願い
糸が癒された瞬間、空に舞う真名がクスッと笑い声を漏らした。
割れた仮面の欠片を髪飾りのように頭に差し、顔を隠さぬまま一一彼女は、まるで舞台に立つ役者のように堂々と手を広げる。
「ふふっ......止めれると思ってるの?」
その声音は甘やかでありながら、鋭い刃のように彩姫たちの胸を刺す。
「この子の歌声と響の糸はね、完璧に絡み合ってるの。誰も触れられないし、触れたら最後......魂を削られるのよ」
真名はニコニコと微笑んでいる。
しかしその笑顔は温かさとは無縁で、挑発と嘲笑だけを含んでいた。
「あなたたちがどんなに足掻いても、無駄。
せいぜい私を楽しませてみなさい?」
彼女の周囲に浮かぶ無数の糸が、闇夜の中で星のように煌めき、捕らえられた人々の魂を操りながらゆらゆらと揺れる。
彩姫たちを見下ろす真名の笑みは、勝者の余裕そのものだった。
真名の周囲に浮かんでいた無数の光一一奪い取られた魂の欠片が、突然ひとつの方向へと吸い寄せられるように動き出した。
「......っ!」
彩姫たちが息を呑む。
眩い光の粒子は渦を描きながら、夜の空間の一点へと集していく。まるで大地そのものが呼吸し、魂を飲み込もうとしているかのように。
真名はその光景を見て、唇を吊り上げる。
「ふふふ......集まっていくわ。ほら、私の夢のために......全部、ここに集まるの」
やがて魂の輝きはひとつの巨大な球体となり、淡い脈動を繰り返す。それは生き物の鼓動にも似て、見る者すべての背筋を凍らせた。
「.....まさか、あれを何に使う気だ?」
ピーターが低く呟き、天袮は無言で月色の瞳を細める。
真名は答えず、ただ空を舞いながら両手を広げーーまるで"完成した芸術"を誇示するかのように、その魂の塊を見せつけていた。
魂の塊が脈打つたび、学園の空気が重く沈み込む。
その異様な気配に呼応するように一ー
「やれやれ、騒がしいと思ったら.....」
闇を裂いて歩み出たのは響。手にはなおもバイオリンを抱え、無感情な笑みを浮かべている。
次に影の奥から現れたのは、鎌を担ぐシニガミ。彼は魂の塊を見て目を輝かせた。
「すごい......!こんなにも......こんなにも美しい......!!」
さらに、静かに空気を切り裂く気配。
そこへ足音もなく佇んだのは、黒衣の長身一一別の管理人。名を呼ばずとも、その存在感だけで周囲の温度が下がっていく。
「.....真名。随分と派手にやってくれるじゃないか」
冷ややかな声が響き渡り、彩姫たちの背に寒気が走る。
学園に降る毒混じりの雨の中、管理人たちが並び立つ。
しかしーー
ユイがふっと微笑み、白い画布を彩姫たちの前に掲げる。
「......私はあなたたちの側にいるわ。
だって"偽り”はいつも、人を救うためにあるものだから」
絵筆が走ると、雨粒の毒が虚像に弾かれ、彩姫たちに届かなくなる。
トキは腕時計を指で弾きながら、面白そうに周囲を見渡す。
「俺は観測者だ。
時の流れが示す結末を確かめたいだけだ。どっちの味方でもねぇ」
そして、ジン。
彼女は書庫から取り出した分厚い本を抱え、ただ黙ってそのページをめくっていた。
彩姫たちが対峙しているとき、アメは一歩引いて傘を開いていた。
毒混じりの雨がしとしと降り続き、地面に広がっている。
「......ご、ごめん......本当はこんなこと、したくないのに......」
雨の声は雨音に紛れて小さく震えていた。
それを聞いた寧音は一瞬だけ雨を見て、眉を寄せる。
「(この人......無理やりやらされてる?)」
でも真名は振り返りもしない。
「あんたなんかに期待してないわ。響、シニガミーーやりなさい」
その瞬間、響のバイオリンが鳴り、和歌の声が響き渡る。シニガミは困ったように真名のそばにいたーー。
彩姫はあえて距離を取り、ユイとトキの元に走り寄った。
「ユイ、教えて。あの狐女一ー真名は何を企んでるの?」
ユイは少し目を伏せ、手に持ったキャンバスを抱きしめるようにして答える。
「.....彼女は"夢"のために魂を集めてる。絵の世界に閉じ込める私とは違って、狐女は魂そのものを【燃料】にしようとしてるのよ。
叶えたい夢のために、ね」
彩姫は息をのむ。
「夢のために、こんなことを.....?」
そのとき、隣で腕を組んでいたトキが、肩をすくめて口を開いた。
「俺はどっちの味方でもない。だが一ー狐女がやろうとしてることは危険だろうな。時間を歪める可能性もある」
トキの目が鋭く光る。
彩姫は息を切らしながら全体を見渡した。
響の糸がうねり、和歌の歌が空気を震わせる。眠りについた人々の魂は、真名の手元で淡い光となり吸い込まれていく。
「......別れよう」
彩姫は振り返り、鋭い声で言った。
「響は......ピーターと天袮に任せる!」
すぐ横にいた二人は、無言で頷いた。
ピーターは軽く指を鳴らし、魔力を纏った光を指先に集める。
天袮は闇の魔法を展開して睨みを放った。
「......お前らが相手か」
響はバイオリンを構え、笑うように弓を走らせた。無数の糸が生き物のように天と地を走り、ピーターと天袮に襲いかかる。
「私は一一和歌を止める!」
彩姫は迷わず叫ぶ。
