144_壮絶な生活
初台のギャラリーというのは、琥太郎の部屋から初台駅を挟んで反対側にある。ギャラリーのすぐ近くに手打ち蕎麦屋さんがあるのだが、そこの蕎麦が好きで琥太郎は時々そのギャラリーの前を通る事があった。ギャラリーは2階建てなのだが、1階部分がカフェになっているので琥太郎はそこをちょっと怪しげな喫茶店だと思っていた。流伽に今日行く予定の3つのギャラリーを教えてもらい調べていて、その怪しげに感じていた喫茶店がギャラリーである事を知ったのだった。
初台駅改札に続く地下道を抜けて駅の反対側に出る。そこから商店街を少し歩き右側の路地に入ってしばらく進むと、最初の目的地の珈琲The low offがあった。
流伽の案内で入り口ドアを入ると、喫茶スペースからマスターが顔を出して声をかけてくれた。
「こんにちは。ギャラリーを見させてもらっていいですか?」
「いらっしゃいませ。2階がギャラリーです。階段が滑るから気を付けてね。」
ギャラリーのオーナーらしきマスターと言葉を交わしてから、靴を脱ぎ正面の階段を上る。階段は幅が1m程で天井も低い。マスターの言っていたとおり、ツルツルに磨かれた木の階段は微妙に手前に傾いているような感じで、油断すると本当に滑りそうだ。
不可視状態の流伽が先に階段を上り、琥太郎がその後に続く。見上げると流伽の短めのワンピースのスカートの中が見えてしまいそうなので、琥太郎はなるべく自分の足元を見ながら流伽についていく。
「「……っていうか、この感じって、確実にいるよね…」」
琥太郎は建物に近づいた時点で、この建物から漏れ出ている妖気を感じ取っていた。中に入るとそれは更に濃くなり、琥太郎はこの建物内に妖がいるのを確信していた。幸いにも、その妖気からは特別邪悪な感じはしていない。
「フフフフッ…」
階段を上る途中で突然聞こえてきた女の子の笑い声に驚いて琥太郎が振り返る。すると、階段を背にした目の前の壁に少しだけ物を置けるようなスペースが作られており、そこに鏡と一緒に2体の人形が置かれていた。1体は手足の無い50cmほどの裸の人形。もう1体はゴシック調の服を着た70cmほどの女の子の人形だ。どちらも妙にリアルな作りだ。この2体の人形のうち、座った姿勢で置かれてこちらを向いている、ゴシック調の服を着た女の子の人形が、先ほどから感じていた妖気を纏っていた。笑い声を発しているのもこの女の子の人形だ。
琥太郎と女の子の人形の目が合う。
「こんにちは。」
琥太郎が女の子の人形に声をかけた。
「あれっ、私の声が聞こえてる? ちょっと変わったお客さん。フフフフッ…。女の子は前によく来てた子。だけど、凄く雰囲気が変わってる。」
「えっ、私の事を覚えてくれてるの?」
階段で立ち止まり、琥太郎と一緒に驚いて女の子の人形を見ていた流伽が、女の子の言葉に反応した。
「フフフフッ… なんだかいつも怪我をしてた子。私、あなたのファッションが好きだったから、来てくれるといつも嬉しかった。今日も素敵。フフフフッ… だけど、2人とも私の声が聞こえてる。今日は不思議な日。フフフフッ…。」
「えぇ~?!なんだかありがとう。あの頃は彼氏にいつも殴られてたから、顔にも痣が出来ちゃったりしてたもんね。それで、殴られすぎて私死んじゃったんだ。だけど、私もあなたの事を凄く可愛いくて素敵なお人形さんだなって思ってたから、そんな風に言ってもらえて嬉しい。」
なんだか流伽が感激している。それにしても、当時の流伽は傍から見ても怪我をしているのが判る程だったようだ。今更ながら本当に壮絶な生活を強いられていたのだろう。今、こうして一緒に暮らすようになった流伽に可哀そうだと言うのはなんだか違う気がする。とはいえ琥太郎に出来る範囲で、そんな過去を持つ流伽が少しでも幸せを感じてくれるような事があるのであれば、それは積極的に琥太郎も協力したいとあらためて思った。