街道②
9月は不定期投稿となります。
よろしくお願いします。
◇
「くそっ!」
ゲルドは、荷馬車を操る手綱を力任せに握りしめた。コボルドの棍棒が荷台を叩くたびに、馬が恐慌をきたしていななく。御者台の上で、初老とは思えぬ太い腕が必死に馬を御しているが、焦る気持ちに反して速度が落ちていく。
その様子を待っていたとばかりに、追いすがるコボルドとゴブリン共が舌なめずりをする。
(こんなにも、こいつらの足は速かったか!?)
悪態をついたところで、状況は好転しない。
ガギィン、と耳障りな金属音と共に、荷馬車の車輪がコボルドの大鉈に砕かれた。車軸から吹き飛んだ車輪が宙を舞い、馬車はバランスを失って地面に、勢いそのままに横転する。荷台から放り出されたのは、着の身着のままの避難民たち。彼らの顔には、叫び声すら忘れるほどの恐怖と疲労が色濃く浮かんでいた。
ゲルドは横転する荷台から獣のように飛び降りると、返す刀でコボルドの横面を殴りつけた。
「この、犬面野郎がッ!」
腰に下げた鈍器を引き抜き、再生を始めたコボルドに何度も叩きつける。だが、敵の傷口からゆらりと立ち昇る陽炎を見た瞬間、ゲルドは忌々しげに吐き捨てた。
「ちっ・・・! お前らっ、ぐずぐずしてんじゃねえ! さっさと荷馬車から降りて逃げろォッ」
背後の者たちに叫び、ゲルドは覚悟を決めて深呼吸を一つする。
(実存強度。コボルド一体が3、もう一体が2。ゴブリンどもは1か。対して俺は2でしかない)
脳裏に浮かぶ絶望的な実存強度の数値。はっきり言って勝てない。だが、時間は稼げるはずだ。
実存強度。
それはこの世界の絶対的な法則であり、無慈悲な現実を告げるものだ。自分より強度の低い者の攻撃は「再生の陽炎」によって無効化される。いや、詳しく言えば、ダメージの否定だ。その差が大きければ大きいほど、与えたダメージは無効化の速度が増す。あたかも攻撃そのものが無効化されてしまったかのように。ゆえに弱き者は、決して強き者には勝てない。それが、この世界に生きる者の常識だった。
ゲルドの背後、壊れた馬車から子ども達が這い出してくる。彼らは協力し合って、大怪我を負っていた大人二人も引きずり出そうとしていた。
「怪我人にかまってる場合か! お前らだけでも逃げろッ!」
ゲルドが叫んだ、その一瞬。子供たちを案じて生まれた、ほんの僅かな隙。彼は、目の前のコボルドの傷が完全に塞がっていたのを見逃していた。
ゴッ、と鈍い衝撃。
コボルドの棍棒が、ゲルドの脇腹を打ち砕いた。骨が砕ける音。口からごぼりと血が溢れる。
(くそっ。この身を盾に、時間を稼ぐつもりだったが・・・守れ、ねえのか)
それでも、ゲルドはふらつきながら子供たちの前に、盾となるように立ちふさがる。だが、ふらつくその無防備な姿は、ただの的に過ぎない。コボルドの下卑た笑いと共に、再び棍棒が、今度はゲルドの頭上へと振り下ろされた。
「・・・あ?」
死を覚悟したゲルドの視界を染めたのは、自身の血ではなかった。棍棒を握っていたコボルドの太い腕が、前腕から先が見事に斬り飛ばされ、鮮血を噴き上げていた。
「御仁、もう大丈夫だ。安心してくれ」
いつの間にか現れていた男が、刀を振り抜きながら肩越しに言った。男――アルドは、腕を失ったコボルドをさらに蹴り飛ばして間合いをつくる。これで怪我の具合を見る時間は稼げた。
それでも警戒を緩めることはない。アルドは静かに刀を構え、コボルドを観察する。その傷口からは再生の陽炎が立ち昇っていた。
「やはり、実存強度2までが俺の実力、か」
アルドは小さく呟くと、ゲルドに視線を向けた。
「俺はアルド。御仁、名前は?」
「・・・ゲルドだ」
脇腹の激痛に顔を歪めながら、ゲルドは名を告げる。アルドは頷くと、懐から取り出した小瓶の液体をゲルドの傷に振りかけ、さらに数本を手渡した。
