第八十七話「ドリトスの解呪」
ガラスの割れる音とともに俺たちは元の世界に戻っていた。
記憶の世界だったはずの部屋はただの薄暗い物置きになった。
「……ドリトスさんは?」
ポツリとルインが言った。
確かにと思って周囲を見渡すと、アカネたちがいて、その奥にドリトスもいた。
彼は地面に座り込み、ぼんやりと地面を眺めている。
俺はゆっくり彼のほうに近づくと声をかけた。
「大丈夫か?」
尋ねると彼は虚な瞳をこちらに向け何度か瞬きをする。
その度に瞳に光が戻っていき、ようやく焦点が合ったところで口を開いた。
「ああ、問題ない。それどころかアンデット化も治ったぞ」
「──ってことは?」
「ああ。ちゃんと目も見えている。チラチラと瞬いている松明の光もちゃんと感じ取れている」
その言葉を聞いたアカネたちはホッとため息をついた。
俺たちの元にレミが近づいてくると、彼女はこう言った。
「ドリトス様。ラミ様を救っていただき、本当にありがとうございます」
「……救えたのかどうかは、あいつ次第だと思うがな」
「いえ、ちゃんと救えていると思いますよ。少なくとも私はそう思います」
俺とルインが魔族と戦っている間、ドリトスがどんなやり取りをしていたのかは分からない。
しかし長い年月、二人の間にあったわだかまりを解消することができたのだろう。
「さて、というわけでこんな辛気臭い地下室からは出ましょう。ドリトス様も陽の光を感じたいでしょうし」
パンと手を叩きレミが言った。
そして先導して部屋の扉を開け階段を登っていく彼女に続く。
階段を登り切ると、ちょうどレミの子レイミが廊下を横切るところだった。
「あれ!? そんなところに階段なんてあったのか!?」
おそらく地下室はレイミには隠されていたのだろう。
階段から出てくる俺たちを見て驚きの表情を浮かべた。
「レイミ。説明は後でするので、一旦彼らを部屋まで──」
レミが前に出てそう言いかけるが、その言葉を遮ってドリトスはレイミのほうに寄っていった。
「……ドリトス様?」
「ああ、そうか。そうだったな。ラミ、君の幼い頃もこんな姿だったな」
ドリトスは震える声で言った。
その言葉を聞いた俺たちにかける言葉はなかった。
「忘れていたよ。すっかり、何もかも。覚えていたつもりでも、記憶というものはいつの間にか風化してしまうものなんだな」
そう言うドリトスに一人だけ現状を理解できていないレイミが首を傾げる。
「なんだなんだ? どういうことだ?」
困惑しているレイミに近づき、ドリトスは微笑んで優しく頭を撫でると言った。
「君はこの平和な世界で健やかに育ってくれ」
「…………? よく分からんが、任せろ!」
彼女にとって意味のわからないセリフだっただろうが、胸を張って堂々と答えた。
ドリトスはそれに満足したように頷くと、廊下を歩き出した。
俺たちはそれに慌てて続いて、廊下を歩いていくのだった。
***
俺たちはその日のうちに魔族領を経ち、炭鉱街バックポットに向かっていた。
その道中、俺たちはドリトスから記録の世界で何があったのか聞いていた。
「おそらくあの記録の世界は、俺とラミの魂を縛り付けるためのものだったんだ」
馬車に揺られながらドリトスは言った。
その言葉にナナが疑問を投げかける。
「魂を縛り付ける? 前も言ってたけど、一体どういうことなの?」
「ああ、あれは俺やラミから魂だけを切り離して、記憶の中を延々とループさせてたんだ。だから今までの俺は生物ではなく、生物の形をした抜け殻だったわけだ」
……なるほど。
なかなか衝撃的な話だ。
俺は衝撃を受けながらも、ふと気になったことを口にする。
「しかしなんでラミさんの魂まで縛り付ける必要があったんだ?」
「魂を記憶の中に封じ込めるには対となる魂が必要だったのだろう。人型の種族というものは社会性の生き物でありコミュニケーションから人格が成り立つ。一人では記憶は成立しないから、その相方も同時に封じ込める必要があった」
難しい話だが、なんとなく理解はできた。
ドリトスの相対的な部分を保つために、ラミの魂も必要だったということだろう。
「でもその封印を解いたら、ラミさんは……」
ルインが考えるようにポツリと言う。
それにドリトスは頷くと答えた。
「ああ。ラミの魂はもうあの世に還ったよ」
「……そうなんだ」
ドリトスの言葉になんとも言えない空気が漂う。
そんな空気を壊すようにナナが手を叩くと明るい声音で言った。
「でもでも! これでドリトスさんの目が見えるようになったし、あの【英雄伝説】を読み解けるね!」
確かにそうだ。
元の目的はアレバさんのために【聖剣ジジニシア】を作ることだ。
その材料である聖鉱石の在処が【英雄伝説】に書かれているかもしれない。
「そうですね。どうしても聖剣ジジニシアを作らなければならないので」
アカネが決意のこもった表情でそう言う。
こうして俺たちは炭鉱街バックポットにたどり着くと、早速【英雄伝説】を読み解こうとするのだった。




