西方の檻①
3月の投稿は不定期となります。
張り詰めた空気の本営を背にして、アルドは喧噪が響く炊き出しの場へと歩を進める。隣を歩くココミに声を潜めてこれからの算段を話し始めた。
「これから王軍の主力は中央平原の防衛に向かうことになる。ここは、戦場になってしまうな。だから、俺はトレドと出稼ぎ人たちにはドルフ村に帰らせようと思っている」
「そうですね。彼らを危険な目に遭わせるわけにはいきませんし」
「ああ。だが、あいつらは義理堅いからな。『俺たちも戦います!』とか言って従軍を希望してきそうだ。素直に首を縦に振るとは考えられん」
「ふふ、確かに言い出しそうです」
「だから、『ドルフ村から追加の医療品や物資を運んできてくれ。お前たちはその護衛、いや荷役隊だ』と頼むつもりだよ。それなら納得してくれるだろう」
「‥‥‥それなら、道中の護衛にアンネさんを付けるのはどうでしょうか? 万が一、道中で亜獣の残党と鉢合わせたら大変ですから」
「アンネか。彼女にはココミの傍にいてもらうつもりでいたが‥‥‥うーむ。それもそうだな、後で話をつけておこう」
アルドが人員配置に悩んでいる間に、二人の足は炊き出しの広場の中央へと辿り着いていた。
そこでは兵士や避難民たちの活気と、温かい食事の湯気が立ち込めている。ふと見れば、商人トレドが厨房や食事をする者たちの間を凄まじいスピードで駆け巡り、ドワッフ族の味覚の嗜好調査に余念がない様子だった。
(こんな状況でも商売第一か。あの商魂の逞しさは、ある意味見習わねばな)
アルドは苦笑交じりに思いながら、ココミと共に炊き出しの列に並んだ。
一般の兵士たちには、まだアルドの「正体」や本営での出来事は伝わっていないらしい。並んでいる兵士の一人が、気さくに声をかけてきた。
「あんたら、避難民か?」
「まあ、そんなところだ。俺たちも炊き出しに並んでいいか?」
「気にするな。明日には魔物の餌になってるかもしれないんだ、美味い飯の列くらい誰が並んだって同じだろうよ」
「俺も微力ながら軍に協力するつもりだ」
「ははは! 戦うのは俺ら兵士に任せとけって。‥‥‥うーん、あんたの隣の子、娘って言うには年が近いか。同郷の身内ってところだな?」
兵士はアルドとココミを見比べ、独りごちるように遠い目をした。彼もまた、故郷に残してきた家族を思い出しているのだろう。
しんみりとした空気が流れたが、兵士は急に何かを思い出したように、ぱっと顔を輝かせた。
「そうだ! 今回の炊き出しには、行商人から買い取った『調味料』が入ってるって聞いたぜ。これがすげえ美味いらしい! あんたらも運がいいな。あの味の全くしねえ野戦食がご馳走に化けてるらしいぜ」
風が、食欲をそそる匂いを運んできて、列に並ぶ兵士たちの腹の虫が一斉に鳴った。「早く食いてえ!」「たまらねえぜ!」と口々に叫ぶ声が積み重なる。
そんな彼らの熱狂の隣で、アルドとココミはこっそりと顔を見合わせた。
そう、その調味料はドルフ村からトレドが持ち込んだもの。どうやらトレドは王軍の胃袋を完全に掌握したらしい。これなら今後のドルフ村とドワッフ王国との商取引も、圧倒的優位に進むだろうとアルドはココミに片目を瞑ってみせる。
少し離れた土手に座り、アルドとココミは木皿に盛られた雑炊を堪能した。
その雑炊に使われているのは米ではなく「赤麦米」と呼ばれるドワッフ王国特有の穀物。米に似ているのは見た目だけで、もちもちとした強い歯ごたえが特徴的だ。本来は味も香りもない無骨な食材だが、ドルフ村の岩塩と出汁がうまく働き、ほのかな甘みと深い風味を引き出している。
「この塩加減、絶妙ですね」
「この塩もドルフ村から持ってきたのか?」
「はい、一通りの調味料は持ち込んでいますよ。ドルフ村の岩塩は、こういう穀物とよく合いますからね!」
ココミの得意げな説明を聞きながら、アルドは再び雑炊を掻き込む。
(ああ、本当に美味いな)
千年前の俺は料理が得意ではなく、いつもインスタントや冷凍食品で済ませていた。だからこそ、こうして人の手で丁寧に味付けされた温かい料理が、格別に身に染みた。
「アルド殿」
「‥‥‥イエルか」
不意に背後から声が掛かる。振り返ると、イエルもまた木皿を片手に持ち、すっとアルドの背後にしゃがみ込んでいた。
「出立の準備は、出来ております」
「そうか」
アルドはイエルの肩越しに、周囲の気配を窺った。
少し離れた場所に、イエルと同じような「存在感の薄い」気配を纏う者たちが数人、食事をするふりをしながらこちらを窺っている。どこにも特徴のない、極めて凡庸な顔と背丈。記憶にすら残らないような彼らの印象は、まさにプロの『諜報員』そのものだった。
「彼らが、同行するのか?」
「さすが、お気づきでしたか。はい、これからの作戦に必要な人材――私自身の裁量で選抜しました。潜入作戦にはもってこいの者たちです。必ずや、アルド様のお役に立つでしょう」
「‥‥‥そうか」
アルドの反応は、イエルの予期に反して鈍かった。
アルドからすれば、これからの西部研究所への潜入は危険極まりない。現に、先発した潜入部隊で生還した者は誰一人としていなかったのだ。隠密行動を取るなら、自分とココミ、そして案内役のイエルの少数精鋭がベストだと考えていた。人数が増えれば、それだけ見つかるリスクも高まる。それよりも本営の戦力とした方がいいのではないか? と考えたゆえの沈黙だった。
だが、イエルはそれを別な意味に受け取ったらしい。
「アルド様。彼らは信ずるに足る者たちです」
声は小さいが、悲壮なほどの力が込められていた。
(え? どういうことだ?)