「これで子ども達と後方へ。ココミたちが来る」
「後方? 我々はすでに囲まれて――」
ゲルドは言いかけて、はっと気づいた。目の前の男は、包囲の真っ只中に飛び込んできたのだ。見れば、包囲の一角を担っていたはずのゴブリンが、二体、音もなく絶命している。
アルドは、ゲルドたちが逃げるための活路をこじ開けながら突入して来たのだ。走りながらゴブリンの首を刎ね、その体を盾にして次のゴブリンの心臓を刺突する。敵の体の構造は、先の戦いでルルナに解析してもらっている。そして、なによりも敵との戦いでは一対多数の状況は作らない。全てを一対一にして捌く。そうしてゲルドを庇うように包囲をこじ開けて、とどめを刺そうとしていたコボルドの腕を斬り飛ばしたのだった。
「・・・俺も、戦う」
ゲルドは、アルドの横に並び立った。この男、アルドの実存強度は、ゲルドの見立てではせいぜい1。勝てるはずがない。だというのに、この男は助けに来た。その心意気に、ドワッフの鍛冶師としての魂が燃え上がった。ここで背を向けては、女神様に顔向けができん。
「ああ、助かる」
アルドは短く応えると、実存強度3を誇るコボルドのリーダーを目掛けて駆け出す。
迎えるコボルドは咆哮し、両腕で棍棒を高く掲げて、迫るアルドの脳天めがけて渾身の力を込めて振り下ろす。実存強度の差を考えれば、アルドは頭蓋をかち割られて、そのまま地面潰されて終わるはずだった。
だが、アルドは半歩早くその懐に潜り込む。
(――無水拍を使うしかない!)
体に刻まれた型を、無理矢理に発動させる。凄まじい力が体を駆け巡ると同時に、激しい反動がアルドの内側を苛んだ。だが、やるしかない。
アルドは屈んだ姿勢から天を衝くように跳躍し、刃をコボルドの下腹部から首筋まで一息に切り裂いた。
再生の陽炎は、生じない。
コボルドは、何が起きたのか理解できぬまま二、三歩よろめき、自らが流した血の池に崩れ落ちた。アルドは、残る敵を討とうと踵を返すが、
「くっ・・・! 反動が・・・早すぎ、る」
おぼつかない足取りで、地面に膝をついてしまった。その隙をゴブリンが見逃すはずもなかった。だが、ゲルドの鈍器がそれを粉砕した。
「おい、しっかりしろ!」
「・・・まだ、敵がい、る」
「ゴブリンなら、そこで泡を吹いてる。大丈夫だ」
だが、まだ一体いる。ゲルドの背後、死角に潜んでいたコボルドが大鉈を振りかぶっていた。
「なっ! しまった!」
ゲルドが、くそっと悪態をつく前に、大鉈が振り下ろされた。
――ズガッ!
骨を砕く音と、地面を抉る轟音が響く。だが、それはゲルドの骨ではなかった。三十メートルはあろうかという遠方から飛来した一本の槍が、コボルドの後頭部を貫き、そのまま地面に縫い付けていた。
(アンネか・・・!)
彼女の実存強度は2。相手のコボルドも同格。見事な一撃だった。
「・・・すまない、助かった」
アルドが呟く。地面に突き立つ槍の柄には、ココミの生活魔法の印が、役目を終えて煙のように消えるところだった。おそらく、必ず命中するように弾道補正―――生活魔法の応用―――をかけたのだろう。
やがて、ココミたちが駆けてくる気配がした。馬には回復薬や治療道具が満載されている。
(治療は彼女たちに任せるとして、俺は・・・)
無水拍の反動は、アルドから立つ力さえ奪っていた。
(やれると思っていたが・・まだ、この程度か)
気絶こそしなかったが、進歩と呼ぶには甘すぎる。もっと精進せねば。アルドは、仲間を助けるには己が未熟すぎると、静かに奥歯を噛む。
「みなさーん! これから治療しますから、大丈夫ですよー!」
遠くから聞こえるココミの明るい声に、アルドは強張っていた体の力を抜き、大きく息をついたのだった。
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