死生の境
5/30まで、平日(土日祝は休み)に投稿していきます。
なお、4/18までは、1日3回投稿します。次回は4/21平日からの投稿となります。
人生において万事休すの場面は幾度かある。俺にとっては、例えば心臓病が悪化したとき、リストラで生計が立てられなくなったとき、漆黒のドラゴンと対峙したとき。まあ、数えてみれば結構あるか。そして、現在のこの場面もまた絶体絶命の万事休すだ。だけど、万策が尽きたわけでもない。心臓病を患っていた功名かもしれないが、死の恐怖はない。そうだ、こんなにも環境が様変わりしている世界なのに、俺はいたって冷静でいられるのは死生観がそうさせているのだろうな。
それに、強敵とはこれからいくらでも対峙するだろう。その度に逃げるなんて算段は二度目の生において、ない。
「いかに最後を誇れるか」
そういうことだ。この死生観は40歳を迎えて生まれたものだ。心臓病も日に日に悪化し、人生に夢や希望を持つことも叶わない年齢になってはじめて人生の最後に目を向けた。そのときに生まれた価値観。誇れた人生であったと、自惚れであってもいいから感じたい。最後が強敵との戦いなら最高じゃないか。
俺は刀の鞘に手を置き、抜刀の構えをとった。この抜刀ぐらいしか様になる技がないのだから仕様がない。そもそも居合抜刀のなかの一つの型だけは、独りで練習はできた。しかし、これ以上の刀技となると師匠がいない限り決して身につくものではないことも知っていた。
『申し訳ありません。索敵術を使えれば接敵を許すことはなかったのですが』
「気にするな。ルルナは俺を復活させて力が枯渇しちまってるんだろ。それよりも、千年後に起きて直ぐにあの世に逝っちまうかもしれねえ。それこそルルナに申し訳ねえよ。だが、俺の今生の際まで付き合ってほしい」
『もちろんです。いつまでもマスターと共に在ります。ですが、逃げ切る機会はあるはずです』
ルルナの応えを聞きながら思う。イノシシよりも次元の違う強さというと、木々をなぎ倒したくらいだ。戦車なみだろうか。それから逃げるっていうのは、普通の人では無理だろうな。だが、
「ルルナ、期待してる」
と返答した。ルルナが頑張るって言うんだから、それを否定はしない。俺はただ刀を持っていることに感謝するだけだ。俺が憧憬してやまない武術、そのなかでも刀は男にとってロマンの塊だ。それを手にして、強敵に対峙できたのは幸せ以外にない。ただ一瞬で殺されて無様に屍を晒すことになるかもしれない。それでも、強敵と相戦いたいのだ。強敵という生命力の賛歌を体現したものに対峙できること。それが命の脆弱性を抱えていた俺が、互いの命が対等であると錯覚できる場でもあるから。妄執ともいえる生命力に対する憧れが、病気という呪いが解けた現在もなお刻印となっていた。
一瞬にしてユニーク・ゴブリンは間合いを詰めてきた。同時に振り上げた棍棒を打ち下ろす。
しかし、俺の抜刀の方が速かった。ちょうどゴブリンが棍棒を振りかざす上腕部の内側に刀の切先から物打ちが当たり、撫でるようにして斬り裂いた。本当に偶然といっていい。抜刀の円を描く軌道上にユニーク・ゴブリンはいた。そして、相手の勢いを利用して、俺は刀の棟に手を当てるだけで内側上腕部を深く切り裂いていく。そのまま相手のわき腹を身を屈めて通り抜けた。すると、刀は自然と下段の構えになっていて、間髪入れずにゴブリンの背中を斬り上げた。
だが、背中には届いたが十分にダメージを与えられなかった。僅かに間合いが遠かったのだ。
「いや、深追いはできない」
再び納刀してユニーク・ゴブリンと向き直る。この戦いは長くは続かないな、と漠然と思った。今はまだ格下だと思って手を抜いて接しているが、あと二回ほど斬り合えば、多分、いや間違いなく本気になって殺しにくるだろう。それで終わりになる。
「ルルナ、あの体から出ている湯気はなんだ?」
先ほど切り裂いた背中から蒸気のようなものが吹き上がっていた。
『あれは再生の陽炎です。力の次元が上位である者は、下位存在の攻撃を無効化できます。その無効化現象を通称として再生の陽炎と呼びます』
「っ! まぢか。攻撃が一切通用しないってのはさすがに絶句すぎる」
『はい、マスターとあのユニーク・ゴブリンとの力の次元の差は2ですが、無効化に多少の時間を要しているようです。どうやらマスターの刀技が効いているようです。できれば脚に攻撃を集中して頂ければ、逃げる時間を稼げるでしょう』
「脚を狙えっていうのか。無茶にも程がある」
先ほどのゴブリン同様に脚狙いか。俺のチャンバラ程度の技量では狙いを定めるなんて、雲の上の技術といえる。絶望するしかない相手だが、しかしどうにも俺は嬉しいらしい。強い相手との対峙は本当に素晴らしい。生命とはかくも強靭で美しいものなのだと実感させられて、心が踊るようだ。
またも棍棒持ちは、一足飛びで間合いをつめ棍棒を地面を削るようにして振り上げた。それが幸運にも、アイダの抜刀の切先が相手の手首に引っかかる形となった。それがゴブリンの神経を斬ったようだった。棍棒の技が発動したが、手首のコントロールが利かずに、あらぬ方向の木々を粉々にして終わる。
俺は無我夢中だったため何が起こったか分からなった。ただ俺は抜刀しただけだし、相手は直線で向かってくるから刀が当たっただけのはず。アイダがもし武術をもう少し分かっていたら、これが正中線をとる意義なのだと分かったことだろう。
アイダに理解できたことは、相手の動きは目で追えないくらいに速くて、自分の動きは恐ろしく遅いということ。そして半ばパニック状態になりながら、戦っているということだけだった。
「もしかして直線で襲って来ている? 直線でしか攻撃できない猪突猛進型ってか」
確かにその通りであった。力の強い者は得てして戦いが単純になりやすい。はっきり言って力任せに殴って勝てるのだから、単調になるのは道理だろう。しかし、気づくのが遅すぎた。ゲームの世界ならボスの攻撃パターンは反復し続けるが、現実世界ではそうはならない。相手も戦いの中で成長していくのだから。
棍棒持ちは大きく雄たけびを上げ、一足飛びに間合いを詰める。しかも直線じゃなく、曲線を描き、フェイントまで織り交ぜてきた。
三度の跳躍と突進に対して、アイダの抜刀はむなしく空を切ってしまう。ついには重い棍棒が背中にめり込んだ。
骨の折れる音がした。受けた衝撃そのままに木々に叩きつけられいく。それが勝敗の決定打になった。木の枝に下腹部を貫かれてしまったのだ。まるでモズの早贄だな。そう思うと同時に、それでも自分の右手が刀を離さないままでいるのに気づいてニヤリと笑った。俺の気持ち通りに体が刀を握っていてくれる。そりゃあ最後まで戦わないとなあ。しかし、息を吐こうとして、血を吐いた。鼻からは血が滝のように流れて止まらない。
あー、これは死ぬな。
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