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第百七十一話「託された希望」

 水晶の守護者が形を成していた石と光の粒子は、完全に元の壁と床へと還り、神殿には再び静寂が訪れた。

 目の前には、祭壇に安置された《聖なる水晶》へと続く、一本の光の道だけが水面に揺らめいている。

 守護者の最後の言葉が、まだ四人の心に重く響いていた。


「『救済の力は、等しく破滅の力ともなる』か……」


 アカネが、どこか畏敬の念を込めて呟く。

 彼女たちはこれから手にする力が、単なる奇跡の道具ではないことを痛感していた。

 それは、使い方を誤れば、ネシウスを救うどころか、さらなる悲劇を生みかねない、あまりにも強大な力なのだ。


「行きましょう」


 ルルネが決意を固めた声で言った。

 彼女を先頭に、一行は光の道へと足を踏み入れる。

 水面を歩いているはずなのに、足元は確かな感触があり、まるでガラスの上を歩いているかのようだった。

 一歩進むごとに、祭壇から放たれる清らかな魔力が、心地よい波動となって全身を包み込んでいく。


 やがて一行は、祭壇の前へとたどり着いた。

 間近で見る《聖なる水晶》は、まるで生きているかのように、穏やかなリズムで青白い光を脈打たせていた。

 その内部には、天の川のような光の渦がゆっくりと回転しており、見つめているだけで魂が吸い込まれそうなほどの神秘的な美しさを湛えている。


 三人の英雄の中で、試練を乗り越えるための「導き手」の役割を果たしたルルネが、代表として一歩前に出た。

 彼女はゆっくりと手を伸ばす。

 水晶に指先が触れる寸前、彼女は一瞬ためらった。

 この小さな石ころ一つに、ネシウスの、そして仲間たちの未来が懸かっている。

 その重圧に、指が微かに震えた。


 しかし、彼女はすぐに迷いを振り払う。

 隣に立つアカネとニーナの、そして村で待つ仲間たちの顔が脳裏に浮かんだ。

 一人ではない。

 この重荷は、全員で分かち合うのだ。


 ルルネの手が、そっと水晶に触れた。

 その瞬間、想像していたような衝撃はなく、代わりに母親の温もりのような、優しく穏やかなエネルギーが手のひらから全身へと流れ込んできた。

 これまでの旅で蓄積した疲労が癒え、荒んでいた心が静かに満たされていく。

 それは、まさしく生命そのもののような、純粋な救済の力だった。


 ルルネは両手で慎重に水晶を持ち上げると、ゆっくりと祭壇から離した。

 その刹那、守護者の声が、今度は警告の響きを伴って、神殿全体に、そして彼女たちの魂に直接響き渡った。


『星の涙は汝らの手に渡った。だが、忘れるな。汝らが対峙する闇は、汝らが思うよりも深く、古きものなり』


 一行は息を呑み、その言葉に耳を傾ける。


『星の涙は、力を与えるにあらず。ただ、眠りしものを呼び覚ます鍵に過ぎぬ。かの少年は器なれど、《統一》が真に求めるは、その魂にあらず。大陸そのものの命脈なり』


 大陸の命脈?

 アルベルト公爵の計画は、単なる支配や亜神の創造に留まらないというのか。


『赤き月が昇る刻を見よ。それこそが覚醒の始まり。祭りが成就せし時、この大地は再び、永劫の悲しみに包まれん』


 その言葉を最後に、守護者の声は完全に沈黙した。

 同時に、神殿全体が静かにその役目を終えようとしているかのように、変化を始めた。

 天井で星のように瞬いていた鉱石は光を失い、壁の水晶柱の輝きも急速に薄れていく。

 祭壇へと続いていた光の道も、足元から徐々に水面へと還り始めていた。


「急いでください! 聖域が眠りに戻ります!」


 カゲトが叫ぶ。

 彼の声に、三人はハッと我に返った。


 ルルネは《聖なる水晶》を慎重に革袋へ納めると、懐に固くしまい込む。

 そして四人は、消えゆく光の道を全力で駆け戻った。


 巨大な石門までたどり着くと、扉はすでにゆっくりと閉じ始めている。

 四人がギリギリのところで滑り込むように外へ出た直後、ゴゴゴ……という最後の地響きを残して、門は完全に閉ざされた。


 振り返ると、そこにあるのは、先ほどまでと変わらない、蔦と苔に覆われたただの古代遺跡。

 あれほど満ちていた神聖な気配は嘘のように消え去り、ただの静かな廃墟が夕暮れの光の中に佇んでいるだけだった。


「終わった……のか」


 アカネが呆然と呟く。

 まるで長い夢から覚めたかのようだった。

 だが、ルルネの懐で確かな重さと温もりを持つ水晶が、全てが現実であったことを物語っている。


 四人は山の中腹から、西の空を見つめた。

 太陽はすでに地平線の向こうに沈みかけており、空は燃えるような茜色と、深い藍色が混じり合った、美しいグラデーションを描いていた。


「《大陸統一の覚醒祭》……赤き月……」


 ルルネが、守護者の遺した預言を反芻する。

 それは、彼らに残された時間が極めて少ないことを示唆していた。


 彼女は懐の水晶を強く握りしめる。

 その表情は、疲労の中にも、仲間を救うという希望と、新たなる脅威に立ち向かうという、燃えるような決意に満ちていた。


「時間がないわ。急いでみんなの元へ戻りましょう!」


 ルルネの力強い声が、夕暮れの静かな山々に響き渡った。


 一つの試練は終わった。

 だが、本当の戦いは、これから始まるのだ。

 一行は、一刻も早く仲間たちの元へと帰還すべく、険しい山道を再び駆け下りていくのだった。

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