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第百四十話「ネシウス、再び」

 廃屋の外で足音が止まった気配に、ルルネたちは一斉に息を詰めた。 隙間風が吹き抜け、かすかな埃の匂いが舞う中、しんとした静寂が訪れる。

 エリスは身を強張らせたまま、扉のほうに視線を向け、リアもその横で怯えを堪えながら小さく構えていた。


「……誰かいるのですか?」


 ミアが絞り出すような声で問いかける。

 しかし当然ながら返答はない。 ルルネは外の気配を探るように、そっと扉に耳を近づけた。

 自分の心臓の鼓動が耳鳴りのように響き、集中を乱す。


(ニーナたちだといいけど……あの様子だと、足音を止めるなんてしないはず。もしネシウスか、あるいは敵が――)


 その不安を裏付けるかのように、扉の外でごく小さな金属の擦れるような音がした。

 鍵をこじ開けようとしているのか、それとも様子を窺っているのか。


「ルルネさん、どうします?」


 ミアが低い声で囁く。


「一度、少し下がりましょう。ここで扉に近づきすぎるのは危険ね」


 ルルネの指示に従い、ミアとリア、エリスも壁際へと移動する。

 次の瞬間、ガチャンと扉のノブが回される音が響き、錆びた蝶番が軋む。

 だが扉は内側から机と板切れで簡単に塞いであるため、そう易々とは開かない。


「くっ……やはり敵かしら」

「ネシウスさゆが単独でこんな破壊工作するでしょうか? もしかすると、あの公爵家の手先かも……」


 ルルネとミアが目配せを交わす。

 ――そして、一拍の沈黙の後、扉が乱暴に叩きつけられた。

 バンッ、バンッと薄い扉が揺れ、打ちつけられるたびに埃が舞い上がる。


「うわっ……!」


 リアが思わず声を漏らし、エリスも抱きすくめるように腕を回す。

 廃屋全体が揺さぶられているかのようだ。


「中にいるのは分かってるぞ。大人しく開けやがれ!」


 甲高い男の声が外から響く。

 獣人ではなく、人間のような訛りの強い口調だった。


「……誰? 私たちには関係のない話であれば、放っておいて欲しいんですけど」


 ミアが返事をするが、返ってきたのは嘲るような笑い声だった。


「へっ、スラムで顔を隠してる奴が関係ないだと? 衛兵に突き出す前に、ここ開けろよ。こっちも忙しいんだ。怪しい奴を見逃す余裕なんざねえ」


 どうやら衛兵ではなく、半ばチンピラまがいの連中かもしれない。

 彼らは指名手配されているルルネたちをかぎつけて、賞金の匂いでも嗅いだのだろうか。

 あるいは単に弱い者いじめが目的か。


「まずいわね……強引に入られたら、戦闘になる。ここはニーナたちが戻るまで静かにやり過ごしたかったけど」


 ルルネが短くため息を漏らし、剣の柄に手をかける。

 そもそも体力も魔力も万全ではなく、今この状況で無闇に騒ぎを大きくすれば、ネシウスや衛兵だけでなく、さらに厄介な相手を引き寄せかねない。


「何とか説得して退かせられませんか……?」


 エリスが弱々しく尋ねるが、外の男たちはすでに扉を壊す寸前の勢いだ。

 ガリガリと木を削るような音が続き、いつ突入してきてもおかしくない。


「このままだと、やむを得ないわね。リアさん、エリスさん、後ろに隠れてて。ミア、私が先頭で応対するから、必要なら援護して」


 ルルネは覚悟を決め、すっと扉側へ近寄る。

 簡易的にバリケードにした板切れと机をずらし、相手が入ってきたところを制圧する方針だ。

 大人数だと厄介だが、チンピラ風ならば手加減しつつ追い払えるだろう。


(せめて大きな音は立てたくない……)


 心の中でそう願いながら、ルルネが剣を鞘から引き抜いた瞬間――。

 ガシャッ! と扉の外から激しい衝撃音。

 何かが外側の壁にぶつかったような振動が、廃屋全体を揺らした。


「な、何があったの……?」


 リアが思わず声を上げる。

 エリスも戸惑いの表情のまま、扉を見つめた。

 すると、外から先ほどの男の悲鳴が聞こえてきた。


「ひっ、ひぃぃ! 何だこいつ、化け物か――やめろッ、ぐああっ……」


 断末魔の悲鳴と共に、外の男たちが次々と倒れ込む音がする。

 混乱した叫びが続き、その後、ゴトリと何かが崩れ落ちる気配。

 やがて足音が完全に止み、静寂だけが残された。


「今の……どういうこと?」


 ミアが言葉を失って問いかける。

 扉の向こうで、一体何が起きたのか。

 襲撃してきた男たちは、まるで一瞬で蹴散らされたような声だった。


 そして、再び扉のノブがゆっくりと回される。

 ルルネは剣を構え直し、ミアと視線を合わせた。

 エリスとリアはその後ろに怯えながらも隠れている。

 ――扉が軋みを上げ、外へ続く隙間がわずかに生まれた。

 その隙間から覗いたのは、ニーナの顔でもアカネの顔でもなく、ましてや見覚えのない盗賊でもない。


 ――やつれた髪と、銀色の耳。

 虚ろな瞳が、じっと室内を見回す。


「……お兄ちゃん!」


 エリスが小さく叫ぶ。

 そこには、先ほど路地裏で猛攻を仕掛けてきた少年――銀狼種のネシウスが立っていた。

 扉の前には先ほどの男たちが倒れこんでいて、まるで通り魔に襲われたかのように動かない。

 ネシウスの剣には、血の痕が一筋浮いているように見えた。


「嘘……そんな……」


 エリスは声もなく絶句する。

 まさか彼がここまで追いかけてきたのか。

 それとも、たまたま獲物を探していたのか。


「……まずいわね」


 ルルネの背筋に冷たい汗が伝う。

 ネシウスの瞳はやはり焦点がないまま、廃屋の中へと足を踏み入れようとしていた。

 廃屋の中にいる四人と、操られた銀狼種の少年。 扉を挟んだ数メートルが、まるで深淵と化す。

 彼の足元には先ほどまでルルネたちにとって脅威だった男たちが転がっている。

 人一倍優しかったと聞く少年が、このように無慈悲に人を切り捨てている事実が、エリスの心を抉る。


「ネシウス! お願い、正気に戻って……!」


 エリスの悲痛な叫びが虚しく響く。

 ネシウスは何も言わない。

 まるで屍のような顔で、一歩ずつ廃屋の奥へ進んでくる。


 このままでは再び激突は避けられない。

 扉がギシリと音を立て、ネシウスの歩幅に合わせて隙間が広がっていく。

 ルルネは剣を握る手に力を込めた。


「どうにかするしかない……! ミア、エリス、リアを守って!」


 ルルネは廃屋の薄暗い室内で背を伸ばし、青ざめた表情にほんの少しだけ決意を乗せる。

 操られているなら、なおさら危険な状態。

 彼の凄まじい力を受け止める策があるか――思案する暇はもうなかった。

 ネシウスが銀色の耳をぴくりと揺らし、さらに踏み込む。

 血塗られた路地から続くこの狭い空間が、再び戦場に変わる予感が痛いほど伝わった。


(でも……絶対に彼を取り戻す。ここで諦めるわけにはいかない!)


 心の中でそう誓ったルルネは、ネシウスを見据え、次なる瞬間への準備を始める。

 深夜の王都で、今再び運命が蠢き出そうとしていた。

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