第百五十話「アリゼたちの動向」
俺とアーシャは、世界最強を自称する師匠バランのもとで散々にしごかれ、ようやく一人前と認められた。
正直、最初はこんな無茶苦茶な特訓を乗り切れるのかと疑問しかなかったが、今となっては感謝しかない。
俺たちは自分でも驚くほど成長できたと思っている。
そのバランが俺たちを連れて王都へ向かうと言いだしたのは、昨日の夜だった。
「お前たちもだいぶ腕を上げたが、俺の教えはまだ終わってねぇ。やるべきことは山ほどあるし、お前らの仲間とも合流するんだろう?」
彼が腕を組んでそう告げたとき、俺もアーシャも同時に頷いた。
俺とアーシャと離れ離れになっていた仲間たち――ルルネやミア、ニーナ、アカネ、そしてルインとナナ……この全員にまた会えるかもしれない。
バランの言う通り、結局は王都で合流するか、その近辺で落ち合うのが最も手っ取り早い。
師弟三人の旅が始まったのは、その翌朝のことだ。
バランの足取りは重そうに見えて、実際には驚くほど早い。
彼は大柄でがたいもいいのに、俺とアーシャが全力で歩かないと置いていかれそうになる。
「ははは、遅いぞお前たち。修行の疲れが残ってるんじゃねぇのか?」
後ろを振り返り、にやりと笑うバランに、俺は慌てて返す。
「さっきまで猛ダッシュで山道を駆け下りたばかりだからな! 普通はバテるに決まってるじゃか!」
「それでも世界最強を目指すんならな、そんなヘタレたこと言ってんじゃねぇ!」
ぐいぐいと先を急ぐバランを見ながら俺はため息をついたが、その飾り気のない豪快さが、なんだか憎めない。
それに、バランが本気を出せば今の俺とアーシャではまったく手も足も出ないレベルなのだから、文句を言っても仕方なかった。
***
王都まであとわずか――。
そう思い始めたところで、俺とアーシャ、そして師匠バランは街道沿いの小さな宿場町に立ち寄り、驚くべき噂を耳にした。
王都で『エルフの女』と『人間の聖女』が指名手配を受けている。
しかも衛兵たちが血眼になって探している、というのだ。
俺もアーシャも、即座に頭に浮かんだのがルルネとミアだった。
どう考えてもあの二人が悪事を働く姿は想像できない。
何らかの形で陰謀に巻き込まれたか、でっち上げの罪を被せられているのだろう――そう推測するしかなかった。
「手配書が出されるなんて、よほどの大義名分をでっち上げられたに違いないわ」
アーシャが宿の薄暗いランプの下で地図を広げながら、唇を噛んで言う。
「もし捕まってしまえば、真実を話せないまま処分されるかもしれない。早く行ってあの二人を救わないと……」
焦燥に駆られているのは俺も同じだった。
俺とアーシャは互いに目配せし、すぐにでも王都へ向かおうと決める。
一方で、師匠バランはいつになく険しい表情で腕を組んでいた。
「英雄とか聖女ってのが指名手配ねぇ……ますます胡散臭いな。まあ、さっさと助けるしかねえだろう。そいつらが仲間なら、尚更だ」
彼の口調は飄々としているが、内側には燃えるような闘志があるのを俺は知っている。
誰かの理不尽に巻き込まれているなら、黙って見ていられない――そんな性格なのだ。
***
そして翌日、俺たちはほとんど休む間もなく街道を突き進み、黄昏時にはついに王都の外郭が遠目に見える場所まで到達した。
高い城壁、往来の賑わい……しかし様子がどうもおかしい。
城門近くには妙に衛兵の姿が多く、監視の目が厳重になっているように感じられた。
「ここで迂闊に突っ込んだら、怪しい奴として捕まるかもしれませんね」
アーシャが物陰から城門付近を覗いて言う。
中に潜む衛兵だけでなく、歩哨まで配備されているのが分かった。
俺たち自身は指名手配を受けているわけじゃないが、余計なトラブルを避けるためにも堂々と正面突破するのは危険過ぎる。
そこで、少し離れた雑木林に身を隠し、当面の作戦会議を開くことにした。
「ルルネたちを助けるために来たはいいけど、この様子じゃまともに情報収集もできないな」
俺が苦い顔で呟くと、バランがふっと低く笑う。
「表から入れば面倒な検問を受けるだけだろう。だったら裏を取るまでよ。城壁のどこかに崩れか隙間でもありゃいいんだがな」
夕闇が迫り、夜陰が王都を覆い始める。
俺たちは深夜になれば衛兵の巡回に一瞬の隙が生まれるだろうと踏んで、林の奥でじっと時を待った。
バランは薪をくべて小さな焚き火を起こし、アーシャと俺にパンを分け与えてくれる。
「こういうのは焦っても仕方ねぇ。夜になれば奴らも交代で警備が手薄になるはずだ」
そう言いつつも、アーシャは落ち着かない様子でパンをかじり、俺もどこか上の空だった。
いつ捕まるか分からないルルネたちを想うと、胸が痛む。
***
やがて深夜。
闇が深くなるにつれ、王都の城門近くは昼間ほどの喧騒はなくなったが、衛兵は相変わらず複数名が見張っている。
遠目に観察すると、門の上部を行き来する影もある。
「確かに数は減ってるが、巡回が定期的にあるみたいですね」
アーシャが俺の背後で小声で囁く。
師匠バランは少し遠巻きの場所に待機していて、何かあれば大きな音を立てて囮になってくれる手筈だ。
「よし、行こう。あっちの裏手に回れば、城壁が崩れてるって噂を聞いたんだ」
