第百四十三話「考察」
王都の東門を出た時には、すでに空が薄い橙色に染まり始めていた。
廃屋での激戦を経て夜通しの行動を強いられたルルネたちは、ひとまず早朝のうちに城壁を抜けようと、目立たぬよう裏道を駆け足で移動してきた。
情報屋から仕入れた話や、追撃してくる闇商人たちの存在、そして何よりネシウスを抱えた逃避行が合わさって、皆の顔には疲労の色が濃い。
「……どうにか出られたわね。衛兵の検問を避けられたのは幸いだけど、いつ追っ手が来るか分からない」
東門からやや離れた場所まで走り続け、ようやくルルネが足を止めて息をつく。
その横で、ネシウスを支えていたエリスが膝をつきかけた。
「エリスさん、大丈夫? ネシウス、重たくない?」
「だ、だいじょうぶ……でも、封印を維持してくれてるミアさんや、ルルネさんにも感謝しないと……」
言いながらも、ネシウスの体は時折ピクッと痙攣するように震えている。
聖封印で魔力の暴走は抑えられているが、紫色の紋様がまた浮かび上がる可能性は高いし、ここから先の行程でどうなるか全く分からない。
「そろそろ野営か、あるいは適当な村を探して休みたいところだけど……アカネ、地図はある?」
ニーナがアカネに問いかける。
アカネは小さく頷くと、鞄から簡易地図を広げた。
「ここから東へ数日の道のりに、山間部の集落があるらしい。銀狼族の村ではないと思うけど、そこを拠点にできるかもしれない。もっとも人目を避けたいなら、山道を使う必要があるな」
「う~ん……アルベルト公爵の手先が王都周辺を捜索するだろうし、正面の街道を行けばすぐ追いつかれるかもね」
ルルネは地図を覗き込み、東方に延びる細い線――人里離れたルートに指先を当てる。
王都から遠ざかるにつれ、自然と道は狭く、整備もされていないため、馬車などでは通れない道が続く。
だが、それこそが追撃を振り切るには最適でもあった。
「決まりですね。山道を抜けて南東へ回り、銀狼族の村方面に向かいましょう。途中でしっかり休んで、ネシウスの容態を安定させながら進むしかないです」
「そうしよう。リアさん、エリスさん、行けそう?」
ニーナが二人を振り返ると、リアとエリスはそれぞれ小さく頷いた。
「はい……私も獣の解体だけじゃなく、山道の道案内くらいは少しは心得があります。故郷も山奥でしたし」
「私もお兄ちゃんをちゃんと支えていきたい……。だから、頑張ります」
エリスはネシウスの肩を抱えたまま、決意のこもった瞳で答える。
少年は意識があるのか分からないが、微かに呼吸を整えているようにも見えた。
「では、早速出発ね。ミア、封印の魔力、まだ持ちそう?」
「はい。疲れはありますが、なんとか大丈夫です。……ただ、このまま何日も維持するのは厳しいので、どこか安全な場所で再調整が必要ですね」
「分かったわ。そこに着くまでは私とニーナ、アカネで周囲を警戒する。何かあったらすぐ声をかけて」
そう指示を出したルルネを中心に、一行は朝焼けの下、山道へ向かい歩き始める。
草木が生い茂る獣道に入り、やや傾斜のある岩場を慎重に登り降りしながら、ひたすら東を目指していく。
***
昼下がり、山道の途中にある小さな滝のそばで小休止を取ることにした。
水分補給と簡単な食糧を口にしながら、ルルネたちは情報の整理をする。
「今回、ネシウスを確保したのはいいけど、彼を完全に救うには人類統一計画とやらの核心を知らなければならない」
ニーナが岩に腰掛け、しみじみと呟く。
「指名手配の理由も、おそらく私たちが英雄の素を持っているかを確かめるためってことでしょうね。向こうの大陸で活躍した名残が災いしたわけか……」
「英雄の素……。追い込まれれば追い込まれるほど、亜神へと進化する確率が上がる、って話だったよね」
アカネがそこで言葉を継ぐ。
「ネシウスがその人工英雄の素を埋め込まれているから、強敵と戦わされるたびに力が増してしまっている。もしこのまま放置すれば、最終的には完全な亜神に到達する――そうなれば、誰も止められないかもしれない」
