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第百四十二話「救出」

 痩せぎすの猫獣人の出現により、廃屋の空気は一段と凍りついた。

 続いてゾロゾロと入ってきた複数の仲間たち――同じく獣人や人間など種族は混在しているが、全員が鈍色の視線をこちらへ向ける。

 どうやら闇商人か、あるいはその手先。

 先ほど廃屋に近づいてきた不審な足音の正体は、彼らだったのだろう。


「へっ、数は充分だし、こりゃ手っ取り早くまとめて売り飛ばしてやる。指名手配犯と、こいつは亜神候補だそうじゃないか。貴族連中が高値で買ってくれるわけだ」


 猫獣人の男は挑発的な口調で言い放ち、そのままネシウスの背後を回り込もうとする。

 ところが、少年は虚ろな瞳のまま大きく息を吐き、男たちに襲いかかる気配を見せた。

 彼らが味方かどうかを判断する意識すらないのか――ネシウスは周囲に敵意を向けているようだった。


「お、おい、何だこいつ……ッ!」

「バカな、こっちに斬りかかって……ぐわっ!」


 ネシウスの一振りで、闇商人の仲間らしき一人が崩れ落ち、鋭い悲鳴が空気を裂く。

 彼は全く容赦がなく、操られた兵器のように、次々と敵味方関係なく斬り伏せていく勢いだ。

 猫獣人の男が慌てて距離を取ろうとするが、ネシウスはそれを逃がす気配もなく剣を水平に構える。


「くそっ、こいつ、どうなってる……!?」


 男の背後では、ルルネたちも息を呑んだまま成り行きを見守っていた。

 今こそ好機かもしれないが、ネシウスが暴走している以上、うかつに近づけば巻き込まれる危険がある。


「ルルネさん、今のうちに!」


 ミアが杖を握り直し、低い声で叫ぶ。

 廃屋の床には倒れた闇商人たちが転がり、猫獣人の男も必死に後退しながらネシウスを抑え込もうと躍起になっている。

 一瞬だけできた隙。これなら少年を取り押さえられるかもしれない。


「エリス、リアは奥へ隠れてて。ミア、私を援護して!」

「はいっ!」


 ルルネは、怯えるエリスの手を取って後方へ押しやると、ネシウスの横合いへ駆け寄った。

 少年の殺気が少しでも緩んだ瞬間を狙い、彼の腕を封じるため、下段から脚払いを放つ。


「……っ!」


 反応したネシウスが剣を振り下ろすが、ミアが放った聖光の魔法弾が彼の手元をわずかに逸らした。

 その刹那、ルルネは鋭いステップで地面を蹴り、ネシウスの右腕にしがみつくようにして剣を弾き落とそうと試みる。


「いまだ……!」


 ネシウスの剣が床を叩き、金属音が甲高く響いた。

 が、まるで異常な筋力で粘るように、ネシウスはもう片方の手でルルネを振りほどこうとする。

 怯むことなく、ルルネは必死に腕を押さえつつ、再度ミアへ合図した。


「ミア、封印の呪を!」

「やります……! 神聖なる光よ……!」


 ミアの呪文詠唱が進行し、廃屋の薄暗い室内に一筋の神聖な紋章が浮かび上がる。

 ネシウスは一瞬だけその光に苛立ったように吠え声を上げ、眼光を鋭くさせた。

 しかし、ルルネが力を込めて少年の腕を封じることで動きが鈍り、そして――。


「聖封印……展開!」


 ミアの声と同時に、淡い光の鎖がネシウスを包み込むように輝いた。

 彼の腕や脚をわずかに縛り、魔力の奔流が封印され始める。

 暴走の勢いが削がれ、ネシウスは苦しげにその場に崩れかけた。


「お兄ちゃん……!」


 エリスが駆け寄ろうとし、リアが必死にその手を支える。

 ネシウスは口を開きかけるが、言葉にはならないまま、ただ歯を噛みしめているように見えた。

 確かに光の鎖に抑え込まれ、少年の動きが止まる。


「よし……少しは落ち着いた……?」


 ルルネが息を吐き出しながら確認する。

 だが、その安堵も束の間。


「ははっ……ちっくしょー、何だこの展開は……」


