第百四十八話「捨てられた研究所」
スミルの里に滞在して三日目の朝――。
納屋暮らしにも慣れてきたルルネたちは、いよいよ噂になっていた廃研究所とされる遺跡の探索へと動き出すことにした。
「念のため、今日中に帰ることを目標にして、日が高い内に戻ってこよう。ネシウスの看病もあるし」
ニーナが地図を広げながら仲間たちを見回す。
廃研究所の場所は、里の東側にある崖下の洞窟をさらに進んだ先――そこが古い遺跡になっているというのが現地の噂だ。
森を越え、岩場を伝い、自然のトンネルのように連なる洞窟を抜ければ到達できるらしい。
「私も一緒に行きたいです。お兄ちゃんのために情報を集めたくて……」
エリスが勇気を出して手を挙げるが、アカネは少し困ったように表情を曇らせる。
「ネシウスがまだ安定してないし、看病を頼めるのはミアだけじゃ心配じゃない? あの聖封印を維持しているミアが外出するわけにもいかないし……」
「うん。できればエリスはネシウスのそばにいてあげて。もし熱が上がったり、また暴走の兆しがあったら、すぐ手を打たないといけないから」
ルルネの言葉に、エリスは歯がみしてうつむくが、最終的には納得して小さく頷いた。
「……分かりました。ネシウスを預かるのは私の役目でもありますし。よろしくお願いします」
エリスが申し訳なさそうに謝ると、ニーナは優しい笑みで応じる。
「大丈夫。私たちがしっかり情報を掴んでくるから、その間にネシウスの回復をよろしく」
こうして、探索メンバーはルルネ・ニーナ・アカネ・リアの四人に決まった。
ミアとエリスは納屋に残り、ネシウスの容態を見守る。
鍛冶工房のほうは、弟子たちが夜通し作業をしてくれており、今日の夕方か夜には仕上がるという話だったので、帰りがけに進捗を確認する予定だ。
***
里の東側は鬱蒼とした森林地帯が続き、草深い獣道を掻き分けるように歩かなければならなかった。
頭上には生い茂る木々が日差しを遮り、足元には苔むした岩や朽木が行く手を塞いでいる。
「やっぱり獣道は足元に注意しないと危ないですね」
「うん、何か大きな動物の糞もあるし、油断したら出くわしかねないわ」
リアが警戒を促し、アカネが背に大剣を背負えない代わりに槍のように使える杖を持ち込んで周囲を探る。
もっとも、装備はまだ完全に仕上がっていないため、彼女たちは今ある最低限の武器での行動を余儀なくされていた。
「行きは森を抜けて崖下に降りるから、もし途中で断崖があったら慎重に。ニーナ、魔法で浮遊とかできる?」
「うーん、私の雷魔法じゃ浮遊はちょっと。せいぜい落下を一瞬だけ緩和するくらい」
笑みを交わしながらも、一同は真剣な表情で足を進める。
やがて、木々の切れ目から薄暗い崖下が覗いた。そこには大きな洞窟がぽっかり開いていて、外から見るだけでも中がひどく深そうに見える。
「ここが噂の洞窟かな。いかにも怪しげね……」
ルルネがそう呟く。
洞窟の入り口付近には大きな岩が転がっていて、風が吹くたびに低い唸り音が洞内から漏れてくる。
近くを調べてみると、獣人たちの足跡らしきものや、最近キャンプしたような痕跡も僅かに残っていた。
「やっぱり里の若者たちが肝試しに来たのかも。魔力を感じるっていう噂、やはり本当でしょうか……」
リアが緊張した面持ちで問う。
アカネは眉間に皺を寄せ、周囲の空気を探るように目を細めた。
「確かに……この辺り、微妙に魔力が漂ってる気がする。そんなに強くはないけど、自然のものとは違う、人工的な残滓があるわ」
「気をつけて行きましょう。あまり深入りしてやばそうなら撤退だね」
ニーナが雷魔法で青白い光を手元に灯し、先頭を進んで洞窟に入る。
入口は広めだが、奥へ進むにつれて天井が低くなり、不規則な鍾乳石や落石が行く手を阻む。
その合間を抜け、慎重に足元を探りながら奥へ進むと、やがて荒れ果てた石の回廊が姿を現した。
「……本当に建物の一部みたいね。壁にレンガの名残があるわ」
「昔の研究所って、こんな場所にも建てられてたのか……」
アカネとルルネは回廊の壁を触りながら、湿った苔と崩れかけの石材を確認する。
どうやら相当古いもので、長い年月が経過していることが一目でわかった。
「私、先に進んでみますね」
リアが人よりも優れた暗視を活かし、回廊の先を覗き込んだ。
さらに奥には狭い扉口のようなものがあるらしく、何かの仕切りが見えるという。
