マスターは、マスターのままで
9月は不定期投稿となります。よろしくお願いします。
南山脈を渓流沿いに越え、一行はドワッフ王国の領土へと足を踏み入れた。かつてドルフ村との交易路であった古道は、今や崩落と繁茂する草木にその面影を失い、かろうじて人馬が通れる獣道と化している。だが、硬く踏み固められた地面は、獣たちもまたこの道を利用していることを静かに物語っていた。
道中で絶大な威力を発揮したのは、ココミ特製の獣避けの小瓶だった。その効果は魔物はおろか、食料となる獣の気配すら完全に消し去るほどで、一行が一度も戦闘に見舞われなかったのは幸いだった。もっとも、効きすぎたせいで獣肉の現地調達もままならなかったのは、ご愛嬌というべきか。
国境を越えた日の夜。
アルドが警邏の任に就き、揺れる焚火の番をしていると、不意に脳内へ直接語りかけてくる声が響いた。ドルフ村の聖霊、ルルナからの定期報告だ。
(ルルナか)
アルドは意識の中で応えながら、改めてその不思議な繋がりを思う。ルルナの本体は俺と一心同体のはず。だが、今は蒼綿毛の外部接触体としてドルフ村に残り、幼い村長ミアの傍らにいる。以前は近距離でしか活動できなかったはずだが、先の戦いで得た生命結晶石の力で新たな制御式を編み、通信距離を飛躍的に伸ばしたのだという。「技術の進歩は日進月歩です!」と、どこか得意げに語っていた彼女の声を思い出していた。
『はい。内容は新旧の村人との間での、祈りの作法についてです。礼を一度するのか、二度するのかという些細なことから、大揉めになりそうでした』
(言い争い、か。文化の違いというやつだな。現に聖霊たるルルナが目の前にいるのだから、白熱するのも無理はないか)
『ええ。ですが、ミア様が「皆で新しい作法を作りましょう」と提案されたことで、その場は収まりました』
(そうか。ミアは幼いながらにも本当によくやっている。大したもんだと、そう伝えてくれ)
『お褒めの言葉、必ず。マスターの言葉が何よりの励みになりましょう』
アルドは村の未来に思いを馳せた。村はこれから大きくなる。生まれも育ちも違う人々が、それぞれの価値観を尊重しつつ、一つになる。ミアの解決案は素晴らしいが、新たな者が来るたびに規則を一から作るわけにもいかない。ふぅ、とアルドは夜気と共に息を吐いた。
(原則としては、従来のドルフ村の人々の価値観を優先すべきだろう。あの地を繋いできたのは、彼らなのだから)
その心中を察したように、ルルナが短く応える。
『承知いたしました。これからは、そのように』
通信が終わり静寂が戻ると、アルドは刀を抜き、日課の稽古を始めた。
師はいない。だが、あの魔動人形に体に刻まれた「無水拍」の身体操作こそが、今の俺にとって唯一の師だ。その手ほどきを、体に、魂に刻み込むように、ただ無心に型を繰り返す。
「少しは、形になってきたか・・・」
だが、形をなぞるだけでは意味がない。意識せずとも体が動き、自在に応用できる境地に至らなければ、真に身に付けたとは言えない。繰り返すほどに、その道のりの遠さを実感させられる。それでも、この身体操作の先にこそ刀技の「型」があることを、今のアルドは確かに感じていた。
「それで、俺に用があるんじゃないか?」
稽古を中断し、アルドは声をかけた。少し離れた闇の中、気配を殺してこちらを見つめていたアンネに向けて。
「交代にはまだ早いはずだが?」
「も、申し訳ありません! その・・・無礼を承知で、お願いがございます!」
アンネは意を決したように一歩、光の中へと進み出る。
「どうか、私に稽古をつけてはいただけないでしょうか アルド様の剣筋は、私が学んできたものとは全く違います。このままでは、ココミ様をお守りする盾にはなれないと・・!」
「稽古、か」
「はい 身の程知らずとは承知の上です!」
アルドはアンネの実直な瞳を見つめ、静かに頷いた。
