第九十四話「魔族の少年」
「こんな道なら横着せずに普通の道を選ぶべきだった……」
俺は一人で魔族領に入り、王都に向かって進んでいた。
最初に辿り着いた街で山沿いに行けばショートカットができることを聞き、俺は意気揚々とショートカットの道に来たのだが……。
かなりの断崖絶壁をギリギリのところで歩く。
今にも崩れ落ちそうな道が崖沿いに延々と続いていた。
「遠くで飛竜も飛んでるし、見つかったら絶体絶命だな」
まあ、かといって足を速めれば崖下に落ちるかもしれないし、天に祈りを捧げ続けるしかない。
しかしこういうときほど、天は俺たちを見ていないものだ。
おそらくタイミング悪く、お茶でもしていたのだろう。
上空を、獲物を探すように旋回していた飛竜は、とうとう俺のことを見つけてしまった。
「ギュォオオオオォオオオオオ!」
雄叫びを上げ、こちらに急降下してくる。
クソッ、まずい。
逃げ場がないぞ。
キョロキョロと辺りを見渡すが、逃げられそうな場所はやっぱりない。
飛竜に食われるか、崖下に落ちるか。
どっちも死にそうだが……。
俺はものすごい勢いで迫ってくる飛竜を前に、飛び降りる選択肢を取った。
やっぱり食われるのだけは嫌だ。
「うわぁあああああぁあああああ!」
自由落下で内臓が宙に浮く感覚を覚えながら、崖下までものすごい勢いで近づく。
上を見ると、襲ってきていた飛竜は崖にぶつかり、頭がハマってしまって動けなさそうだった。
しかしここまでか。
俺は諦めの感情とともに目を瞑る。
そのまま地面に思い切り打ち付けられ——ずに、なにか柔らかいものにぶつかった。
「……ん?」
なんだろうと思って首を傾げ、目を開く。
そして俺を支えている柔らかいものを見ると、それはモフモフの巨大ウサギだった。
どうやらこいつが俺の下敷きになってくれたらしい。
ありがとう、助かった、の意を込めて、ポンポンとそいつの頭を叩いてやる。
するとウサギは身体を揺すって俺を振り下ろした。
目が合う。
少しの間、見つめ合う。
なんだか、ウサギの目は、怒りに燃えているように見えた。
「ピュギュゥウウウウウウウウゥウ!」
「うわぁあああああぁああ! すまんって!」
襲いかかってくる巨大ウサギ。
その跳び蹴りを慌てて避けると、俺は全力で森の方へ逃げ出す。
しかし巨大ウサギの悪路を走る速度は尋常じゃなかった。
「速すぎ、速すぎ! 追いつかれちゃうって!」
全力で走っているはずなのに、徐々に距離が縮まっていっている。
そして最終的に、俺は巨大ウサギの跳び蹴りを食らって地面に倒れ伏した。
ジリジリとにじり寄ってくる巨大ウサギ。
これは戦うしか道がないのか。
そう思っていると、木々の陰から線の細い少年が現れる。
紫色の肌を持ってるから、おそらく魔族なのだろう。
まあ魔族領なのだから当たり前か。
彼は俺たちの様子を見ると、キョトンと首を傾げた。
「あれ? ウチェット、なにしてるの?」
ウチェット?
このウサギの名前だろうか?
「ぴぎゅぴぎゅ」
「ふんふん」
「ぴぎゅぴぎゅ」
「ふんふん」
その少年と巨大ウサギはなんだか話し合っているようだ。
あれで会話は成立しているのだろうか?
そう不思議に眺めていると、ふと少年が声をかけてきた。
「あの……ウチェットにいきなり襲いかかったってホント?」
「うっ……そのつもりはなかったんだが、実際そうなってるよな。すまんかった」
俺は頭を下げる。
しかしウチェットはふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「そのつもりはなかったって、じゃあどうしてそうなったの?」
そう尋ねてくる少年に、俺はさっきの経緯を説明する。
すると少年はなるほどと頷いて言った。
「そっか。それじゃあ確かに仕方ないね。ウチェット、謝ってもらったんだし、許してあげたら?」
「ぴぎゅ!」
少年の言葉に、巨大ウサギ——もといウチェットが前片足を差し出してきた。
俺はそれを握り、仲直りが成立する。
「うんうん、仲直りできてよかった」
少年は満足そうに頷くと、今度は俺に尋ねてくる。
「それで、おじさんはどうして崖なんて歩いてたの?」
「ああ、酒場で王都へのショートカットになってるって聞いてね」
「……ショートカット? ああ、多分それ、騙されてるよ」
やっぱりかぁ……。
途中からそうなんじゃないかと思ってたんだ。
「まあ魔族は良くも悪くも実力主義だからね。人族だから舐められてたんじゃない?」
随分とはっきり言う。
このくらいはっきり言ってくれた方が、わかりやすくて助かるけど。
「う〜ん、これからどうするか」
俺は腕を組み悩みながら空を見上げる。
そろそろ日が暮れてきて、空が赤く染まり始めていた。
「それじゃあ僕の村においでよ。大したものはないけど、みんな優しいし」
「ホントか!? それは助かる!」
俺はこうして少年——ジンの好意に甘え、村の方に向かうのだった。
ちなみにウチェットは仲直りしてから馴れ馴れしくなり、鬱陶しいくらいに絡んでくるようになった。




