第百八十三話「決戦前夜」
銀狼族の村に、かつてないほどの数の来訪者が集っていた。
空にはドーイが誇らしげに見守る飛行艇が静かに浮かび、その甲板からはエルフの騎士団と魔族の魔導兵たちが、眼下の光景を興味深げに、あるいは緊張した面持ちで見下ろしている。
地上では、長老の小屋を中心に、超大陸アベルの運命を左右するであろう者たちが顔を突き合わせていた。
「まさか、このような形で再会するとはな、英雄たちよ」
女王の威厳を纏いながらも、リンネの瞳には俺たちへの親しみが浮かんでいる。
アーシャが代表して、優雅に一礼した。
「リンネ女王陛下、デリア王女殿下。この度の援軍、心より感謝いたします」
「礼には及ばない。アリゼは我らの恩人でもあるからな。友の危機に駆けつけるのは当然のことだ」
デリアもまた、王女としての気品と、一人の友人としての温かさを滲ませて微笑んだ。
彼女たちの後ろで、ジンが俺を見つけると、駆け寄ってきて深々と頭を下げる。
「アリゼさん! あなたのおかげで、僕は再びリンネ様のお側に……。この御恩は、必ずや」
「いいってことよ。お前が自分の道を見つけただけだ。それより、よく来てくれたな」
俺がジンの肩を叩くと、彼は誇らしげに胸を張った。
再会の喜びも束の間、俺たちはすぐに長老の小屋へと集まり、最後の作戦会議を始める。
壁には、地下墓地で手に入れた研究所の地図が広げられていた。
「――これが、奴らの本拠地、《アルベルト公爵家第二研究施設》だ」
俺が地図の中心を指し示すと、その場にいた全員の表情が引き締まる。
そこへ、エリスに支えられながら、回復したばかりのネシウスがゆっくりと口を開いた。
「僕が……覚えているのは断片的なことだけです。でも、この地図にある地下……そこには、巨大な魔法陣がありました。たくさんの人間や獣人が、管に繋がれて……」
ネシウスの言葉は、その場の空気をさらに重くする。
彼の証言は、日誌の記録と完全に一致していた。
そこが《覚醒の祭り》の儀式場であることは、もはや疑いようがない。
「アルベルトのやりそうなことだ」
バランが、忌々しげに吐き捨てた。
彼は壁に背を預け、腕を組んでいる。
「奴は、目的のためならどんな犠牲も厭わん。正面から突っ込んでも、研究施設ごと自爆させるような罠を仕掛けている可能性が高い」
「では、どうするのです?」
アカネの問いに、ドーイが飛行艇の設計図を広げながら一歩前に出た。
「それなら、俺の飛行艇の出番だな! こいつの船底には特殊な隠蔽魔術が施してある。上空からなら、気づかれずに施設の真上まで接近できるはずだ!」
「なるほど。空からの奇襲か」
俺が頷くと、ニーナが冷静に作戦を組み立てていく。
「陽動が必要ね。デリアさんとリンネさんの部隊には、施設の正面ゲートで派手な攻撃を仕掛けてもらう。その隙に、私たち突入部隊が飛行艇から降下し、地下の儀式場を直接叩く」
「それが最も確実だろう。儀式の要である魔法陣さえ破壊すれば、祭りは阻止できるはずだ」
リンネもデリアも、その作戦に力強く頷いた。
タイムリミットは、バランの計算によれば、赤き月が昇るまであと九日。
準備と移動を考えれば、残された時間はほとんどない。
作戦が固まり、各々が出撃の準備を始める。
武器を手に取り、鎧を締め直す音だけが、小屋の中に静かに響いていた。
俺は、再び集った五人の娘たちを見回す。
その瞳には、かつての不安や迷いはない。
ただ、仲間を、そしてこの大陸を守るという、英雄としての揺るぎない決意だけが燃えていた。
ネシウスが、エリスの手を借りて立ち上がると、俺の前に進み出た。
「僕も……戦います。操られていたとはいえ、僕が犯した罪は消えない。だから、僕の力で、公爵を……」
「お前の戦いは、自分自身を取り戻すことだ」
俺は彼の言葉を遮り、その肩に力強く手を置いた。
「罪なんて思うな。お前は誰よりも、この戦いを終わらせたいと願っているはずだ。その想いこそが、俺たちの力になる」
ネシウスの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
彼はそれを乱暴に拭うと、固く頷いた。
夜明けの光が、小屋の窓から差し込み始める。
俺は全ての仲間たちに向き直り、力強く宣言した。
「いいか、全員聞け。俺たちの戦いは、誰かの犠牲の上に成り立つものじゃない。全員で、この大陸の闇を終わらせて、全員で生きて帰るための戦いだ」
――その剣は誰が為に。
このかけがえのない仲間たち全員の未来を守るため。
そのために、俺はこの剣を振るう。
「さあ、行くぞ!」
俺の檄に応え、英雄たち、王族たち、そして獣人たちが、一つの雄叫びを上げた。
夜明けの光の中、ドーイの飛行艇がゆっくりと浮上していく。
銀狼族の村人たちが見送る中、俺たちは次々と甲板へと乗り込んだ。
目指すは、全ての元凶が待つ、アルベルト公爵の研究所。
超大陸アベルの未来を懸けた最後の戦いが、始まろうとしていた。