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黒嘆石④

12月最後の投稿となります。


 室内には、甘く重たい香が満ちていた。

 ほのかに揺れるランプの光が、影を不気味に引き伸ばしている。ソファでは三人の女が深い眠りに落ちており、中央のベッドでは、この街の新領主グドンが、泡を吹いて醜態をさらしていた。


「随分と時間が遅いのではなくて?」


 ユキナが暗がりに向かって声をかけると、闇が溶けるようにしてブリッツが姿を現した。彼は部屋を一瞥し、衣服を纏わぬ女たちと、煽情的な下着姿の女性。そして上着を脱いで平然としているユキナを見比べ、わずかに口角を上げた。衣服の差をもって、徹底的に上下関係を叩き込んだのだろう。


「少し、夜雀に教育が必要かと思いましてな」

「そう。それで、彼らはどちらに着くのかしら?」

「ははは。この地下組織『夜雀』は、すでにユキナ様の指先一つで動く手足となっておりますよ。・・・で、そちらの女性は?」


 ブリッツが、ユキナの傍らに控える一人の下着姿の女性に視線を向ける。


「協力者といったところかしら」

「アデリナと申します。どうかユキナ様と共にあることをお許しください。女神と聖霊の導きに感謝を」


 アデリナが指先を組む仕草を見せる。ブリッツはその所作から、彼女が本来は高貴な出自であることを瞬時に見抜いた。マジルにおいて、敬虔な聖地派はこれほどまでに零落させられているのかと胸中で憤りを覚える。だが、ブリッツは「道が拓かれんことを」と短く応じた。そして、


海糖華(みとうか)の匂いがしますが・・・それをグドンに?」

「ええ。こう見えても薬師ですわよ」


 ユキナが胸元から小瓶を取り出し、怪しく光る液体を揺らす。海糖華―——一歩間違えれば精神を崩壊させる劇薬。それを躊躇なく使うユキナに、ブリッツは密かな戦慄と、それ以上の信頼を覚えた。


「なるほど、グドンは絶頂の中で踊り狂っているわけですな。・・・さて、これから如何いたしましょう」


 ブリッツは無造作にシーツを放り、グドンの醜い下半身を隠した。これ以上、主であるユキナに見せるべきものではない。

 ユキナは部屋を数歩歩き、思案げに天井を見つめた。


「マジルの都市魔法について聞き出したわ。稼働には膨大なカロリック(魔力)と精緻な制御式を必要とする。けれど、核となる所在まではこの男も知らされていないみたい。場所については、吉報を待つことにしましょう」


 ユキナは澱みなく話し、その過程で協力者であるアデリナに見せて良い情報のラインを正確に引き、提示した。別動隊の存在は匂わせても、タンスイの名前も、主であるアルドの名は決して出さない。

 ふと、ブリッツはアデリナの強張った表情を盗み見て、彼女が「重要情報を聞かされる恐怖」を感じていることを確認した。不敬を恐れ、耳を塞ぐことすらできない。ならば、さらなる追い打ちで試してみるか。


「そうですな。では、核心である『アームシュバルツ公爵の思惑』について問いましょうか」


 公爵の名が出た瞬間、アデリナの肩が小さく震えた。絶対的な権力者への畏怖。ブリッツは微かに頷き、ユキナはそれを一瞥して、くすりと笑った。憧れではなく、底知れぬ恐怖を抱いている。それこそが、彼女を真の協力者たらしめる鎖であった。


「ユキナ様。やはりグドンは急ごしらえの『駒』でしたか?」

「ええ。都市魔法の知識は私たちと同程度。政治的な目隠しとして送り込まれた障壁に過ぎないわ。亜獣の軍勢についても『ドワッフ王国から来た』の一点張り。・・・不気味なのは、この男の精神よ。すでに何者かによって『壊されている』わね」

「精神操作・・・洗脳の類ですかな?」

「詳しくは調べてみないと分からないけれど。ただの暗示じゃない、もっと悍ましく、使い捨てを前提としたような・・・。公爵は、この男に何らかの『毒』を仕込んでマジルへ放り込んだ。そんな気がしてならないわね」


 ユキナは冷徹な眼差しで、泡を吹くグドンを見下ろした。彼女は、公爵が利を得るためなら、帝国の法や倫理を越えた「禁忌」すら利用する男であると想定している。そうでなければ、強大な権力を維持することはできないはずだ。ユキナ自身の生家を思い出しながら、そう確信する。