俺は月明かりの下、アーシャと共に林から抜け出し、城壁沿いにぐるりと迂回する。
王都外周の一角――かつて小さな倉庫だったらしき建物が崩れかけて、そこから先が壁の亀裂に繋がっているのを発見した。
建物は朽ちていて、屋根の大半が落ちている。
「ここ……隙間から覗けますよ」
アーシャが壁に手をつき、そっと内部を探る。
幸運にも、中は裏路地に面していて人影がほとんどない。
壁の亀裂はギリギリ人ひとり通れそうな幅だった。
俺たちは首尾よくそこを抜け、短い暗闇の通路をくぐり抜ける。
そして息を潜めながら、王都の裏通りへと足を踏み入れた。
そこは狭い路地が入り組んでいて、瓦礫と雑多なゴミが散乱している。
「……どうやら成功だな」
「ええ、問題はここからですね。どうやってルルネさんたちを探すか……」
俺たちは闇の中、かすかな明かりだけを頼りに薄汚れた道を進む。
スラムに近い地域なのか、通りには浮浪者のような獣人がうずくまり、酒の空瓶が転がっていた。
不意に、どこかで怒号が上がるのが聞こえ、アーシャと顔を見合わせる。
どうやら夜も眠らない一帯が王都にはあるようだ。
そんな中、酒場帰りらしき冒険者風の男たちが雑談をしているのを耳にする。
「ったく、あのエルフと聖女がまだ捕まってないなんてな……いい加減、王都から出ちまったんじゃねえのか?」
「俺だってそう思うけどな。衛兵があれだけ探してるってことは、まだいる可能性があるってことだろ。情報が入れば大金がもらえるらしいぜ」
ドキリとする。
やはりルルネとミアに違いない。
俺は物陰で息を殺しながら、その会話の続きを必死に聞こうとするが、男たちはひどく泥酔していて、要領を得ないまま立ち去ってしまった。
「危険度が高いですね……どこか安全な拠点を見つけて、情報を整理しないと」
アーシャが俺に向けて囁く。
「でも拠点なんて……どこで見つけるんだ?」
「この裏通りを少し進めばスラム街に出るみたいですよ。そこなら夜中でも情報屋や盗賊崩れがうろついてるかもしれません」
こうして俺たちは、王都の闇に溶け込むようにさらに奥へ足を踏み入れる。
仲間を助けたい一心だが、いつ衛兵に見つかるか分からないスリルに、心臓が高鳴るのを感じた。
***
不意に、小さな十字路へ差し掛かったとき、足元に何か小さな紙片が落ちているのをアーシャが見つけた。
拾い上げてみると、汚れた文字で「……地下墓地……」とだけ読める。
落書きなのか、誰かが書き置いたのか。
俺は胸がざわつく。
これがルルネやミアのメモかどうかは分からないが、奇妙な縁を感じずにはいられない。
「地下墓地……まさか、二人はそこに身を隠しているとか?」
アーシャが眉をひそめる。
王都の地下墓地は広大で、夜な夜な不穏な連中が集まるという噂もある場所だ。
「あり得なくはないな。衛兵が敬遠する場所だし……。ただ、それが本当かどうか確かめなきゃ」
そう話し合っていると、遠くからパンッと何かを叩く音がした。
合図だ。
師匠バランが城壁裏からこちらを呼んでいるらしい。
俺たちは慌てて布片を懐に仕舞い、元来た隙間から一度外へ戻ることにした。
夜明け前の暗闇の中、バランは腕組みをして待っていた。
「どうだった? 無茶して衛兵に突っ込まれなかったか?」
「ええ、ギリギリ大丈夫です。ただ、少しだけ気になるメモを見つけて……」
俺たちは地下墓地の文字が書かれた紙片を見せ、指名手配犯の噂を聞いたことを説明する。
「なるほどな。仲間が墓地に逃げ込んでる可能性は、あり得ない話じゃねぇ。夜間は衛兵も入りたがらねえらしいし」
バランはあくびを一つしながら、しかし真剣な眼差しをする。
「じゃあ次はそっちへ行ってみるか? 昼間に動くと目立つから、夜を狙うか。……どっちにしろ、焦りすぎは禁物だぞ」
俺は歯がゆい思いを噛み締めながらも、バランの言葉に頷くしかない。
無闇な突入は自分たちだけでなく、ルルネやミアをさらに追い詰めてしまうかもしれない。
ここは冷静に準備して、情報を整理しなければ――。
夜明け前の空が、薄暗い紫からやがて白み始めるころ。
俺とアーシャ、そしてバランの三人は一度落ち着くために林の中の仮拠点へ戻る。
今夜、あらためて城内へ潜る予定だ。
もし地下墓地にルルネたちがいる可能性があるなら、そこを集中的に調べることになるだろう。
「ルルネ、ミア……もし本当に地下墓地に隠れているなら、俺たちが必ず行く。待っていてくれ」
そう心の中で祈りながら、俺はわずかに光を帯び始めた王都の城壁を遠目に見つめる。
仲間を守るため、ここまで強くなって帰ってきたんだ。
絶対に諦めるものか――。
こうして、俺たちは指名手配犯として追われている仲間を救うべく、王都に再び足を踏み入れる。
そこにうごめく陰謀が何なのかはまだ分からないが、夜陰を頼りに王都の闇を切り開くしかないのだ。
夜が明ける寸前、闇に溶け込むように撤退した俺たちの胸には、一筋の希望と、そして焦燥が入り混じっていた。
地下墓地という新たなキーワードが、二人との再会につながるのか。それともさらなる混沌を呼ぶのか――。
俺は握り締めた拳に力を込め、夜明け前の冷たい空気を吸い込んだ。
必ず見つけ出してみせる。
仲間を、そして真実を。