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アルドと英雄②

12月は不定期投稿となります。


 見た瞬間に、寒気が走った。通常の生命結晶石とは違う。美しさなど微塵もない。そこにあるのは、凝縮された怨念と苦痛。観ているだけで、耳の奥底で数千人の悲鳴が響くような錯覚に襲われる。


「アルド殿は初めてか。・・・これは『黒嘆石こくたんせき』だ」


 グランが苦渋に満ちた声で告げる。


「人間の死体から生成される、禁忌の結晶石だ。だが・・・これほど巨大で、歪なものは見たことがない」

「人間、だと・・・?」


 アルドは絶句した。この石の煌めきの一つ一つが、かつて生きていた人間たちの命の輝きだというのか。だとすれば、あのスチームミノタウロスは―――。


「まさか、天幻と関係があるのか?」


 アルドの呟きに、天幕内が沈黙する。それは肯定の沈黙だった。あの機械と生物が融合した醜悪な姿。そして、人を喰らい、力に変える動力―――黒嘆石を強さに変えるシステムということだ。ふと千年前の記憶にある「天幻」を思い出してしまったのは、偶然だったのだろうか? いや、この場の雰囲気を考えるに、天幻はこの世界において無視できない『何か』なのだ。


「アルド殿。この石の処遇、貴殿に一任したい」

「俺に?」

「討ち取ったのは貴殿だ。だが・・・ドワッフの法では、黒嘆石は教会で浄化し、土に還すことになっている。黒嘆石は生命結晶石ではあるが、実存強度の強化などに使うことは許されん」


 グランの目は真剣だった。試されているのだ。この強大な力を前に、アルドが欲望に飲まれるか否かを。


「・・・ココミに、分析だけさせてくれ」


 アルドは静かに答えた。


「この石の構造を知れば、敵の狙いや、天幻の対抗策が見つかるかもしれない。だが、使いはしない。分析が終われば、教会の作法に則って、御霊を弔ってやってくれ。・・・これは、元はドワッフ王国の民だったのだろうから」


 その言葉に、グランの表情が和らいだ。


「感謝する」


 その時、天幕の入り口が慌ただしく開いた。


「報告します! ドルフ村の出稼ぎ人たちを確認しました!」


 若い伝令兵の声に、アルドは弾かれたように立ち上がった。それを受けて、天幕の入り口近くにいたイエルが、伝令に問い詰める。


「ドルフ村の方々は、全員無事ですか?」


 しかし、伝令兵は口ごもり、視線を泳がせる。


「あ、その・・・。確認できたのは、その・・・」

「はっきり言わんか!」


 参謀役ベラトの叱責が飛ぶ。怯える兵士を見て、アルドは静かに歩み寄った。


「大丈夫だ。落ち着いてくれ。・・・俺を、皆のところに案内してくれないか?」


 アルドの落ち着いた声に、兵士は我に返り、「は、はいっ」と敬礼して踵を返した。想像していたのと違って、案内されたのは居住区ではなく、基地の裏手にある薄暗い天幕だった。


(まさか・・・)


 嫌な予感が胸を締め付ける。天幕の中は冷んやりとしていて、香のような匂いが漂っていた。ここは遺体安置所だ。その中央に、泥とすすにまみれた数人の男たちが、身を寄せ合うようにして立っていた。


「刀武家様。あの方々です」


 アルドの足が止まる。男たちの足元には、白い布を被せられた数体の遺体が並べられていた。その男たちの中で一番大柄な、リーダー格とおぼしき男が、アルドを見ておずおずと口を開いた。その瞳には、深い疲労と、まだ消えやらぬ恐怖が焼き付いている。


「・・・あんたが、噂の?」

「ああ。ドルフ村から来た、アルドだ」


 そう返事はしたが、喉が張り付くようだ。守れなかった、間に合わなかったのだ。

 もし、俺がもっと早く決断していれば。もっと早く馬を走らせていれば。この布の下にある命は、助かったのではないか?


