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第百五十五話「銀狼族の村」

 夜明け前の澄んだ空気が山の峰を包み込み、淡い薄紅色が東の空を染め始める頃。

 薄暗い岩陰での野営を終えたルルネたちは、簡単な朝食もそこそこに荷物をまとめ、先を急いでいた。

 過酷な山道と公爵家の追っ手に追われながらの日々は、すでに数日に及んでいる。

 ネシウスを護り、亜神化の危険から遠ざけるためにも、一刻も早く銀狼族の村へたどり着かなくてはならなかった。


「あと少しで、この峠の先……銀狼族の集落があるはずです」


 リアが地図を広げ、しわの寄った紙に指を這わせる。

 折々に確認してきた情報では、ここからさらに岩場と樹海を抜け、川沿いを進めばようやく銀狼族の村に近づくという。


「ただ、最後のほうは獣道というより崖沿いの危険な道っぽいな。足元を気をつけよう」


 アカネが注意喚起しながら、大剣を背に固定する。

 残りの行程を想うと、迂闊に戦闘を仕掛けられない。

 今の体力でどれだけ持つか分からないが、ネシウスの命がかかっている以上、立ち止まるわけにはいかなかった。


「エリス、ネシウスは……大丈夫?」


 ニーナが問いかけると、エリスはネシウスの頬に触れてこくりと頷く。


「熱はまだ下がったまま……でも、時々意識が浮上しかけては、すぐまた眠りに落ちる感じです。ミアさんの封印が効いてくれてるけど……」

「そうですね。封印を維持するには、私もそろそろ限界に近いかもしれません……」


 ミアは疲れた笑みを浮かべつつ、封印の呪文を改めて小声で唱え直す。

 魔力が薄れてきているとはいえ、今はまだ少年の内なる亜神の力を抑え込めている。

 このまま崩れ落ちなければ、村に着いたときに専門の治療や術式の助けを得られるはずだ。


 森を抜け、足元に小石が転がる細い崖道へ出ると、視界が一気に開けた。

 眼下には深い谷が広がり、小さな川の流れが白い筋を引いているのが見える。

 風が強く、踏み外せば一巻の終わりだ。


「ここ……想像以上に危険ですね。荷物も重いし、ネシウスさんも抱えてるのに」


 リアが苦笑しながら足を進める。

 エリスはネシウスを両腕に抱きつつ慎重に歩み、アカネとニーナが前後から支える。

 ルルネは剣の鞘を固定し、いつでも抜けるよう片手で押さえながら、周囲の警戒を怠らない。


「もし追っ手が現れたら、まともに戦うのは無理ね。先を急ぐしかないわ」


 夕方が迫るなか、一行は崖沿いの道をひたすら抜けていった。

 何度か岩盤が崩れかけて足を滑らせることもあったが、協力し合ってなんとか踏ん張る。

 日が西に傾き始めたころ、ようやく道幅が広がり、緩やかな斜面へと繋がっていった。


 山肌を回り込むように進んだ先、岩を組み合わせて作られた小さな見張り台のような建造物が姿を現す。

 そこには銀色の狼耳を持つ獣人の姿があり、鋭い眼光でこちらを見つめていた。

 彼らこそ、銀狼族の境界を護る斥候だろう――エリスが目を見開き、懐かしさに似た息を漏らした。


「エリス、知り合い?」


 ニーナが問いかけると、エリスは首を振る。


「いえ……あの方を直接知っているわけではありません。けれど、銀狼族の耳と毛並み……間違いなく同じ同胞です。私が育った村も、こうやって見張りを置いて外敵を警戒していました」