寧音が驚いたように目を丸くした。
「......彩姫、一人じゃ危ないよ!」
「だから.......寧音、あんたの力を貸して!」
彩姫は背を向けながら手を伸ばす。
寧音は小さく息を呑み、すぐに頷いた。
「......うん。任せて」
寧音の手が光り、彩姫の身体に【付加魔法】が宿る。
彩姫の足元から全身に力が満ちるようだった。
「ありがとう......寧音!」
彩姫は笑みを浮かべ、まっすぐ和歌の元へ走り出す。
和歌は涙をにじませながらも歌を続けていた。
首には、禁呪の魔道具が淡く輝いている。
「(あれを壊す!止めるんだ!)」
彩姫は寧音の【付加魔法】で強化され、魔道具を狙って一直線に走る。
だが和歌の瞳が彩姫を見据え、歌声のリズムを変えた。
「......壊すつもりなんでしょ」
低く震える声とともに、和歌の衝撃が地を這うように広がり、彩姫の足元を弾き飛ばす。
とっさに魔力で受け止めるも、全身が連れるような感覚に襲われた。
「(しまった......!思考を読まれてる!?)」
「私には......聞こえるの。あなたの心の声.......だから全部分かっちゃう」
和歌は泣きそうな顔をしながらも歌を止めない。
彩姫は歯を食いしばった。
「......心の声が聞こえるってことは......こっちの策も全部バレるってわけね」
和歌の歌声が空気を震わせ、見えない衝撃波となって襲う。
彩姫は前へ出ようとした瞬間、頭に「避けなきゃ!」と浮かびー一同時にその方向へ衝撃が走る。
「っく......!」
頬をかすめる風圧。血が一筋、流れる。
和歌の声は震えていた。
「......ムダだよ。考えた時点で、全部、聞こえるから」
彩姫は笑みを浮かべ、額の汗を拭った。
「一ーなら、考えない」
次の瞬間、彩姫は目を閉じて飛び出した。
剣を握り、ただ直感だけを頼りに。
和歌の耳には「心の声」が流れてこない。
「(.....なに......?何も、聞こえない!?)」
「いけぇえええええッ!!」
無我のまま振るった一閃。
狙いは完全に読めない。和歌がとっさに身体をのけぞらせるが一一彩姫の指先は、彼女の喉ではなく 首元の禁呪の魔道具を切り裂いた。
カシャンッ!
黒い鎖のような装飾が床に散らばり、魔道具が砕け散る。
和歌の歌声は途切れ、会場に張り詰めていた魔力が一気に霧散した。
彩姫が思わず駆け寄ろうとした瞬間一ー
ギイイイイン、と鋭い弦の音が空気を切り裂く。
無数の糸が彩姫を阻むように広がり、その合間を縫うように一人の影が歩み出た。
「......和歌」
バイオリンを抱えたままの響。
彼は焦る様子もなく、静かに和歌のもとへ膝をつき、まるで落とした宝石を拾うかのように彼女の身体をすくい上げた。
「立てなくなったか.......仕方ないな」
低く、淡々とした声。
だがその目の奥には、鋭い光が宿っている。
和歌は薄れゆく意識の中、掠れる声で呟いた。
「......▇▇......」
響は答えない。ただ彼女を腕に抱き直し、ゆっくりと立ち上がる。その動作には、焦燥も怒号もない。
響は腕に抱えていた和歌を、まるで壊れた楽器を床に戻すように静かに地面へ横たえた。
その仕草には優しさも乱れもなく、ただ「もう演奏の役に立たない」という無情な線引きだけがあった。
「......もう使えなくなったか」
淡々と吐き捨てるように言葉を落とす。
バイオリンの引先が床をかすめ、響の灰色の瞳がゆっくりと持ち上がる。
その視線の先一一立ちはだかるのは、ピーターと天祢。
「......なら、今度は僕一人で十分だろう」
弦をひとつ鳴らすと、空気が裂け、無数の糸が不気味に揺らめき始める。
それはまるで、響自身が巨大な操り人形師であるかのように周囲を覆い尽くしていく。
ピーターは一歩踏み出し、水色の瞳を鋭く光らせた。
「......その子を道具みたいに扱っておいて、よくそんなことが言えるな」
天祢は寡黙に肩を並べ、月色の瞳で響を射抜く。
彼の手の指先には、既に魔力の輝きが灯り始めていた。
緊張の糸が張り詰めるーー。
響の口元が、ほんのわずかに歪んだ。
「君たちも.....すぐに"弦”になるよ」
響とピーター、天袮の視線が交わった、その瞬間一一。
校庭の中央、魂が集められていた一点がまばゆい光を放ち始めた。
「......ッ!」
彩姫が思わず目を覆う。寧音も反射的に魔力障壁を展開し、光を遮った。
やがて、光の中心から風が吹き荒れる。
宙に浮かんでいた魂たちが震えるように揺らめき、まるで何かに呼応するかのように輪を描きながら舞い上がっていく。
光がさらに強さを増すと、狐女一一真名は逆に嬉しそうに口元を吊り上げた。
「ふふ.....ふふふ.......!やっぱり来たじゃない!やっぱり、魂は応えてくれるのよ!」
空を舞う髪が光に照らされ、真名の瞳は熱に浮かされたように輝く。
「そうよ......これこそが私の望んだ舞台!この瞬間のために全部仕組んできたの!」
彩姫は思わず身構え、ピーターも険しい表情で剣を握り直す。
だが真名は恐怖も緊張もなく、ただ惚とした笑みを浮かべていた。
「もっと光りなさい!もっと響きなさい!私の夢のためにーー!」