聞いているエリスは、ハッと顔を上げる。
「そんな……じゃあ、お兄ちゃんがどんどん戦いに巻き込まれて、無理やり覚醒させられているってことなんですか……?」
「可能性は高いわね。アルベルト公爵家がそれを利用して、さらに人類統一計画と絡ませているんじゃないかしら」
ルルネは暗い眼差しで山道の木々を眺め、続ける。
「わざと強敵を当てがい、追い込むことでネシウスを亜神化させる。完全に操り人形にしたうえで、獣人も魔族もエルフも、人間も含め大陸を統一する――そんな恐ろしい話が現実味を帯びてきたわね」
一同が沈黙に包まれたところで、リアが意を決したように口を開いた。
「でも……まだネシウスさんは完全に自我を失ってはいない。あの廃屋での一瞬の迷いが証拠だと思います」
「そう。だからこそ諦めちゃいけない。私たちが正面から戦うだけじゃなく、呪術や術式を解く方法も同時に探す必要があるわ」
ミアが優しく微笑み、エリスやリアに視線を向ける。
「伝承や古文書なんかを当たってみれば、もしかしたら人工英雄の素に対抗する術式が見つかるかもしれない」
「そうね。銀狼族の村なら、昔の風習や知識が残っている可能性もある。過去の戦争時代、獣人が使っていた特別な魔術があれば、何か糸口になるかもしれないし」
アカネの言葉に、エリスは少し胸を張って返事をする。
「私も、村の長老たちに聞いてみます。きっと力になってくれる……!」
ネシウスの横で様子を見ていたルルネがそっと彼の額に手を当てる。
少し熱があるのか、うっすらと汗ばんでいたが、先ほどのような暴走の気配は感じられない。
「大丈夫よ、ネシウス。必ず、あなたを救う。それに、この大陸に渦巻いている計画を止めるためにも――」
あくまで静かに息をする少年の寝顔を見つめ、ルルネは心の中で誓った。
仲間たちの目にも、同じ決意の色が宿る。
「もう少し休んだら先を急ぎましょう。山道は険しいけど、追手を撒くには最適よ」
ニーナがみんなを見渡し、次の行動を促す。
こうして、一行は地図を再度確認し、山道をさらに奥深くへと進む。
途中、崖沿いや獣の巣窟を避けながら、慎重に足を進める必要がある。
ネシウスの封印がいつ解けるとも分からないなか、時間との闘いでもあった。
***
夕刻には、ようやく小さな川の近くで野営に適した場所を見つける。
薄暗い森の中で焚き火を起こし、簡単な食事を取りながら、再びネシウスの容態を確認した。
「うぅん……」
少年はうっすらと目を開くが、まだ朦朧としている。
エリスが手を握ると、彼は一瞬だけ視線を合わせそうになり、しかしまた意識の闇に沈むように瞼を閉じた。
「……あと少し。きっと意思疎通ができるようになるはず」
エリスは自分に言い聞かせるように呟く。
ルルネたちもやれることは限られており、明日の移動に備えるため、早めに就寝体制へと移る。
「誰かが常に見張りをしておきましょう。相手は公爵家だけじゃない。ネシウスが暴走する可能性もゼロじゃないんだから」
「分かった。私とニーナで先に立ち番するわ。アカネやミアはその後交代で」
そうやって夜営の準備を整え、闇が森を包み始める頃――。
星空を見上げるルルネの胸には、不安と決意とがせめぎ合っていた。
もし人類統一計画が大陸中を巻き込み、亜神が量産されるような事態になれば、とてつもない犠牲が生まれるだろう。
今はネシウス一人の問題だが、その先にはさらなる惨劇が待ち受けるかもしれない。
「……私たちが止めるしかない。英雄の素、亜神……どんな謎があろうとも」
つぶやきに応じるように、遠くの森がざわりと風で揺れる。
ミアが聖封印の継続を確認し、ネシウスの脈をはかっていた。
エリスはその傍らで座り込み、穏やかな寝顔を取り戻すようにと、少年の髪を静かに撫でている。
「お兄ちゃん、もう少し頑張って……私たちが助けるからね」
この大陸のどこかで進行する人類統一計画を食い止めるために――。
そして、ネシウスを完全に救い出すために。
夜の闇は深いが、わずかな星明かりが彼らの道を照らし始めていた。