただ命令に従う「兵器」のような、完璧な機械的動作だった。

銀の鎖が、彼の指先と共に森の空気を震わせ、攻撃の前兆のように淡く光を放ちはじめるーー。


霧が風に攫われ、森の奥行きがじわじわと姿を現していく。

銀の鎖が空気を切り裂くたびに、耳を劈くような金属音が響き渡った。

寧音の結界はその度に波打ち、亀裂が走り、光の膜が不穏に揺れる。


「......もう少しだけ持たせられる.......っ!」


寧音の額から汗が滴る。鈴のブレスレットが震え、淡い音色をかき鳴らすが、迫り来る鎖の圧力には限界があった。

天袮の口元も苦々しく歪む。


「寧音.....お前を守るのが......俺の役目だ」


その声には、焦燥よりも決意の色が強く滲んでいた。

それでも彼の魔力は既に限界に近く、空間を歪ませる力さえ、今はか細い炎のように揺らいでいる。


「しょうがねぇ、魔力を追加するか」


そう呟く天袮だが、その背後で一一彩姫だけは動かなかった。

閉じられた瞳の奥で、ただ一人の姿だけを見つめている。

鎖の先に立つ人物。

奪われた心を抱えながら、なお彼女の前に現れた存在。


「.....来るなら、来なさい。ピーター」


その声は震えてはいなかった。むしろ凪のように静かで、覚悟を秘めていた。

そして一一彼が動いた。

操られた足取りに、迷いの影は一片もない。ただ一直線に、彩姫へと歩を進めてくる。


「悪いね、彩姫。.....君には、大人しく来てもらうよ」


その声は、優しかった。どこか申し訳なさそうでさえあった。

そこに確かに「ピーター」がいると錯覚させるほどに。


「......っ!」


彩姫の胸が一瞬、希望で震える。だが一一彼の歩みは冷徹に、ただ彼女を捕らえるためのものだった。


ガシッ


その瞬間、手首を掴まれる。

冷たく強靭な力が、彼女を逃さないように絡みつく。彩姫の瞳が大きく見開かれた。


「やめて!!」


バンッ!


全身の力を振り絞り、掴んだ腕を必死に振り払う。


「......ああ、痛いな」


彼はわずかに苦笑を浮かべた。その顔は、まるでいつも通りの「彼」のようだった。

しかしーーその目の奥。

覗き込んでも、そこには何もなかった。感情も、温もりも、すべてが虚無に吸い込まれていた。


「.....どうして、そんな顔で.......!」


彩姫の声が震え、喉が詰まる。


「お母様が言ってたよ。『君を無傷で連れて帰れ』って」


無機質な響き。

だがその言葉を紡ぐ声色は、皮肉にも優しい。


「そんな命令に従って......ピーターらしくもない!」


彩姫の叫びに、彼は一瞬だけ目を伏せた。


「らしくないか。.....うん、たしかに」


その呟きには、わずかに皮肉めいた笑みが混じる。

そして再び歩みを進める。

まるで避けられぬ運命に従うかのように、静かに、一歩ずつ。


「でも、君を壊されるくらいなら一一僕が君を捕まえるよ」


その言葉は鋭く胸を抉った。

彼の声で、彼の口から告げられるその矛盾。

愛情の残滓のようでありながら、同時に冷たい檻の宣告だった。


「.....違う.....それは、ピーターじゃない.....!」


彩姫の心は悲鳴を上げ、目の奥が熱くなる。それでも彼女は、決して目を逸らさなかった。

銀の鎖が、ふたりの間に音を立てて揺れたー

___________________________

霧がすべて消えた。

森の中に、張り詰めた沈黙と、銀の鎖が空気を裂く乾いた音だけが響く。

彩姫は、ピーターと真正面から向き合っていた。

彼の顔は、優しさと冷酷さが奇妙に同居している。

微笑みの形だけはいつも通り。

__けれど、その奥に宿るはずの「心の灯」が、どこにもない。

残っているのは、"彼らしさ”の残骸と、操りの鎖に縛られたの瞳。

それが、何よりも残酷だった。

胸の奥が焼けるように痛い。

戦いたくなんて、ない。

でも一彼を取り戻すためには、もう戦うしかないのだ。


「......行くよ」


彼女の瞳に、覚悟の色が宿る。

銀の風一一彼の得意とする魔法が、森の空気を一変させる。

葉が逆巻き、霧の名残を巻き上げ、地面に無数の細かな傷を刻んでいく。


「.....来てよ、彩姫。君を傷つけたくない」


「もう、充分に傷ついてる.......!お願い、戻って......!」


しかし、彼の手に集まる光が、その願いを拒絶する。まばゆい輝きが、森の闇を裂いた。

「サンライド」一一太陽の魔法。

かつて、彩姫を何度も救ってくれた、あの優しい光。

暖かいはずなのに、今は冷たく、敵意の色に染まっている。

ざわり、と。空気が震えた。

闇と光が交差し、朱に染まる石畳が、ゆっくりとひび割れていく。

まるで、この場所そのものが二人の心のみを映しているようだった。

ピーターの瞳は静かに彩姫を見据える。

その奥には、知らない「誰か」の影が揺れている。

彼自身の意志ではない、何者かの命令の

残響。


「.....君を守るために、君を傷つける」


その言葉は、淡々としていた。

叫びでもなく、怒りでもなく一ただ静かに、しかし確実に、彼は彩姫へと手を伸ばす。

光が、弾けた。

彩姫の心が、きしむ音を立てた。

彼女は震える手を握りしめ、立ち尽くすことをやめる。

逃げるのではない。

向き合うのだ、

彼を一奪い返すために。

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