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第百六十九話「心の闇」

 ゴゴゴ……という地響きと共に、開かれた《オーカスの遺跡》の石門が背後でゆっくりと閉じていく。

 完全に閉ざされた瞬間、松明の明かりすら届かぬ完全な闇と静寂が、一行を包み込んだ。


「私が光を」


 ニーナが短く告げると、彼女の杖の先端に青白い光球が灯り、周囲を照らし出した。

 そこに現れたのは、どこまでも続くかのような巨大な石造りの回廊だった。

 壁や天井には、風化しかけた精緻な彫刻が施されているが、そのモチーフはエルフやドワーフの様式とは全く異なる、異質な文明の匂いを漂わせている。


「ここが……遺跡の内部。外とは比べものにならないほど、魔力が濃い」


 ルルネは肌で感じる濃密な魔力に、警戒を強めながら言った。

 空気はひんやりと澄んでいるが、まるで水の中にいるかのように重く、息が詰まりそうだ。


「気を確かに! 伝承では、ここからが本当の試練が始まると言います!」


 カゲトが一行に警告する。

 彼の言う通り、ただの迷宮ではない。

 回廊を進み始めて数分後、その異変は始まった。

 アカネの目に、目の前の石の回廊が、徐々に乾いた土と血の匂いがする戦場へと変わっていくのが見えた。


「……なんだ、これは」


 彼女が立ち止まると、倒したはずの魔物や、かつて剣を交えた者たちの幻影が、陽炎のように立ち上り始めた。

 彼らは怨嗟の声を上げるわけではない。

 ただ、虚ろな瞳でアカネを見つめ、無言で問いかけてくる。


『お前はただ、力を振るいたいだけではないのか』

『守るため、と言いながら、お前が楽しんでいるのは戦いそのものではないのか』


 かつてルルネに「脳筋」と揶揄された言葉が、幻影たちの唇から形を変えて突き刺さる。

 アカネは大剣を握る手に力を込めた。自分の力が、仲間を守るためのものであることに疑いはない。

 だが、その力の行使の果てにある破壊と殺戮の現実から、目を背けることはできなかった。


『お前は殺戮者だ。その手は血に塗れている』


 幻影の一人がそう囁いた瞬間、アカネは歯を食いしばった。


「違う……!」


 彼女が叫んだその時、幻影の中に、懐かしい師の姿――アリゼの幻が浮かび上がった。

 彼は何も言わず、ただ静かな眼差しでアカネを見つめ、心に直接問いかけてくるようだった。


『その剣は誰が為に?』


 その問いが、アカネの心に深く突き刺さる。

 そうだ、原点はそこにある。

 迷うことなど何もない。


「私の剣は!」


 アカネは、幻影たちに向かって高らかに叫んだ。


「仲間たちの笑顔を守るためにある! あいつらが笑って飯を食える明日を作るために振るうんだ! そこに理屈なんていらない!」


 その純粋で揺るぎない意志が迸った瞬間、目の前の戦場の幻影はガラスのように砕け散り、アカネは再び石の回廊に立っていた。


 一方、ニーナが見ていたのは、全く異なる光景だった。

 魔王との最後の戦い。

 仲間たちが次々と倒れ、異次元へと転移させられていく、あの日の絶望的な記憶が目の前で再現されていた。


『お前の力が足りなかったからだ』


 魔王の嘲笑う声が響き渡る。

 もっと強力な魔法があれば。

 もっと早く成長していれば。

 仲間を失わずに済んだのではないか。

 その自責の念が、冷たい鎖となってニーナの心に絡みつく。


『今もまた、お前は無力だ。仲間を守ることなどできはしない』


 幻影が囁く。

 しかしニーナは、冷静に杖を握りしめたまま、その言葉に反論した。


「確かに、あの時の私は無力だったかもしれない。今も、完璧じゃない」


 彼女の脳裏に、アリゼと共に戦った日々、仲間たちと支え合った旅路が蘇る。


「でも、だからこそ仲間といる。一人では無理でも、みんなで力を合わせれば、どんな困難も乗り越えられる。それが、アリゼさんが教えてくれた、私たちの本当の強さ」


 彼女の瞳に宿るのは、魔術師としての誇りと、仲間への絶対的な信頼。

 その論理的で揺るぎない心が、絶望の幻影を打ち破った。

 目の前の光景は霧散し、再び元の回廊へと戻る。


 ルルネが対峙していたのは、最も古く、そして心の奥底に封じ込めていた後悔だった。

 目の前には、鬱蒼としたエルフの森が広がり、そこに立っていたのは、かつてアリゼたちと出会う前に所属していた同族の仲間だった。


『なぜ立ち去った、ルルネ。なぜ私たちを見捨て、定命の者たちと道を共にした』


 その声は、優しく、そして深い悲しみを帯びていた。

 エルフとしての長い生の責務。

 同胞と共に森を守るという誓い。

 それを捨てて人間たちと旅立った彼女の選択は、一種の裏切りではなかったのか。

 その罪悪感が、ルルネの足を縫い止める。


「私は……見捨てたつもりは……」

『だが、結果としてお前はここにはいない。我々と共にはいないのだ』


 幻影の言葉に、ルルネは俯いた。

 どちらの道も、彼女にとっては大切なものだった。

 選ばなかった道の先にあったかもしれない未来を思うと、胸が張り裂けそうになる。


 しかし、彼女の脳裏に浮かんだのは、アリゼの不器用な優しさであり、アカネの屈託のない笑顔、ニーナの静かな信頼、そしてミアやアーシャと過ごした温かい日々だった。


「私は……後悔していない」


 ルルネは顔を上げ、きっぱりと言い放った。


「失ったもの、選ばなかった道への痛みは消えない。でも、私は新しい家族を見つけた。彼らと共に生き、彼らを守ることこそが、今の私の誇り。そのために、私はこの剣を振るう」


 彼女の決意に、森の幻影は静かに揺らめき、やがて光の粒子となって消えていった。


「……はぁ……はぁ……」


 三人が同時に現実へと帰還すると、そこは変わらぬ石の回廊だった。

 カゲトが心配そうな顔で彼女たちを見守っている。


「見事です。それぞれが、心の闇を乗り越えられたのですね」


 三人は互いの顔を見合わせた。

 言葉を交わさずとも、それぞれが厳しい試練に打ち勝ったことが伝わってくる。

 疲労は深いが、その瞳には先ほどまでなかった、迷いの晴れた強い光が宿っていた。

 彼女たちの絆は、この試練を経て、より一層強固なものとなったのだ。


「行きましょう。この先に、本当の答えがあるはず」


 ルルネが言うと、ニーナとアカネは力強く頷いた。


 遺跡の試練はまだ始まったばかり。

 だが、最初の、そして最も困難な関門を突破した彼女たちは、迷いなく遺跡の深淵へと足を進めていくのだった。

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