第百四十七話「研究所の情報」
スミルの里での滞在一日目。
森の奥にある納屋を仮住まいとして、ルルネたちは分担して動き回った。
朝からニーナとアカネは情報収集のために里の住人と話をし、昼には鍛冶工房の様子を見に行く。
一方、ミアとエリスはネシウスの看病に専念し、リアは備品の買い出しや納屋の周囲の警戒を担っていた。
古びた納屋の中はほとんど物置として使われていただけあって埃っぽいが、風通しが良く、四人が布団を敷いて眠れる程度のスペースは十分あった。
幸い、里人には「旅の疲れを癒したいから納屋を貸してほしい」とだけ伝えてあり、深く追及されることはなかった。
しかし隠れ家のような状況がいつまで保てるか分からないため、彼らはできるだけ目立たぬよう立ち回る必要があった。
「大丈夫ですか、ネシウスさん……」
エリスは隅に敷いた寝床で横たわるネシウスに、冷やした布を額に当てる。
彼の容態は相変わらず不安定で、聖封印で魔力暴走を抑え込んでいるものの、ときどき身をよじるように苦しげな表情を見せた。
「熱は微妙に下がってきているようですね」
ミアが魔力診断をしながら小さく微笑む。
彼女の聖魔法と、エリスの必死の看病が功を奏しているのか、ネシウスの体温は徐々に落ち着き始めていた。
「一刻も早く目を覚ましてほしいけど、無理に揺さぶったらまた暴走するかも……」
エリスはそんな葛藤を抱えつつ、少年の手をそっと握る。
少し指が震える気もするが、気のせいかもしれない。
とにかく今は、安静にさせるほかない。
昼過ぎになると、アカネが納屋に戻ってきた。
鍛冶工房へ行ってみたところ、思いのほか作業が順調に進んでいるとのことだった。
「三日かかると言われたけど、この調子なら少し早まるかもしれないってさ。弟子たちが張り切って、夜通しで鋳造してくれてるらしい」
そう言いながら、アカネは大剣がない背中を寂しげに撫でる。
本来なら自分の武器が手元にないのは不安なところだが、ここは鍛え直しのためにどうしようもない。
「よかった……早めに受け取れるなら、その分早く次の動きが取れそうですね」
ミアは安堵して呟く。
彼女自身も、里人から雑談を装いながら聞き込みを行なっていて、少なからず興味深い話を得ていたらしい。
「ここの里は昔、亜神とか英雄の素なんて言葉を聞いたこともないみたいだけど、『昔、この山奥にある廃墟に奇妙な研究所があった』という噂なら聞きました。かなり前に放置されて崩れたという話ですけど……」
ミアの言葉に、アカネは「研究所」とかすれ違う単語を聞いて反応を示す。
「研究所か……私たちが狙うアルベルト公爵の研究施設とは別だろうけど、何かつながりがあるかもしれないわね。亜神関連の資料が残っている可能性もある」
すると、エリスがネシウスの手を握りながら、顔を上げる。
「じゃあ、もしネシウスが回復して、この里から出る前にその廃墟を見に行く価値はあるかも……?」
「そうね。でも、今はネシウスが安定するのが最優先。危険度も分からないし」
アカネはそう返し、複雑そうに目を伏せた。
研究所や施設と聞くと、どうしてもネシウスが受けた無理な実験のイメージが重なるからだ。
彼を刺激する恐れもあるし、みんなにとっても辛い記憶になるかもしれない。
そうこう話していると、今度はニーナが入ってきた。
昼ごろまで別行動していたらしく、何か紙切れを持っている。
「ただいま。……少し面白い情報を手に入れたわ。里の東側の崖下の洞窟に、古い遺跡があるらしい。昔はそこも廃墟っぽくなってるって話だけど、獣人たちは特に興味を持ってなかったみたい」
洞窟の遺跡。ミアが先ほど話した『山奥の廃墟』に通じる可能性がある。
ニーナは目を輝かせながら続ける。
「その遺跡、実は魔力が微妙に漂っているとかで、地元の若者が肝試しに行ったら、奇妙な魔法陣を見たって噂もあるらしいの」
「魔法陣……あまりいい予感はしないけど、研究所の術式と関連があったりするかもね」
アカネが口を引き結ぶ。
こうして少しずつ話をつなぎ合わせると、スミルの里の近隣にも昔の研究所や遺跡が点在し、何らかの亜神関連の秘密が隠されている可能性が浮上してきた。
「ただし、今はネシウスを安全に休ませるのが先。里の人に怪しまれない範囲で、明日か明後日、どちらか余裕のある時に、アカネや私が偵察に行くくらいがいいかもね」
ニーナはそう提案し、周囲を見回す。
リアとエリスは、ネシウスから目を離せない様子だが、興味はあるのか耳を傾けている。
「私も、もし安全なら一緒に行きます。少しでもお兄ちゃんを救う手がかりがあるなら……」
「でも無理はしないでね。あなたが倒れたらネシウスも不安定になるし」
ニーナは優しくそう言い含めると、書き留めたメモをアカネに手渡し、地図と付き合わせながら行くべきルートを検討し始める。
ルルネはその様子を眺めながら、ネシウスの寝顔に視線を戻す。
眠りの中で彼がどんな夢を見ているのか――以前は廃屋での戦いを振り返るように苦痛の表情を浮かべていたが、今は比較的穏やかだ。
「『人類統一計画』……。本当にこんな平和な里まで巻き込むつもりなのかしら」
心の中で独りごち、彼女はそっと少年の毛布を直してやる。
もしネシウスが完全に自我を取り戻したとき、どんな言葉を発するのだろう。
自分が何をしてしまったのか、その事実を知れば、きっと傷つくだろうと思うと胸が痛んだ。
「とりあえず、今日は時間があるし、私も夜まで少し休んでおくわ。鍛冶工房が落ち着いたらまた顔を出すし」
「私たちも準備を整えつつ、いざという時にすぐ発てるようにしておきます」
そんな会話を交わしながら、仲間たちはこの三日間の方針を改めて確認する。
ネシウスが目覚めるまでに装備を整え、情報を掴み、次への布石を打つ――。
それが彼らに与えられた猶予であり、貴重な時間なのだ。
納屋の屋根の隙間から射し込む午後の日差しが、床に淡い光の帯を作っていた。
少年の呼吸はゆっくりと穏やかで、エリスやミアが傍らで見守る中、一筋の風が優しく通り抜ける。
「……もう少しだけ、きっと大丈夫」
エリスの微かな呟きに、ルルネたちは胸の奥で小さく頷く。
平穏のような、この一時をしっかり活かして。
再び嵐のような事件へ向かう日が来るまで、この里での静かな時間を有効に使うしかないのだから。