「うわ……ひび割れた鉄扉が倒れてる。しかも魔力の反応がほんの少しだけ残ってます……」
リアの報告に、ニーナは光を少し強めて彼女の横へ回り込む。
そして扉を照らすと、確かに錆びついた鉄の塊が横倒しになり、その表面にかすかな魔法陣の痕跡らしき紋様が薄ぼんやりと浮いていた。
「誰かが結界か何かを張ってたのかもね。もしかして、ここで実験か研究が行われてたのかな……」
微妙に苦い口調で呟くルルネ。
この空間は、いわゆる「廃研究所」の残骸だという推測がより一層濃厚になっていく。
彼女たちは慎重に鉄扉の隙間をまたぎ、中へ踏み込む。
そこは広くないが、人工的に整えられた部屋の跡があった。
机の残骸や崩れた棚、散乱した壺や瓶の破片などが床一面に散らばっている。
壁には不可解な文字が書かれた紙の切れ端が張り付いていたが、ほとんど水やカビでぼろぼろになっていた。
「これ、文字が読めそうにないけど、部分的に何か見えるかも……」
アカネが破片の一部を拾い上げ、目を凝らす。
そこには「……神化……条……英……」と虫食いのように文字が切れて記されていた。
どうやら「亜神」や「英雄」という単語と関連している可能性が高い。
「やっぱり、ここでも亜神や英雄の素に関する研究があったのかも。もし昔の研究データが残っていれば、ネシウスの術式解除に役立つかもしれない」
ニーナが興奮交じりに言い、床を探ると、さらに小さな金属プレートが見つかった。
プレートには「No.14……適合率……」と刻印のようなものが読める。
だが、肝心の部分は腐食や傷で消えており、詳しい内容は分からない。
「これだけじゃまだ何も分からないわね。ただ、間違いなく『英雄』や『亜神』に関する実験が、ここで行われていた気がする」
アカネがそうまとめ、ルルネとリアも部屋をくまなく探索する。
だが、この研究所が随分昔に放置されたのは確実で、資料の大半は劣化や破損がひどくなっていた。
何か大きな手掛かりが得られたわけではなかったが、ここでの発見がネシウスの呪縛を解く糸口になるかもしれない。
「そろそろ戻ろうか。あまり長居しても危険かもしれない。洞窟の奥にもまだ道はありそうだけど、下手に進むのはやめたほうが良さそうね」
ニーナが周囲を見回し、決断を下す。
既に日差しがやや傾き始めている。
ここで遭難や不意の魔物の襲撃を受けても困るし、ネシウスの看病をするエリスたちを放っておくわけにもいかない。
四人は手分けして残骸の中から使えそうな資料を探したが、まともな形で保っている文書や道具は皆無に等しかった。
最後にリアが偶然見つけた錆びた金属製の鍵を拾い、何かの痕跡かもと言いつつ持ち帰ることに決める。
「うーん、得られた情報は少ないけど、少なくともアルベルト公爵の研究施設と同じような実験が昔から行われてたって感じかな」
「ね。しかも『適合率』とか記されてるし……やっぱり英雄の素や亜神化に関する術式のことだろうか」
ルルネとアカネは歩きながら意見を出し合う。
リアは心配そうに後ろを振り返って、「この研究所には別の部屋もあるかもしれませんね……」と呟くが、再度潜るには危険も大きいし時間もない。
まずは今見つけた断片的な手掛かりを、ネシウスのために活かせるかを考えるのが先決だ。
***
洞窟を抜け出る頃には、外の陽光が夕暮れ色に染まり始めていた。
肌に触れる風が涼しく、長居した廃研究所から解放された安心感が全員に広がる。
「一度里に戻って、この鍵や破片をニーナの魔法で浄化してもらおう。カビや汚れを落とせば、何か読み取れるかもしれない」
「そうね。時間的には鍛冶屋の仕上がりを確かめるにもいいころ合いかも」
ニーナとアカネが話しながら、ルルネとリアも胸をなでおろす。
あの崩れかけの研究所がもう少し保っていたら、もっと明確な資料があったかもしれないが、今はこれが限界だろう。
それでもネシウスを救う道筋を探す上での、一つの収穫にはなったはずだ。
「待っていてね、ネシウス。あなたを解放できる糸口、きっと見つけるから……」
リアの小さな声が、暗い洞窟を背にする四人の間にしんと溶け込む。
アルベルト公爵の研究施設に潜入するには、もっと準備が必要だが、確かに希望の灯は見え始めている――そう信じたい。
夕日が地平線へ沈みかけるころ、彼女たちは足早に里へと戻っていった。
廃研究所の暗い闇の中で揺らいだ記憶と、錆びた鍵を手に携えて。
ネシウスが眠る納屋へ急ぎ、次の行動を模索する日々がまた始まるのだった。