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第百八十二話「全てが集束する時」

 黄金の光が完全に収束し、銀狼族の村には夜明けの静寂が戻っていた。

 儀式を終えた小屋の中では、安堵と疲労、そして静かな歓喜が入り混じった空気が満ちていた。

 敷物の上でゆっくりと身を起こしたネシウスは、まだ夢現の状態にあるかのように、ぼんやりと自分の手のひらを見つめている。

 その瞳には、かつての虚無ではなく、戸惑いと、確かな生命の光が宿っていた。


「お兄ちゃん……!」


 エリスが涙ながらにその名を呼ぶと、ネシウスはゆっくりと顔を上げた。

 目の前にいる妹のエリス、心配そうに見守るリア、ミアたちの顔を一人一人確認する。

 記憶が、断片的に蘇ってくるようだった。

 暗い実験室、身体を焼くような痛み、そして、抗えぬ衝動のままに誰かを傷つけてしまった悪夢のような光景。


「僕……は……」


 掠れた声で呟き、彼は自分の身体に禍々しい紋様が消えていることに気づいた。

 代わりに、胸の奥には《聖なる水晶》から流れ込んだ温かく穏やかな力が満ちているのを感じる。


「大丈夫。もう、大丈夫だから」


 エリスが兄の手を固く握りしめる。

 その温もりが、ネシウスの凍てついていた心をゆっくりと溶かしていくようだった。

 俺は、小屋の入り口からその光景を静かに見守っていた。

 隣にはアーシャと、壁に背を預けて荒い息を整える師匠のバランがいる。


「……よかった」


 俺が誰に言うでもなく呟くと、アーシャも静かに頷いた。

 長老が、疲労困憊のミアを労いながら、ゆっくりとネシウスに近づく。


「目覚めたか、若き狼よ。お主の魂は、仲間たちの絆によって繋ぎ止められた。だが、お主の中に巣食っていた闇の残滓は、まだ完全には消え去っておらぬ」


 その言葉にネシウスはハッとして自分の過去の所業を思い出したのか、苦痛に顔を歪めた。


「僕が……やったこと……」

「お前がやったことではない」


 その声は小屋の外から聞こえてきた。

 アカネだった。

 彼女はルルネ、ニーナと共に小屋に入ってくると、真っ直ぐにネシウスを見つめて言った。


「お前は操られていただけだ。悪いのは、お前をそんな姿に変えた奴らだ。だから、自分を責めるな」


 その力強くも優しい言葉に、ネシウスの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。

 俺は、ゆっくりと彼らの輪に加わった。

 そして、まだ起き上がるのも辛そうなネシウスの前にしゃがみ込むと、その肩に手を置いた。


「よく、耐えたな」


 ただ、それだけを伝えた。

 その一言に、ネシウスの心の最後の壁が崩れたように、彼は静かに嗚咽を漏らし始めた。

 エリスとリアが、その小さな背中を優しくさする。

 長い間、孤独な闇の中で戦い続けてきた魂が、ようやく安息の場所を見つけた瞬間だった。



   ***



 その日の午後、一行は再び長老の小屋に集まり、今後の作戦を練っていた。

 ネシウスはまだ衰弱しているものの、エリスたちの手厚い看病とミアの治癒魔法のおかげで、少しずつだが言葉を交わせるまでに回復していた。


「……僕が覚えているのは、断片的なことだけです」


 ネシウスは温かい薬草茶をゆっくりと飲みながら、途切れ途切れに語り始めた。


「暗い研究施設……同じように捕らえられた、たくさんの獣人や人間……。《英雄の素》と呼ばれる何かを注入されると、身体の奥から力が湧き上がってくるんですが、同時に、自分の意識が遠のいていくような感覚でした」

