152_何を持って悪いと言うか
「ムギ、もう仕事は終わった? あんた達、人間の琥太郎君と知り合いなんだって? 今日うちに琥太郎君が遊びに来てるから、よかったらあんた達も来ない? うん、じゃあ待ってるからね。」
どうやらムギとミックもお店にやってくるようだ。琥太郎としても、美澪の模擬戦の話をしたいと思っていたので、ここに来てくれるならちょうどいい。
「なんだか凄く親しげに話してましたけど、そんなに頻繁にあいつらもこのお店に来てるんですか。」
「うん、お客さんとしても月に何度か来てくれてるし、それだけじゃなくて、ここの家賃の集金なんかも彼らがしてくれてるのよね。」
「えっ、家賃ですか?」
「このあたり歌舞伎町界隈にある妖専門の貸店舗や賃貸物件なんかは、基本的に花園組が全て取り仕切ってるのよ。人で言うところの不動産屋さんみたいな感じかな。それと、妖の賃貸契約の場合には、契約すると警備的な事もしてくれるのよね。そういうのをひっくるめての賃貸契約っていうのが基本で、今はみんなほとんどそんな感じなんじゃないかな。」
「へぇ、ムギとミックからは花園組は人でいうところのヤクザみたいな組織だって聞いてたんですけど、別に悪い事ばかりしてるわけじゃないんですね。」
「そうね。特に花園組は不義理さえしなければ親切にしてくれる事が多いし、少なくとも私は全然悪いイメージは持ってないわね。そもそも、妖の世界は人の法律なんかは別に関係ないから、何を持って悪いと言うかも人とは感覚が違うだろうしね。」
「あぁ、確かに。そっか…、人の場合だと相手を殴ったりしたらすぐに犯罪にされちゃうけど、妖の場合にはそんなの関係無さそうですもんね。そもそも、大抵はみんな喧嘩っ早い感じがするし。」
「ふふふ、そうね。腕っぷしの実力主義的なところはかなりあるわよね。」
綾乃さんとそんな話をしていると、お店の入り口のドアが開く音がした。そのまま階段を上ってくる気配はもちろん妖だ。琥太郎と流伽が振り返ると、お客さんらしき2人の妖が入ってきた。
「なんだ、あんたら、また来たのかい?」
先程まで琥太郎達のニコニコ話していた綾乃さんが、不機嫌そうに顔をしかめて入ってきたお客さんに声をかけた。
「なんだよママ、もうちょっと歓迎してくれてもいいんじゃねぇのか。」
「おっ、なんだ今日は変わった客が入ってんな。人間と、そっちのべっぴんさんは幽霊か。」
「「……綾乃さんの感じからすると、あまりいい連中じゃなさそうだな…」」
突然絡まれた琥太郎も入ってきた妖達を警戒する。見た感じでは、片方は身長が180cm位はあるだろうか。細身だが、ちょっと鬼っぽい雰囲気を纏った鳥の妖だ。琥太郎が子供の頃に読み漁っていた妖図鑑にも載っていた、陰摩羅鬼という妖のようだ。もう片方は身長170cm程だが、かなりがっしりとした体つきで、大型の猿といった感じの妖で、こちらは狒々(ひひ)という妖だろう。
「なんだ、霊って事は、触っても手がすり抜けちゃったりするのかね。」
前を歩いて入ってきた陰摩羅鬼はそう言うと、いきなり流伽の胸を触ろうと手を伸ばしてくる。
「きゃっ!」
流伽が慌ててその手を払いながら、体を捻って避ける。
「こらっ、あんたら!」
綾乃さんが大きな声を出すと、綾乃さんの緩いウェーブのかかった長い髪が一気に逆立った。毛倡妓の綾乃さんが臨戦態勢だ。
ズンッ!
しかしその瞬間、店内の全ての妖気がまるで凍りついたかのように固まった。綾乃さんを含め、入ってきた妖達も固まって動けなくなる。琥太郎がその能力を使ったのだ。
無表情の琥太郎が椅子から立ち上がった。
「綾乃さん、すみません…」
琥太郎が綾乃さんに軽く頭を下げながら静かに一言だけ、お詫びの言葉を述べた。その瞬間、綾乃さんはすぐに動けるようになった。
綾乃さんに謝った琥太郎の声は、非常に静かで穏やかに聞こえた。しかし、その顔からは完全に表情が抜け落ちている。そして何より、琥太郎の全身からは、傍にいる流伽や綾乃さんまでも肌がひりつく程の怒気が溢れ出していた。