第百六十八話「賢者の試練」
《オーカスの遺跡》の石門は、まるで天と地を繋ぐ巨人の盾のように、四人の前に聳え立っていた。
蔦や苔に覆われたその表面には、悠久の時を生きる証として、淡い光を放つ古代のルーン文字がびっしりと刻まれている。
一行は、門から発せられる人智を超えた魔力の圧力に、思わず息を呑んだ。
それは威圧するようなものではなく、ただ静かに、訪れる者の資格を問うているかのような、神聖な気配だった。
「さて……どうしたものか」
アカネが最初に動いた。
彼女は大剣を背負ったまま門に近づき、その巨大な石の扉に手をかける。
しかし、まるで一枚岩を相手にしているかのように、扉はびくともしない。
物理的な継ぎ目や鍵穴のようなものも、どこにも見当たらなかった。
「力で開くような、単純な仕掛けではないみたいね」
ルルネが言うと、ニーナが杖を構えて一歩前に出た。
「魔術的な構造を探ってみる。何か解析できるかもしれない」
ニーナは目を閉じ、杖の先端から放たれる探査の魔力を、蜘蛛の糸のように繊細に門の表面へと這わせた。
しかし、彼女の魔力がルーン文字に触れた瞬間、パチパチと青白い火花が散り、魔力は弾き返されてしまう。
「……駄目。あまりにも古く、そして強力な結界。解析を拒絶している。無理に干渉すれば、こちらが弾き飛ばされるだけ」
力でも、魔術でも開かない。
まさに伝説に語られる通りの、難攻不落の門だった。
途方に暮れかけたその時、案内役であるカゲトが、敬虔な眼差しで門を見上げながら口を開いた。
「我ら銀狼族の伝承にこうあります。『オーカスの門は、力持つ者ではなく、三つの調和を識る者に道を開く』と」
「三つの調和?」
アカネが聞き返す。
カゲトは静かに頷いた。
「はい。曰く、『知を求める心』、『護るための力』、そして『導くための心』。この三つが揃いし時、賢者の試練は乗り越えられる、と」
その言葉が、突破口への大きな鍵となった。
三人の英雄は、互いの顔を見合わせる。
最初に動いたのはルルネだった。
彼女はエルフとして、古代の文字や魔術の流れに誰よりも敏感だった。
門に刻まれた無数のルーン文字を、食い入るように見つめる。
「これは……ただの装飾じゃない。一つの巨大な問いかけ……あるいは、一つの壮大な詩のようになっているわ。断片的にだけど、古エルフ語の原型に近い言葉が見える。『星の涙は何を求め』、『守護者の拳は何を護り』、『導き手の歌は何を紡ぐ』……」
ルルネが読み解いた断片的な言葉に、今度はニーナが反応した。
「……そういうこと。これは問いかけであると同時に、結界を解くための詠唱の設計図。それぞれの問いに、正しい答えとなる魔力を注ぎ込まなければ、結界は解けない」
ニーナの瞳が、魔術師としての探求心に輝く。
知を求める心。
彼女の役割は明らかだった。
彼女は結界の構造を理論的に解明し、必要な魔力の「質」と「流れ」を導き出す。
「じゃあ、『護るための力』ってのは、私のことか?」
アカネが、どこか納得したように呟いた。
彼女に求められているのは、結界を破壊するような暴力的な力ではない。
仲間を、ネシウスを、そして助けを求める人々を救いたいという、純粋で揺るぎない「守護の意志」。
それこそが、この門が求める力の本質だった。
三つの役割。
知のニーナ、力のアカネ。
そして、それらを束ね、正しい道筋を示す者。
全員の視線が、自然とルルネに集まった。
「……『導くための心』。それが、私の役割なのね」
ルルネは覚悟を決めた表情で頷いた。
彼女がルーンを読み解き、ニーナの魔術理論とアカネの意志の力を調和させ、門に正しい「答え」を捧げなければならない。
「カゲトさん、私たちはどうすれば?」
「それぞれの問いに対応する中核のルーンがあるはずです。伝承では、三人が同時に、それぞれの心を込めてそれに触れる、と」
作戦は決まった。
ニーナが結界の魔力循環の律動を読み解き、アカネは心を澄ませて、ただ仲間を救いたいという一点に精神を集中させる。
そしてルルネが、無数のルーンの中から三つの中核となる紋章――「知識の杖」「守護の盾」「導きの竪琴」――を指し示した。
「準備はいい?」
ルルネの問いかけに、アカネとニーナは力強く頷く。
三人はそれぞれの紋章の前に立ち、ゆっくりと手を伸ばした。
「「「―――!」」」
三人の手が、同時に冷たい石の門に触れた。
その瞬間、ルーン文字がこれまでとは比較にならないほどの眩い光を放ち始めた。
ニーナは結界の魔力と自らの魔力を同調させ、アカネはただひたすらに仲間たちの無事を祈る。
そしてルルネは、詩を詠うように、門の問いかけに心の中で答えていた。
(星の涙は、真理を求める。守護者の拳は、弱き者を護る。そして、導き手の歌は、絆を紡ぐ!)
一瞬、世界から音が消えた。
圧倒的な魔力の奔流が三人を包み込むが、それは攻撃的なものではなく、むしろ温かく、全てを受け入れるような優しい光だった。
彼女たちの想いが、決意が、古代の遺跡に認められた証だった。
やがて光が収まると、あれほど固く閉ざされていた石門が、ゴゴゴゴ……という地響きのような音を立てて、ゆっくりと内側へと開き始めたのだ。
門の向こう側には、ひんやりとした古の空気を纏った、底知れぬ闇が広がっていた。
カビと土の匂い、そして純粋な魔力の香りが混じり合い、三人を出迎える。
「開いた……」
アカネが呆然と呟く。
「ええ。でも、ここから先が本当の試練よ」
ルルネは懐から短剣を抜き放ち、決意を込めて言った。
一行は顔を見合わせ、固く頷き合う。
そして、仲間を救うための希望を胸に、未知なる危険が待ち受ける《オーカスの遺跡》の内部へと、その第一歩を踏み出したのだった。