「やはり、地下墓地にあった記録の通りか」


 俺が呟くと、アーシャが地図を広げた。

 それは、地下墓地で発見したアルベルト公爵の研究所の位置を示すものだ。


「守護者の預言にあった《大陸統一の覚醒祭》……そして、赤き月。おそらく公爵はその儀式で、お前のような実験体を一斉に覚醒させ、手駒にするつもりなんだろう」

「赤き月……」


 ネシウスが何かに思い当たるように目を見開いた。


「確か、研究員たちが話していました。『祭りの日は近い。次の赤き月が、我らの悲願を成就させる』と……」

「次の赤き月だと!?」


 バランはそれまで黙って聞いていたが、初めて鋭い声を発した。


「それは、この大陸で年に一度だけ観測される不吉の兆候。計算が正しければ……あと十日もないはずだ!」


 その言葉に、小屋の中の空気が一気に張り詰める。

 残された時間は、あまりにも少なかった。


「研究所の場所は分かってるけど。でも、正面から乗り込んでも罠にかかるだけ」


 ニーナが冷静に分析する。


「ネシウス、お前がいた施設の内部構造や、警備について何か覚えていることはないか?」

「……すみません。僕はほとんど独房のような場所にいて……。ただ、施設の地下深くに、巨大な魔法陣のようなものがあったのは覚えています。そこが、儀式の場所だと」


 情報が揃っていく。

 敵の本拠地、目的、そしてタイムリミット。

 俺は全員の顔を見回した。

 誰もが傷つき、疲れ果てていた。

 だが、その瞳には絶望の色など微塵もなかった。


「……決まりだな」


 俺が静かに言うと、全員がこちらを向いた。


「俺たちのやることは一つだ。公爵の研究所に乗り込み、《覚醒の祭り》とやらを完全に叩き潰す」


 その言葉に、アカネが獰猛な笑みを浮かべた。

「ようやく反撃開始ってわけですね。腕が鳴りますね」


 ルルネも双剣を握りしめる。


「ええ。これ以上、あいつらの好きにはさせないわ」


 その時、小屋の外がにわかに騒がしくなった。

 見張りの銀狼族の戦士が慌てた様子で駆け込んでくる。


「長老様! 東の空より、所属不明の飛空艇が多数、こちらへ向かってまいります!」

「なんだと!?」


 全員が外へ飛び出すと、東の空に、確かに複数の黒い点が見えた。

 それは徐々に大きくなり、帆に描かれた紋章が明らかになる。


「あれは……!」


 俺は目を見開いた。

 一つは、エルフの国ミミア王国の王家の紋章。

 そしてもう一つは、魔族の国ネーシス王国の女王の紋章だった。


「デリア……リンネ……!」


 儀式の夜に見た幻視は、現実だったのだ。

 遠く離れた仲間たちが俺たちの危機を察知し、援軍を率いて駆けつけてくれたのだ。


「アリゼさん!」


 飛空艇から降りてきたのは、凛々しい騎士の鎧を纏ったデリアと、女王の威厳を漂わせるリンネ。

 そしてその傍らで心配そうにこちらを見つめるジンだった。


「友人たちの戦いに、加勢しないわけにはいかないでしょう?」


 デリアが悪戯っぽく笑う。

 リンネもまた、静かに頷いた。


「恩人たちの危機を見過ごすわけにはいきませんからね」


 エルフの精鋭騎士団と、魔族の屈強な魔導兵団。

 彼らの最後に、どこか誇らしげに胸を張るドーイが飛行艇から降りてきた。

 そんなドーイに、俺は声をかける。


「完成させたんだな」

「……ああ。何とかな」


 これ以上ないほど心強い援軍の到着に、銀狼族の村は歓声に包まれた。


 俺は、再び集った仲間たちの顔を見回す。

 超大陸アベルで出会った者たち、そして大陸アガトスから共に旅をしてきた、かけがえのない家族。

 その全員が、今、一つの目的のためにここにいる。


 俺は、空を見上げた。

 赤き月が昇るまで、あと僅か。

 だが、もう何も恐れることはない。


「よし、全員揃ったな」


 俺は全ての仲間たちに向かって、力強く宣言した。


「これから、俺たちの総力戦だ。アルベルト公爵の野望を打ち砕き、この大陸に本当の夜明けを取り戻すぞ!」

「「「はいっ!!」」」


 英雄たち、王族たち、そして獣人たちの雄叫びが、この国の山々に力強くこだました。

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