圧倒的なMMO
(注意)R7.8/27に演出につき、加筆修正をしています。
5/30まで、平日(土日祝は休み)に投稿していきます。
「にしても・・・相変わらず空は青くて奇麗だ」
木々の間から覗く空を見上げた。本物の刀を手にして、こんな奇麗な空の下で戦えているのだ。こんなに素晴らしいことはない。俺は脚に力を入れる。脚は痙攣を繰り返しているが、動くことは動いている。なら、最後の一振りは出来るだろうか? 大丈夫だ、感覚は既にないが刀の柄を強く握っている。なら、棍棒持ちは俺のところに来てくれるだろうか? ああ、本当に有難い。棍棒持ちは獲物を仕留めたという満足感を表情に出しながらも、足取りは警戒を怠っていない。ああ、本当に楽しいものだ。強いやつが俺のような格下を相手にしてくれるなんてな。ならばこそ、恥じ入る事のないように戦わねばならない。「ルルナ、俺の体をもう少しだけ持たせてくれ」と心の中で念じた。
声はもう出ない。耳は圧迫されたように音が聞こえない。ただルルナが必死に回復魔法を唱えてくれているのが分かった。申し訳ないと思う。俺を千年かけて復活させてくれたのに、早々にあの世に逝ってしまうなんてな。俺に出来ることがあるとすれば、あの棍棒持ちにせめてもの一太刀を与えることだ。
近づいてくる棍棒持ちに立ち向かおうと体を前に進めようとするが、腹を貫く枝が邪魔をして動けない。いや、体に力が入らなくて、枝から身を剥がせない。なら、刀を構えるとしよう。だが、腕も動かず、だらりと垂れ下がる。ああ、そうか肉が削がれてる。白い骨も見えている。筋肉が吹き飛んでいちゃあ、動かねえよな。
「っがは!」
口から血がこぼれた。戦わねえと、せっかくの戦いの舞台が台無しだ。ああ、くそっ、なんで体が動かねえんだ? まったくもって申し訳ねえ、申し訳ねえよゴブリン。お前と戦う時間がこれほどまでに短くなってしまってなあ。
間近まで来たゴブリンが足を止めた。ぶしゅうぶしゅうと鼻息を深く立ててから、棍棒を俺の頭蓋に直下に打ち下ろした。
しかしーーー、
「そこまでだ、悪鬼輩! このタンスイ・カブツが相手になってやるぜ!」
場違いなほどに軽々とした、しかし鋭い闘気を纏った声が響いた。
アイダの眼前に土煙が高く上がり、タンスイと名乗る白銀の騎士が、天空から大剣を振り下ろして戦いに分け入る。その一撃は、ユニーク・ゴブリンが振り下ろした棍棒と激しく衝突し、甲高い金属音と衝撃波を撒き散らした。
ぐおおおおっ!
棍棒持ちのゴブリンは予期せぬ介入者の登場と、その凄まじい膂力に弾き飛ばされ数歩ほど後ずさった。しかし、その体は深手と評するには程遠い。タンスイの一撃は確かに強力だったが、ゴブリンの異常なまでの頑強さが、それを凌駕していたのだ。
「ちっ、硬えなオイ!」
タンスイは忌々しげに舌打ちすると、即座に大剣を構え直し、ゴブリンへと突進する。
「スキル『旋風斬』!」
黄金の光を纏った回転斬りがゴブリンに襲いかかる。タンスイの知っている世界であれば、同格以下のモンスターを一掃する必殺技だ。しかし――
ガギンッ!
ゴブリンはそれを棍棒でガードし、凄まじい衝撃に体勢を崩しながらも、タンスイの鎧に深々と爪を食い込ませた。
「ぐっ!? こいつ、俺が知っているゴブリンとは動きも重さも全然違う!」
タンスイの顔から、初めの余裕が消える。目の前の敵は、彼の知る「ユニーク・ゴブリン」を遥かに超えた、未知の「本物」の怪物だった。後退しながらも必死に大剣を振るうタンスイ。しかし、ゴブリンの猛攻は止まらない。じりじりと、確実に追い詰められていく。
その光景を朦朧とする意識の中でアイダは、確実に二者の戦いを観ていた。それは死を覚悟してこそ見出せる研ぎ澄まされた感覚。その感覚がアイダに冷静に伝えた。
(駄目だ・・・あの若者は強いが、最後の一振りが直線的過ぎる。それに対して――)
ゴブリンの動きは速く、力強い。だが、その動きには、ある種の「偏り」があるのを観て取れた。
(なんだ? 動きが僅かにおかしい・・・あれは俺が斬りつけた、右手首の傷か? 再生の陽炎で塞がってはいるが、完治はしていない。だから、棍棒を振るうたびに、無意識に手首を庇っているのか。そのせいで、体の重心がほんのわずかに左に寄っている・・・)
その重心のズレが致命的な隙を生んでいた。左脇腹だ。棍棒を振りかぶる大振りな動作の際、そこが一瞬だけ無防備になる。俺では踏み込めなかった、死の領域。だが、あの若者ならば――!