「・・・すまないが、彼らの最期を、教えてくれないか」


 男は悲痛な顔で語り始めた。


「こいつらは・・・俺たちを逃がすために、殿しんがりを務めてくれたんだ。作業場が襲われた時、誰かが食い止めなきゃ全滅だった。それで、深い傷を負ってしまって・・・。なんとかここまで連れてきたんだが、昨日の夜、息を引き取った」


 男の声が震える。


「最後に『村のみんなによろしく』なんて言い残しやがって・・・。馬鹿野郎が。こいつには嫁も、生まれたばかりの子供もいるってのによぉ・・・ッ!」


 男の目から涙がこぼれ落ちる。他の男たちも、嗚咽を漏らし始めた。自分たちだけが生き残ってしまった罪悪感。仲間を見捨てて逃げてしまったという悔恨。それが彼らを押し潰そうとしている。


「そうか・・・それは残念だった」


 アルドはそれを聞いて、心のどこかで安堵している自分に気づいた。今回の戦闘で死んだわけじゃない。俺が来る前に、すでに手遅れだったんだ。俺の指揮ミスじゃない。俺のせいじゃない―――と。

 その醜い思考に気づいた瞬間、強烈な自己嫌悪が吐き気となって込み上げてきた。ふざけるなっ。目の前で人が悲しんでいるのに、俺は自分の保身を考えているのか。英雄? 聖霊の使徒? 笑わせるな。俺はただの、薄汚いおっさんじゃないか。

 アルドは強く奥歯を噛みしめ、拳を握り込んで爪を掌に食い込ませた。その痛みで、なんとか自分を律する。


 しかし、そんなアルドに掛かる声は、


「あ、あんたが来てくれなきゃ、俺たちも全員ここで死んでいた。こいつらの犠牲も無駄になるところだったんだ・・・こっちこそ、ありがとうございます、刀武家様」


 男は涙を拭い、アルドに向かって深々と頭を下げた。その姿が、アルドの胸をさらに抉る。感謝される資格など、俺にはない。


「頭を上げてくれ。俺は・・・」


 言葉に詰まる。どう声をかければいい? どんな慰めも、今は空虚に響くだけだ。その時、背後から鋭い声が響いた。


「衛生班は何をしていたかっ!」


 参謀のベラトだ。彼は近くにいた衛生兵を激しく叱責していた。


「みすみす死なせたのか! 彼らはドワッフ王国のために来てくれた、ドルフ村の技術者だぞ! 最優先で治療すべきだっただろう!」

「そ、それは・・・しかし、回復薬も解毒薬も底をついておりまして・・・それに、怪我も酷く、手の施しようが・・・」

「言い訳無用っ!」


 ベラトの剣幕に、衛生兵が縮み上がる。

 だが、アルドには分かっていた。この叱責劇は、ある種の演技だ。野戦病院の現実は過酷だ。物資が不足すれば、助かる見込みのある者を優先する『選択』が行われる。異国の労働者よりも、自国の兵士が優先されるのも道理だ。ベラトもそれを承知しているはずだ。


 それでも彼が声を荒げるのは、アルド―――「英雄」である俺と、軍との間に亀裂が入るのを防ぐためだ。俺が軍の対応に不満を持つ前に、彼が先に怒ることで、「軍としても遺憾である」という姿勢を示しているのだ。これなら、俺は軍を責めることができなくなる。むしろ、「まあまあ、そう責めないでやってくれ」と仲裁に入る形になる、いや、なるようにもっていくのだろう。


(大人な対応か。・・・ああ、分かっている。ここで俺が感情的になっても、誰も救われない)


 アルドは心の中のどす黒い感情を押し殺し、静かに口を開いた。


「ベラト殿、そこまでにしてやってくれ。衛生兵たちも、限られた中で最善を尽くしたはずだ。彼らが手当てをしてくれたおかげで、最期の言葉を残す時間は稼げたのだから」


 アルドの言葉に、ベラトは芝居がかった溜息をつき、矛を収めた。


「英雄殿がそう仰るなら・・・。失礼いたしました」


 場に沈黙が落ちる。アルドは、白い布に覆われた遺体に視線を落とした。俺にできることは何だ? 生き返らせることはできない。過去を変えることもできない。だが、彼らの魂を、そして残された者たちの心を、少しでも救うことはできるかもしれない。


「彼らを、このままにはしておけない」


読んで下さいまして、ありがとうございます。

適宜に誤字脱字の修正を行なっています。

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