 崩れ落ちた闇商人たちの背後から、あの猫獣人の男が顔を上げた。

 腕に深手を負っているようだが、まだ意識はあるらしい。

 ニヤリと不穏な笑みを浮かべ、腰から短剣を引き抜いてこちらを睨む。


「けどなあ……こっちは獲物を確保できりゃいいんだよ。てめえらもまとめて売ってやる。金になるように指名手配犯らしく大人しくしてもらおうか……!」


 男は傷を押さえつつにじり寄ってくる。その周囲にいた仲間たちは既にネシウスに斬られたか、怯んで逃げ出したかして、今はほとんど戦意を失っているようだ。

 しかし彼自身は何らかの切り札でもあるのか、余裕を装った表情を崩さない。


「もうやめて……あなたも分かってるでしょ。ネシウスは止まった。これ以上争う必要ないわ」


 ルルネが説得を試みるが、男は聞く耳を持たず、むしろ細めた目で周囲を見回した。


「さっきの光の鎖? そんなもん、うちの道具があればすぐに解除できるかもな。お宝は山分けといくぜ。おい、まだやれる奴、こっち来い!」


 そう言って男が声を上げるものの、仲間のほとんどは恐れをなして廃屋の外へ逃げ出していた。

 わずかに残った一人が怯えながらも、男に短い筒型の魔道具を手渡そうとする。


「ちっ……そいつはまずいわね」


 ルルネはすぐに察し、近づこうとするが、完全に不意を突かれた格好だ。

 ミアも聖封印の維持で精一杯で、ネシウスの拘束を外せない。


「じゃあな。お前たち全員――うわっ!?」


 突然、廃屋の入り口がどんと開く音と同時に、闇商人の男の背後から何かが飛びかかり、彼を床に押し倒した。


「お待たせ、って感じかな?」

「ニーナさん! アカネさん!」


 返り血を浴びたのか、袖口を赤く染めたアカネが大剣を握りしめ、男を抑え込んでいる。

 続いてニーナも杖を突きつけ、魔力を込めて警戒を解かない構えだ。


「そっちも大変そうだけど、どうにか間に合った」


 ニーナは息を切らしながらも笑みを見せ、ルルネに視線を送る。


「ごめん、もうちょっと早く戻りたかったけど、厄介な連中を振り切るのに手間取った」

「でもナイスタイミングよ。助かったわ」


 ルルネが安堵の笑みを浮かべると、アカネはうめき声を上げる猫獣人の腕をさらに捻り、魔道具を奪い取った。


「これで下手な真似はできない。そっちは大丈夫?」

「こっちはとりあえずネシウスを縛ったけど……まだ落ち着ききってないわ。ほら、エリス」


 呼びかけに応じてエリスがゆっくりとネシウスのもとに膝をつく。

 聖封印の光に揺れる彼の瞳には、どこか苦痛と戸惑いが同居しているように見えた。


「お兄ちゃん、聞こえる……? 私だよ、エリス。お願い、私たちのこと、思い出して……」


 震える声で語りかけ、そっと彼の頬に触れる。

 ネシウスはふっと眉を寄せ、何か声を発しようとするが、声帯が動かず、ただ微弱な息が漏れるだけだ。

 それでも、その耳は以前より僅かに動いていた。


「ネシウス……戻らないかもしれないけど、きっとここから助け出すから。絶対に、絶対にあなたを――」


 そう呟いた瞬間、ネシウスの首筋に紫色の紋様が浮かび上がった。

 まるで呪いの印のように、それが闇の光を放ち、ネシウスは再びバッと眉を寄せ、体を震わせる。

 ミアの聖封印に干渉する何らかの術が発動しかけたのだ。


「何……これ……!」

「くっ、あれがネシウスの制御術式みたいなものかもしれない」


 ニーナが舌打ちし、ミアと共にさらに魔力を注ぎ、封印が破られないように懸命に押さえ込む。


 ネシウスは苦痛に耐えるようにしてうなだれ、ついには意識を手放すかのように瞼を閉じた。

 その直後、首筋の紋様はすっと消失していき、聖封印の鎖に絡め取られたまま、少年は小さく息を吐きだして動かなくなる。


「眠った……のかな」


 エリスが細い声で言い、ルルネたちもようやく一息つく。