タンスイがゴブリンの棍棒を大剣で受け止め、両者の力が拮抗した、その一瞬。彼の視線が、助けを求めるようにアイダの方を向いた。アイダは、その視線に応えるように尽きかけの命を燃やし、ただ一言、血反吐と共に声を絞り出した。
「 ・・・左、だっ!」
その声が聞こえたか、タンスイは一瞬だけ目を見開くと何かを悟ったようにニヤリと笑った。彼は、わざと大剣を押し込ませてゴブリンの体勢を前のめりにさせると、がら空きになった左脇腹目掛け、渾身の力で大剣を突き上げた。
グシャリ、という鈍い音。
ゴブリンの咆哮が、絶叫へと変わる。タンスイは即座に大剣を引き抜き、がら空きになった首筋を刎ね飛ばした。
「はぁ・・・はぁ・・・。やってくれるじゃねえか、おっさん。あんたの助言がなきゃ、危なかったぜ。あの手首の傷、あんたがつけたのか?」
肩で息をしながら、タンスイは尊敬と困惑の入り混じった目で、血の海に倒れるアルドを見下ろした。
「タンスイ君、大丈夫!?」
「ああ、俺は大丈夫だ。それよりも、おっさんの手当を頼む」
ココミはすぐにアイダの元へ駆け寄り、懐から取り出した小瓶の液体を彼の口へと注ぎ込んだ。
「大丈夫です! 私の作った回復薬です。きっと良くなりますから!」
ココミは心配そうにアルドの顔を覗き込む。彼女の両目には、複雑な幾何学模様が淡く輝いていた。アイダの状態を診るために、彼女の鑑定眼を作動させたのだ。
(この人は一体・・・? 私の『鑑定眼』でも、情報がほとんど読み取れない・・・!?)
ココミの視界に映っていたのは、あまりにも不可解な情報だった。
【対象名:アルド(古代人)】
【ジョブ:???(解析不能)】
【状態:瀕死、呪怨(解析妨害)】
タンスイが「姉ちゃん、どうだ?」と尋ねるが、ココミはただ首を横に振ることしかできなかった。
「・・・わからない。この人、『NPC』じゃないかもしれない。何か、全然違うよ。もしかして、すごい人なんじゃないかな・・・?」
ココミのその言葉に、タンスイが鋭い視線でアルドを一瞥する。先ほどのアルドの的確な助言を思い出し、「まさか、そういうことか?」ゴクリと唾を呑み込んだ。
「もしかすると、隠しクエストのフラグを踏めたのかもしれねえ」
「それって、私たちがMMO『ストラクト・フォンズ』の世界にいることの理由が分かるかもってこと?」
「ああ、姉ちゃんの鑑定眼でも観れないってことは、重要人物に間違いねえよ。このクエストを続けていけば、必ず―――」
「タンスイ君、分かってると思うけど。戦闘上位者だからって油断は厳禁なんだからね!」
「ちょっ!? 姉ちゃん、分かってるって。ただ、ようやくこの世界の・・・MMOの進行フラグを踏めたかもって」
「こら、口答えしないの。クエストも大事だけど、この世界ではゲームのときと同じように命の復活はないって考えて行動しなきゃ、命は一つしかないんだからね。だから、戦闘は常に慎重にならなきゃダメです」
騎士然としたタンスイに苦言を呈しているのは、中学生のような背丈をした猫耳の少女。人間と猫族とを姉弟と呼ぶには違和感しかないが、彼らの関係は確かに姉弟の雰囲気を纏っていた。いや、それよりも、さっきまでの死闘は何だったのかと思うような呆気ない幕切れだった。強者であればゴブリン程度など歯牙にかけないのは分かっていたつもりだ。だが、それでも若騎士の緊張感のない会話にアイダは苛立ちを感じてしまう。あれほどまでに死を覚悟して臨んだ戦いとは、彼らにとってはMMOという遊戯でしかないのか・・・ちょっと待て、MMOだと!?
