149_打垂髪
綾乃さんのお店はいわゆる新宿ゴールデン街にあると言っていた。ここからなら、歩いて5分もかからないだろう。
ところで、新宿ゴールデン街を知らない人のために簡単に説明しておくと、新宿ゴールデン街は歌舞伎町のはずれにある飲食店街だ。飲食店街といっても、今時のお店が立ち並んでいるわけではなく、木造2階建てのいわゆる昔ながらの長屋がいくつも並んでいる区画だ。そのため、この区画は東京都心の新宿にあっても、未だに昭和の雰囲気がそのまま残っているかのような場所である。最近ではこのノスタルジックな雰囲気を求めて、観光ツアーまで訪れたりもするらしい。
流伽と歩いて新宿ゴールデン街へと移動すると、狭い通りながら既に結構な賑わいを見せ始めていた。既に暗くなってきているとはいえ、この街が本当に賑わうのはもう少し遅い時間になってからだろう。
「たぶんこの辺りだと思うんだけどなぁ…」
琥太郎は、綾乃さんに教わった場所を思い出しながら、ゴールデン街の中でもより一層狭い路地へと入っていく。
綾乃さんのお店は妖相手のお店だと言っていたので、妖気を頼りに探したいところではあるのだが、どうもこの辺りには様々な妖気が入り乱れて漂っている。実際に、琥太郎がお店を探しながら歩いているだけでも、道端や建物の隙間など、あちこちに妖の姿を見かける。この辺りは琥太郎が自身の封印により妖を見れなくなっていた頃から、どことなく怪しげな雰囲気を醸し出しているように感じていた。やはりそういった雰囲気を感じる所というのは、実際に妖が住み着いているような場所であったりするのかもしれない。
「あっ、あったあった。ここが入り口か。」
狭い路地を入った長屋の中ほどに、2Fへと続いているのであろう入り口の扉があった。その扉の脇には、蒲鉾板のような小さな木製の表札があり、そこに「打垂髪」とお店の名前が書いてあった。お店の名前が書いてあるとはいっても、普通の人には見えないように、認識阻害の術が施された表札のようだ。
「えっ、ここに入るの?」
琥太郎の後ろからついてきていた流伽が不安げに琥太郎に尋ねてくる。
「うん、お店の名前は間違ってないし、妖術で見えないようにされてる表札だから、ここで間違いないはずなんだよね。だけど確かに、このお店に限らず、この辺の他のお店も、知らなきゃなかなか入りにくい雰囲気だよね。特に2階のお店に入るのは相当勇気がいるね。」
「私もこの辺を歩いて通った事はあるけど、実際にお店に入るのなんて初めてだよ。なんか凄いドキドキする。」
このあたりのお店は、1階の店舗であれば窓があったり、少し大きめの看板が出ていたりして、ある程度飲食店っぽい感じもする。しかし2階のお店の場合、入り口は1階の路地に面した通りにあっても、木の扉と表札のような小さな看板だけだったり、中には表札すら出していなそうなお店まであったりして、飛び込みで入るにはかなりハードルが高いお店ばかりだ。ただでさえ入りにくいお店が立ち並んでいる中にあって、更にそこが妖相手のお店となれば、多少は尻込みするのが普通だろう。
「まあ、とにかく入ってみようか。」
1階の路地に面した木の扉を開け、そこから真っすぐ2階へと続く階段を上る。階段を上りきると、右側にトイレの扉があり、その奥が客席になっていた。店内はカウンターが6席と2人掛けのテーブル席が2卓あるだけの小さなお店だ。カウンターの中では、今日も大きく開いたVネックのシャツの胸元から、今にもこぼれ落ちそうな双丘を覗かせている綾乃さんが料理の仕込みを行っていた。
「あっ、綾乃さんこんばんは。ご無沙汰してます。ちょっと時間が経っちゃいましたけど、今日はお邪魔させてもらっていいですか。」
「おやまあ、これは嬉しいわぁ。琥太郎君いらっしゃい。わざわざ来てくれたのね。」