アルドは内心で戸惑った。別に彼らが足手まといだとか、まして敵のスパイだとか、裏切るんじゃないかと疑っているわけではない。なぜイエルがそんな勘違いをしてしまっているのか、そちらの方に驚いた。
なおもイエルは、理解を求めようと早口で弁明する。
「直接的な戦闘力は期待通りとは言えないかもしれません。ですが、これからの潜入には必ず役に立ってくれます。私が昔から知っている者たちですから‥‥‥決して裏切りはいたしません! 彼らは‥‥‥たとえ腕をもがれようと、肉を焼かれようと、決して悲鳴を上げず任務を遂行する者たちです。必ずや、アルド様の盾となりましょう」
(いやいや、盾になんてしねえよ。肩肘張りすぎだろ‥‥‥)
「イエル、大丈夫だ。俺はそんな心配はしていない」
アルドは軽く笑って、手でイエルを制した。
イエルにとって、西部研究所にはよほど大事な「何か」があるのだ。だからこそ気が逸っているのかもしれない。それが悪い方向に思考が回っているのだろう。イエルの言葉で一つ気になったのは「選抜した人員だ」ということ。こんな短期間に選抜できたということは、かねてからイエルが人材の選抜を進めていたってことだ。必ず成功させたいという想いが伝わってくる。
「なあ、イエル。潜入作戦は必ず成功するし、亜獣の軍勢も解決する」
「はい」
イエルは深く頭を下げた。
それからアルドは隣のココミを見やった。ココミは「私はいつでも大丈夫です」と力強く頷き返してくる。
「そうだな。直ぐに出立しよう。善は急げだ」
アルドは腰を上げ、イエルの肩を軽く叩いた。
「足の速い馬を用意してくれ。詳しい作戦は馬上で詰める」
「ええ、すぐに!」
イエルは弾かれたように立ち上がり、素早くその場から離れていった。
「さてとココミさん。さっき話した通り、トレドさんたちを上手く誘導してドルフ村へ戻ってもらうようお願いしよう」
「はい、アルドさん。分かりました! トレドさん達には補給物資の補充の名目で、一時避難してもらうってことですよね」
「そういうことだ。ん? ‥‥‥いや、そうか。必要なものと言えば、今のドルフ村に一番足りないものがあったな」
「物資や建材‥‥‥ですか?」
「いや、人手《技術者》だ」
アルドはふと思い付いたことをそのまま言葉にする。
「いっそこの際だから、ドワッフ王国の技術者たちを『戦火からの避難』という名目でドルフ村に受け入れてもいいんじゃないか? 技術者は安全な場所に行けるし、こっちとしては開拓が進む。最初の交流ってわけだな」
軽いノリの提案だった。それにドワッフの職人が数人来てくれれば、村の鍛冶場も立派になるだろう程度の認識でしかない。
しかし、それを聞いたココミの目の色が変わった。
トップクラフター(生産職)としての、鋭い光だ。
「なるほどー! それ、最高です! なら、スカウトは私に任せてください! さっき厨房の手伝いをしてた時に、ちょっと『気になる技師さんたち』を見つけてたんですよ!」
「ん? スカウト? ‥‥‥いや、ああ、頼む。ココミさんの目に適った職人なら間違いないだろうからな」
ココミは「行ってきます!」と言うや否や、嬉々として厨房の方へ駆け出していった。
その後ろ姿を見送りながら、アルドはふと思い出す。そういえば、技師といえば――。
「ゲルド。あんたも、そのままドルフ村へ行ってくれ」
荷馬車の車輪の点検をしていたドワッフが、顔を上げた。
「あんたの腕なら、ドルフ村の鍛冶場が形になる。トレドたちの荷役隊と一緒なら道中も安全だ。‥‥‥悪いが、ここから先はあんたを守ってやれん」
だが、ゲルドは車輪から手を離すと、ゆっくりと立ち上がった。無骨な指で、汗と煤の浮いた額を拭う。
「アルド殿。あんたの腰にあるのは、誰が打ち直した刀だ?」
「‥‥‥ゲルドだ」
「そうだ」
ゲルドは、アルドの腰の刀を顎で示した。
「聖霊の使徒様に打った刀だ。折れたら、誰が直すんだ? 儂は戦えん。実存強度なんぞ1だ。足手まといだと言われりゃ、その通りだ」
そこで一度、言葉を切る。
「だがな。鍛冶師ってのは、自分の打ったもんの行く先を見届けるもんだ。‥‥‥見届けさせてくれ」
ゲルドに対して、断る言葉が出てこなかった。
「‥‥‥足の速い馬に乗れるか?」
「ドワッフを舐めるでない」
ゲルドは、にやりと笑って見せた。
アルドは頷き、それから西部研究所があるという北西の空を見つめた。
北西の空は、分厚いどす黒い雲に覆われ、時折、不自然な紫色の閃光が音もなく瞬いている。生命を拒絶するような重苦しい大気が、遠く離れたここまで漂ってくるようだ。果たしてあの闇の奥には何が渦巻いているのか。
ヴィッセン王の言葉が耳に蘇る。
――『今のこの世界の、残酷な真実なのです』
口元を固く締めて、アルドは出立の場所に歩を進ませて行った。
◇
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