第百七十五話「再会の涙」
鉄爪のヴォルグが森の闇へと消え、後に残されたのは戦闘の爪痕と、張り詰めた静寂だけだった。
銀狼族の戦士たちが傷ついた仲間を介抱し、長老が村の守りを再編成しようと指示を飛ばす中、森の中から現れた三つの新たな気配に、その場にいた誰もが息を呑んだ。
「ミア……!」
その声に、封印の維持と先ほどの戦いで疲労困憊だったミアが、弾かれたように顔を上げた。
そこに立っていたのは、半年もの間、夢にまで見た懐かしい恩人の姿――アリゼだった。
彼の隣には、同じく息を切らしながらも、凛とした佇まいを崩さないアーシャがいる。
そしてその後方には、この場の誰よりも強大で、静かな圧を放つ熊の獣人、バランが腕を組んで立っていた。
「アリゼさん……! アーシャさん……! どうして、ここに……?」
ミアの声は弱々しく、安堵と驚きで震えていた。
アリゼとアーシャは、言葉を発するよりも先に、ミアの元へと駆け寄った。
道中、どれほど彼女たちの身を案じていたことか。
指名手配の噂を聞き、最悪の事態ばかりが頭をよぎっていた。
だが今、目の前にいるミアは、ひどく疲れ果ててはいるものの、確かに無事だった。
「お前たちを探しに来たんだ。……大変だったな、ミア」
アリゼは、それだけを言うのが精一杯だった。
彼はミアの肩にそっと手を置く。
その不器用だが温かい感触に、これまで気丈に張り詰めていたミアの心の糸が、ぷつりと切れた。
「アリゼさ……っ!」
ミアの瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出す。
アリゼは何も言わず、ただ優しくその頭を撫でた。
それは、かつて彼女たちがまだ幼い少女だった頃と、何も変わらない、父親のような温もりだった。
その傍らで、アーシャはすぐに状況を把握し、行動を開始していた。
「あなたはネシウスさんの妹さんですね。私はアーシャ。大丈夫、もう心配いりません」
兄を抱きしめたまま呆然とするエリスに優しく声をかけると、すぐさま負傷した銀狼の戦士たちの元へ向かい、手際よく止血や応急処置を始める。
その冷静で的確な動きは、彼女が英雄と呼ばれるにふさわしいリーダーシップと経験を積んできたことを物語っていた。
一方、バランは村の長老と静かに対峙していた。
「貴殿は……? この強大な気配、ただ者ではあるまい」
長老の鋭い問いに、バランはフンと鼻を鳴らした。
「バランだ。こいつらの師匠をやってる。それより長老、あの小僧の状態はどうなっておる」
バランの視線は、エリスの腕の中で意識を失っているネシウスに向けられていた。
「……アルベルト公爵の実験体だ。亜神とかいう、ふざけた代物にな」
バランは忌々しげに吐き捨てた。
彼の言葉に、長老は全てを察したように深く頷く。
二人の強者の間には、多くを語らずとも、共通の敵に対する敵意と、この事態の深刻さへの理解が共有されていた。
やがて、落ち着きを取り戻したミアが、アリゼとアーシャにこれまでの経緯を説明し始めた。
ネシウスがエリスの兄であること、彼が公爵に連れ去られ実験体にされたこと、そして先ほど、妹を守るために自らの意思で覚醒し、ヴォルグを退けたこと。
今度はアリゼたちが、王都の地下墓地で発見したおぞましい研究日誌と、《人工英雄の素》の存在、そして公爵の研究所を示す地図を見せた。
「やはり……。お兄ちゃんは、あんな場所で……」
エリスが唇を噛みしめる。
二つのグループが持ち寄った情報は、パズルのピースがはまるように、アルベルト公爵の計画の恐ろしさをより鮮明に浮かび上がらせた。
「だが、これで目的ははっきりしたな」
バランが低い声で言う。
「奴らの本拠地は分かっている。あとは、残りの仲間と合流し、一気に叩くのみだ」
「残りの仲間……ルルネさんたちは?」
ミアが尋ねると、アリゼは懐からアレバの形見である《魔力発信機》を取り出した。
それは、先ほどのヴォルグとの戦闘の最中から、微かに、しかし確実に温かい光を放ち始めていた。
「ああ。この発信器によれば、ルルネたちの気配もこの獣人の国にある。だが、正確な位置までは……」
アリゼがそこまで言った、その時だった。
それまで微かな光を放つだけだった発信器が、ふいに脈打つように、これまでよりも一段と強い光を放ち始めたのだ。
「これは……!」
アーシャが目を見開く。
「この光の強さ……間違ありません! もう一つの発信器が、すぐ近くまで来ています!」
その言葉に、全員がハッと息を呑み、森が続く東の空を見上げた。
ルルネ、ニーナ、アカネ。
残る三人の仲間たちが、今まさにこの場所へ向かってきている。
長かった分断の時が、終わろうとしていた。
「みんな……!」
ミアの瞳に、再び涙が滲む。
それは先ほどの安堵の涙とは違う、仲間との再会を確信した、喜びに満ちた涙だった。
アリゼもまた、強く拳を握りしめる。
ようやく、ようやく全員が揃う。
そして、この大陸の闇に、仲間たちと共に立ち向かう時が来るのだ。
村に響いていた戦いの喧騒は、いつしか止んでいた。
代わりに、仲間たちの帰還を予感させる希望の光が、その場にいる全員の心を静かに、そして温かく照らし始めていた。