「ああ、喜んで受けよう。俺の方こそアンネさんの槍には興味がある。タンスイがべた褒めだったからな」
「恐縮です」としきりに謙遜する彼女を横目に、アルドは焚火に薪をくべた。ぱち、と音を立てて炎が勢いを増し、闇夜をさらに明るく照らし出す。「本来の戦いなら暗がりを利用するが、模擬戦だ。明るい方がいいだろう」と独りごちる。
炎に横顔が照らされ、アルドはふと夕餉の光景を思い出した。男だらけの一行の中で、アンネはココミの隣に静かに座っていた。彼女がいてくれたおかげで、ココミも心強かったに違いない。気遣いが足りなかったな、と内心で反省する。
そんなアンネが、今はアルドの肩越しに、彼の刀を真剣な眼差しで見つめていた。やはり興味があるか。いや、当然だな。どのような武具に対しても経験を積んでおかなければ、教会の護衛兵としての面目が立たない。彼女もまた、自らの務めを果たそうとしているのだ。
やがて、二人の手合わせの火蓋が切られた。
アンネとの模擬戦は、アルドにとっても新たな発見の連続だった。彼女の振るうハルバードは、変幻自在に間合いを変えてくる。獲物が長いとこうまで戦いが様変わりするのかと、心中で唸る。開けたこの場所では、槍は無類の強さを発揮するだろう。
だが――、
アンネの鋭い突きを半身で躱したアルドは、刀の平をその穂先の付け根から柄に沿わせるように滑らせた。次の瞬間、アンネはまるで足元の地面が消えたかのように体勢を崩し、その場に崩れ落ちていた。
「なっ!?」
「重心がふらついていた。相手と組み合わずとも、地面に転がすことはできる」
アルドには相手の重心、意識の在り処、そして攻撃の起点が不思議と「観えて」いた。日々の積み重ねがもたらした変化だ。無水拍を少しずつ身に付ける過程で己の身体操作を深く理解し、それが翻って相手の動きを見抜くことに繋がっている。身に付けば、分かる。そういうことなのだ。
「重心、ですか・・・」
「ああ。言葉よりも、体で覚えた方が早いだろう」
アルドはアンネに再び槍を構えさせると、その姿勢を手ずから調整していく。槍を腕で振るうのではない。体の動きの先に、槍があるように。肩と腰、そして頭の位置を正していく。
「どうだ?」
「は、はい! 槍が・・・まるで自分の手足のように軽いです!」
いつしか東の空が白み始め、夜の闇が薄れていた。ココミも起きてきたのか、少し離れた場所で稽古の様子をじっと見つめている。
「アルドさん、すごい。私にも、教えてもらえませんか?」
「はは、もちろん大歓迎だ」
いつの間にか、荷役を担うドルフ村の男たちも起きてきて、息を詰めて二人の模擬戦を見守っていた。その真剣な眼差しに気づき、アルドはふと思う。そうだ、彼らにも自衛の力があれば、いざという時に自分の、そして仲間の身を守れるかもしれない。そこまで思いを巡らせた時、はたと彼は気づいた。
(この旅に同行してくれているのは、従来からのドルフ村の者たちだ。もしかしたらこの人選が、新しく村に加わった者たちに疎外感を抱かせたのかもしれない。「聖霊の使者と共にあるのは旧来の村人なのだ」と。それが、村での祈りの作法を巡る言い争いの一因になったのでは?・・・俺の采配ミスか。確かユキナの部隊は新旧の村人の混成だったな。俺もまだまだ、か)
自責の念に駆られかけたアルドの脳裏に、ふいにルルナの声が響く。
『マスターはマスターのままで良いのです』
その穏やかな響きに、アルドは苦笑した。
「よし、みんな!」
夜明けの光の中、アルドは振り返り、見守っていた男たちに呼びかける。
「どうせ起きたのなら、一緒に体を動かさないか!」
その声に、男たちも「へい!」と威勢の良い声を上げ、活気と共に一日が始まった。
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