第百七十七話「儀式の準備」
再会を喜び、互いの無事を確かめ合った翌朝。
俺たちの間に漂う空気は、安堵と、これから成すべきことへの静かな決意が入り混じった、独特な緊張感を帯びていた。
銀狼族の長老の小屋に、俺たち旅の仲間と村の重鎮たちが集まり、最後の作戦会議が開かれていた。
小屋の中央で横になるネシウスは、まだ衰弱しきってはいたが、その瞳には確かに意識の光が宿っていた。
妹であるエリスが傍らに付きっきりで、その手を固く握っている。
「すま、ない……」
か細い声で謝罪を口にするネシウスに、俺は首を横に振った。
「お前が謝ることじゃない。お前も被害者だ。今は、自分のことだけを考えろ」
俺がそう言うと、ルルネが懐から《聖なる水晶》を慎重に取り出した。
彼女がそれをネシウスの胸元へとかざすと、奇跡が起こった。
水晶が放つ清らかな光に応えるように、ネシウスの首筋に浮かんでいた禍々しい紋様が、陽光に溶ける雪のようにすうっと薄れていく。
彼の苦しげだった呼吸も、明らかに穏やかなものへと変わった。
「やはり、これしかありません」
ミアが、聖女としての確信を込めて言った。
彼女と長老、そして魔法理論に精通するニーナが、儀式の詳細を詰めていく。
「彼奴の魂に寄生する《人工英雄の素》は、強力な毒のようなもの。ただ力ずくで引き剥がせば、魂そのものが砕け散ってしまう」
長老の言葉は重い。
「つまり、毒を浄化すると同時に、器である魂が壊れないように支え続けなければならない……。そのための二つの儀式。《浄化の儀式》と、《魂の繋止》」
ニーナが冷静に分析する。
《浄化の儀式》は長老たちが、《魂の繋止》はミアが《聖なる水晶》を使って行う。
そして、エリスとリアは、ネシウスとの絆を頼りに、彼の魂をこの世に繋ぎ止めるための重要な「縁」となる。
そして、残った俺、アーシャ、アカネ、ルルネ、そして師匠のバラン。
俺たちの役目は、儀式の守護者。
「儀式が始まれば、この村には凄まじい魔力の嵐が吹き荒れることになる」
バランの言葉に、俺はごくりと唾を飲んだ。
「その気配を嗅ぎつけ、アルベルトの犬どもが嗅ぎつけてくる可能性は高い。儀式が終わるまで、何人たりともこの小屋に近づけるな。それが、我らの戦いだ」
全員の顔に、覚悟の色が浮かんだ。
それぞれの戦場で、それぞれの役割を全うする。
全ては、一人の仲間を救うために。
「儀式は、日没と共に始める」
長老の宣言で、村全体が静かに動き出した。
戦士たちは守りを固め、女たちは儀式の準備を整える。
俺もまた、長かった旅路の果てに掴んだ希望を守り抜くため、静かに剣の柄を握りしめた。
陽が西に傾き、空が茜色に染まり始める。
小屋の中央には、清められた塩と薬草で巨大な魔法陣が描かれ、その中心にネシウスが横たえられた。
「……頼む」
俺は、儀式の中核を担うミアの肩にそっと手を置いた。
彼女は力強く頷き返し、ネシウスの頭上に立つと、《聖なる水晶》を両手で掲げた。
ニーナと長老が魔法陣の両脇に座し、エリスとリアが、祈りを込めてネシウスの手を握る。
そして、小屋の外。
俺、アーシャ、アカネ、ルルネ、バランの五人は、それぞれ武器を手に、五方位に分かれて小屋を囲むように仁王立ちになった。
背後には、沈みゆく夕日と、どこまでも広がる獣人の国の深い森が広がっている。
俺たちの最後の戦いが、始まろうとしていた。
「……来るぞ」
バランが、森の闇の奥を見据えながら低く呟いた。
その言葉に応えるかのように、小屋の中から、長老の古えの言葉による、厳かな詠唱の第一声が響き渡った。
それと同時に、ミアが掲げた《聖なる水晶》が、ネシウスの心臓の鼓動と共鳴するかのように、穏やかで力強い光を放ち始めた。
儀式は、始まった。
そして、俺たちの戦いも。