 その言葉を聞いたルルネたちは、ほっと胸を撫で下ろす。

 ついに目的地が近い――ネシウスの故郷ともいえる銀狼族のテリトリーだ。


「でも、いきなり近づいたら怪しまれるかも。武装したままじゃ、あちらも警戒するわ」


 アカネが大剸を背中に回し、両手をあげるようにして降伏の意志を示す。

 ルルネやニーナも同じく武器を下げ、エリスが先頭に立つ形でゆっくり近づく。

 見張りの銀狼族たちは最初こそ身構えていたが、エリスの耳と穏やかな声を聞き取ると、徐々に顔つきを和らげた。


「……なんと、同胞の娘か。お前はどこの一族だ?」


 低い唸るような声の質問に、エリスは頭を下げつつ返答する。


「私たちは東の外れの集落で暮らしていた銀狼族です。でもいまは……いろいろあって逃げてきました。病人がいるんです、助けてもらえませんか?」


 エリスが抱きかかえるネシウスの姿を見て、見張りの男は眉を寄せる。

 ネシウスの銀色の獣耳――それを認めた瞬間、男の険しい表情がさらに強まった。


「これは……かなり衰弱しているな。話は詳しく聞きたいが、とにかく村へ連れて行くしかないか。長老が判断を下すだろう」


 言葉こそそっけないが、その声には仲間を案じる誠実さが滲んでいた。

 エリスは安堵の息を吐き、仲間たちと目を合わせる。

 ルルネやニーナはほっと肩を落とし、アカネも笑みを零す。

 やっと、ここまで来たのだ。


 見張りの男の案内で、ルルネたちは岩壁の向こう側へ回り込む。

 そこには大きな柵で囲まれた集落が広がっていた。

 鬱蒼と茂る森を背に、独自の文化が息づいているのが伝わってくる。

 銀狼族特有の毛皮や耳を持つ人々が行き交い、訝しげな視線を投げかけてくる。

 ただ、同胞のエリスやネシウスがいると知ると、彼らはやや緊張を解いた。


「ここが……銀狼族の村。ネシウスの、同胞たちの村……」


 ルルネが呟くように言った。

 エリスは込み上げるものを堪え、ネシウスの耳元でそっと囁く。


「お兄ちゃん、着いたよ……ここなら、きっと助かるよ」


 ネシウスはまだ昏睡に近い状態だが、どこか安心したように呼吸が深くなる。

 その様子を見たリアやミアも、長い道のりを振り返りながら微笑んだ。


「指名手配の件もあって、すんなり滞在できるかどうかは分からないけど……公爵家の手の届かない場所だといい」


 ニーナが周囲を見回して言うと、アカネが大剣の柄に触れながら続ける。


「この村がどこまで安全かは未知数だけど……少なくともネシウスを治療する手段はあるかもしれない。長老に事情を説明して協力を仰ぐしかないな」


 そうして、一行は村の門前に連れて行かれる。

 そこには年老いた銀狼族の長老が待ち構えていた。

 精悍な面差しに白い毛並みを持つその姿は、威厳と優しさを同時に感じさせる。


「……遠方から来た客人よ。汝らの話を聞かせてもらおう。病人を抱えているようだが、手当ては急がぬとな」


 長老の穏やかな声に、エリスは大きく頭を下げ、仲間たちもそれに倣う。

 アカネやルルネが視線を交わし、ミアはネシウスの封印を緩めないよう注意を払っている。

 こうしてついに、ルルネたちは銀狼族の村へとたどり着いた。

 長い道中の追っ手との駆け引きや、崖道を越えてきた苦労のすべては、ここでネシウスを救うための一歩となる。

 アルベルト公爵の《人類統一計画》はなおも進行中であり、彼らが安心できるわけではない。

 だが、今この瞬間だけは、仲間の無事と少しの希望に胸を撫で下ろすのだった。



   ***



 村人たちの視線が痛いほど突き刺さる中、彼らはネシウスの存在を伝え、助力を求める。

 長老は少年を見下ろすと、かすかに目を細めて呟く。


「この子は……大きな魔力の混濁を抱えているな。だが、我ら銀狼族には古来からの儀礼もある。もしお主らが誠心誠意、この村を頼るというのならば、わしらも力を貸そう」


 エリスの瞳に涙がにじむ。

 ついに、ネシウスを治す糸口が見えるかもしれない。

 ルルネやニーナ、アカネたちも胸の奥が熱くなる。


「ありがとうございます。私たちは……ネシウスを救いたいだけなんです」


 エリスは言葉を震わせながらも強い意志を持ってそう告げ、長老や村人たちへ深く頭を下げる。

 こうして、波乱の旅の第一段階は終わりを告げ、彼らは銀狼族の村で、ネシウスの治療と、《人類統一計画》への対抗策を探るための準備を始めることになるだろう。

 荒れ果てた山道をかいくぐり、執拗な追撃を振り切ってようやく到達したこの地に、どんな困難が待ち受けようと、彼らは歩みを止めるつもりはない。

 仲間を救い、世界を覆う陰謀を阻止するため――銀狼族の村での新たな物語が、いま幕を開けようとしている。

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