「刷り込みますか?」

「ええ、お願い。十日に一度はこの店に来るよう暗示をかけて。扱いやすい無能な領主がいるのだもの、次に来るのが誰かという博打にはしたくはないわ。今は生かしたまま利用しましょう」


 ブリッツが冷徹な光を瞳に宿し、グドンに歩み寄る。監察官であり、教会の影に属する彼にとって、精神工作など造作もない。


「あ、あのっ!」


 それまで顔を強張らせていたアデリナが、意を決して口を開いた。


「『天幻』とは・・・大いなる魔獣が顕現することを指しておられるのでしょうか?」

「アデリナ。貴方はどこでその言葉を?」

「父が、考古学の資料の中で・・・」


 ユキナは白い指先でおとがいをなぞる。優先順位をどうすべきか。ドルフ村の安寧は、私たち―――アルドさんが守ろうとしている日常の土台となるものだ。そして天幻は、自分たちが元の世界に戻るための鍵となるもの。 ・・・まずは、足場を固めることが先決ね。ドルフ村の社会的地位を確立し、アルドさんをはじめ、そしてココミの居場所を盤石にする。そのためには―――、


 その思考を、暴力的なノックの音が切り裂いた。


「グドン様ッ!」


 領主護衛の兵士が、有無を言わさず扉を蹴り開ける。

 瞬時にブリッツの姿が闇に消えた。ベッドには、ユキナとアデリナが、さも今しがたまで甲斐甲斐しく領主に仕えていたかのように寝そべっている。


「無礼ではなくて?」


 ユキナが鋭く責める。その死角で、彼女は混乱を誘発する薬をグドンの口に流し込んだ。アデリナが絶妙な位置取りで兵士の視線を遮る。見事な連携だった。


「火急の件です! 直ちに館へ!」


 兵士がアデリナを突き飛ばし、グドンの身体を強引に起こす。混乱薬を飲まされたグドンは、獣のような声を上げて身をよじった。そのもみ合いの中、ユキナの目が一点に留まる。激しい動きで、兵士の一人の胸元がはだけた。そこには、皮膚に深く刻まれた漆黒の紋章があった。


(・・・黒いバラ?)


 兵士たちが狂乱するグドンを連れ、嵐のように去っていく。ユキナは静まり返った部屋で呟いた。


「ブリッツ。貴方にはどう見えたかしら?」


 壁際の闇から、ブリッツが信じがたいといった声音で答えた。


「く、黒バラ・・・信じがたい。黒バラは黒の信徒の象徴だ。いや、しかし・・まさかアームシュバルツ公爵が、彼らを引き入れたと?」

「どういうこと?」

「黒の信徒は、黒魔術師を信奉する者たち。帝国が千年もの間、不倶戴天の敵として戦ってきた黒魔術師たちの三王国―――その手足となる者です。公爵は主戦派の筆頭。その彼が、敵と手を結ぶなど、あってはならないことだっ・・・!」


 常識という壁がブリッツの理解を阻む。しかし、ユキナの瞳には確信に近い光が宿っていた。公爵にとって、正義も悪も、敵も味方も関係ない。あるのは「利用価値」だけだ。やはり私が想定した人物像で間違いはない。


「いいえ、ブリッツ。これこそが公爵の仕込んだ『毒』の正体よ。敵すらも手足として使い、利を貪る。・・・急ぎましょう。領主の館に、彼らが隠したい『真実』があるわ」


 ユキナは即座に立ち上がり、部屋に入ってきた『夜雀』を教育していたブリッツの工作員たちに指示を飛ばした。


「夜雀を急ぎ使える組織に仕上げなさい。それから、そこのアデリナを教会へ。彼女を最優先で保護すること。・・・アデリナ、貴方には後でたっぷりと教えていただくわ。私の知らない、この世界の『真の毒』について、お話ししましょうね」


 ユキナとブリッツは裏街の闇を疾走した。

 これまで状況に翻弄されていた自分たちではない。攻めこそが最大の武器となる。アームシュバルツ公爵という巨悪が仕掛けた盤上を、今度は自分たちがハックしてやる―——その決意が、彼女の足をさらに加速させていた。


読んで下さいまして、ありがとうございます。

もし気に入ったエピソードにリアクションを頂ければ、今後の物語展開の方向性となります。

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