 最悪の事態は避けられたが、ネシウスの呪縛を完全に解くには至っていない。

 亜神となり得る力と、その背後にある術式の正体――人類統一計画を探るしか、根本的に彼を救う手段はなさそうだった。


「……とにかく、今はこの場を離れましょう。あの公爵家の施設か何かに繋がる手がかりを探さないと」


 ニーナが緊張を解かぬまま言葉を発すると、アカネが倒れた猫獣人を睨み据える。


「こいつをどうする? とりあえず縄で縛って口封じでもするか」

「出来るだけ騒ぎは大きくしたくないけど……そうね、少し聞き取りしたら放置でいいわ。時間がないし、ここで足止めを食らってもしょうがない」


 ルルネがそう結論づけ、慌てて男から最低限の情報を引き出そうとするが、怯えた彼は一向に口を割らず、ただ「くそっ……この仇、忘れねえからな……」と捨て台詞を吐くだけだった。


「なら放っておくしかないわね」


 アカネが短く返事をすると、すぐに男を気絶させ、他の仲間ともども放置する。

 可能な限り静かに建物を後にし、ルルネとミアは封印したネシウスを支え、エリスが彼の様子を見守る。リアは心配そうに後ろを振り返りながらも、警戒の目を外に向けたまま歩く。


「大丈夫ですか、エリスさん……」

「……ありがとう、リアさん。私、大丈夫。少しだけ希望が見えた……お兄ちゃんはまだ完全には消えてなかった」


 彼女の言葉に、ルルネたちはわずかに微笑む。

 ネシウスがわずかでも反応した――そこに救いの光を感じずにはいられない。

 ただし、彼を取り戻すには、この人類統一計画とやらの謎を解き明かす必要があるだろう。


「……ねえ、みんな。この廃屋じゃもう危ないし、しばらく王都を出たほうがいいんじゃないか?」


 アカネが呟き、ニーナも同意するように頷いた。


「うん、私たちは一度退いて情報を整理しましょう。彼を安全な場所で休ませてあげないと」

「でもネシウスがこのままだと長距離の移動は危険じゃない? 封印もどれだけ持つか分からないし……」


 ミアが心配するが、ルルネは静かにエリスの方を向く。


「エリス、あなたの村……銀狼種たちが追いやられている村に行くのはどうかしら? そこなら彼も落ち着くかもしれないわ」

「そ、そうですね……でも村までだいぶ距離があります。もう一度、あのアルベルト公爵に動きを悟られたら……」


 エリスが戸惑うが、リアは頷く。


「私も賛成です。これ以上、王都にいたら捕縛される危険が高い。ネシウスさんも何とか休ませないと、いつまた暴走するか……」


「決まりね。まずはここを離れよう。道中で彼を安定させる方策を探りながら、人類統一計画の真実と英雄の素についても必ず突き止めるわ。大陸全体を巻き込むかもしれない計画なら、私たちにも黙って見過ごすわけにはいかないからね」


 そう言い切ったルルネの瞳に、決意の火が宿る。

 ネシウスを抱えたまま、一行は廃屋を抜け、夜の裏道へと足を踏み出した。

 街灯が少ない闇の中、危機感と一筋の希望が交錯する。


 ――そして、彼らの意志を象徴するように、遠くの空がうっすらと白み始めていた。

 夜明けまでそう遠くはない。


 これで、ネシウスとの再会という大きな山場は乗り越えたが、新たに浮かび上がった数々の謎――人類統一計画に英雄の素、そして亜神への進化。

 その真相を探し求めるため、ルルネたちは王都を一度去り、ネシウスを安全な場所で看護しつつ、闇に蠢く陰謀へ立ち向かう覚悟を固めるのだった。


 かくして、廃屋での激戦に終止符を打った一行は、次なる戦いへの一歩を踏み出した。

 ネシウスが再び目覚めるとき――彼らはきっと、この大陸に渦巻く闇を切り裂く手がかりを得ているはずだ。

 夜明けが近づく王都から離れ、次なる舞台へ向かう彼らを待ち受けるのは、さらなる試練と、真実への道である。

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