「っく・・・ぃはっ」
「あっ、大丈夫ですか? 無理をしないで下さい。私が創った回復薬は徐々に体に効いてきますから、今は安静にして下さい」
アイダの怪我の具合を診ながら、猫耳の少女が数度ほど頷く。そして包帯をどこからともなく取り出して、アイダの傷口を止血し始めた。アイダは声が出せないながらも、少女の様子を一つも取りこぼすまいと霞む視界で見ていた。しかしてアイダは自分自身に疑問を持つ。すぐに気を失うとばかり思っていたが、痛みも沈み、視力も回復してきた。信じられないというアイダの表情を見て取った少女は、アイダに微笑んだ。その背後からタンスイがずぃと顔を覗かせてくる。
「姉ちゃんは生活職1位なんだからさ。おっさんの傷は酷かったけど、姉ちゃんの回復薬なら死ぬことはないだろ。完・全・回・復だ!」
「タンスイ君、そういう乱暴な言い方は感心しないよ。確かに回復薬で傷は治るし、痛みもなくなるけど、血も失って体力もなくなっているんです。ちゃんと怪我人を労わらなきゃダメですよ」
「悪かったって、そんなに睨まないでくれよ。俺だってNPCの好感度についてはフラグを折らないように気を付けてるって!」
「タンスイ~、そういうことじゃないの。皆で決めたことでしょ。確かに私たちはMMO『ストラクト・フォンズ』のアバターでMMO世界に転移して来た。でも、この世界に生きている人はNPCじゃなくて私たちと同じ血の通った人間なんだって・・・そういう気持ちで関わっていこうって決めたはずだよ」
「分かってるって、姉ちゃ・・・じゃなくて、ギルドマスターが決めたことは絶対だ。俺は徹頭徹尾に初志貫徹だぜ」
「ちょっと意味が分からないけど。優しさを忘れちゃ外道に堕ちるってこと、それを忘れないようにね。それと私たちはMMO世界に来てまだ3週間なんだから、戦闘には本当に十分に気を付けるようにーーー」
少女は、かすれた声に気付いて、ハッとしたように周囲を見渡した。そして、その音が自らの傍らにいる男性から発せられたのだと気づいた。
枯れた声音を出す壮年の男は、必死に何かを言おうとしている。
「・・・ぃ、っお」
アイダはなおも声を振り絞る。この世界がMMO世界だという彼らの核心を聞きたかったのだ。だが、
「おじ様、無理をしてはダメです、大怪我を負っているのですから。まして喉も潰れているのですから、回復薬が十分に体全体に行き届くまで安静にして下さい」
少女はアイダの手を握った。
「大丈夫です。必ず治しますから・・・って、あっ、そうでしたね。私たちのことを名乗っていませんでした。私たちは実は迷い人なんです。別の世界・・・あっ、そうじゃなくて。別の大陸からこの地に迷い込んでしまいました。私がギルドマスターのココミで、こっちが騎士のタンスイ。彼は私の弟っていうか・・・ええと、そう! 弟分です。あと村の方にはユキナって子がいます。皆さんを助けることが出来て本当に良かったです」
落ち着きながらも緊張しているような、そんなちぐはぐさを少女に感じた。アイダは声が出ないながらも妙に納得しつつあった。若騎士の軽々しさと、少女の落ち着きは己の力に対する自信を土台にしたもの。信じがたくはあったが、彼らが言ったようにこの世界がMMOだというのは一理あるのかもしれない。
ココミは怪我を負った男性が頷いたのを見て、タンスイに目くばせをする。「あなたを村に運んで治療を行います。村には治療専門のユキナがいますから。だから安心してください、他の村人たちも治療していますから、あなたもそこで治療を行うってことです」ココミはじっとアイダの瞳を覗き込んだ。なんだろう? とアイダは不思議に思った。ココミの双方の瞳に、ルルナが聖霊魔法で編んだ制御式と同じような幾何学的な模様が浮かび上がっていたから。そういえば、戦闘の後半からルルナの気配がない。まさか、先ほどの戦いでダメージを負ってしまった? そんなアイダの不安を知ってか知らでか、ココミはタンスイに抱きかかえられた俺の耳元で囁いた。「村の外に逃がした村長の娘さんは、無事保護しましたから安心してくださいね」と、にこりと微笑んだのだった。
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