第百三十八話「決意」
日が落ちかけた王都の夜の帳――。
ルルネたち一行はどうにか裏道を抜け、人気のない廃屋に身を寄せていた。
形ばかりの扉を閉めて壁際に座り込み、誰からともなく安堵の息が漏れる。
「ひとまず、ここで休憩しましょう。宿まで行く余裕もなかったし……」
ルルネが壁に背を預けながら呟き、頭上の穴の空いた屋根を見上げる。
わずかに覗く星空は、事件の混乱とは裏腹に静かにまたたいていた。
「でも、あれだけ派手に暴れちゃったから……衛兵とか、また騒ぎになりそうですね」
ミアも恐る恐る外の様子を伺いながら言う。
あの激戦を経て、既に身体は疲労の限界だったが、今は気を張り詰めないといけない。
一方、リアとエリスの二人は部屋の隅で互いに寄り添っていた。
エリスはさっきまで必死に泣くのを堪えていたが、ようやく落ち着きを取り戻し始めたようだ。
「ありがとう……リアさん。ごめんね、私ばかり弱音を吐いて……」
「いえ、私こそ……お兄さんを助けたい気持ちは同じですから」
二人は互いに声を抑えながら、傷ついた心を支え合う。
エリスは兄のあまりに変わり果てた姿にまだ震えが止まらない様子だ。
「それにしても……ネシウス、完全に自我を奪われてるみたいだった」
ニーナが苦い表情をしながら問いかけると、アカネがこくりと頷いた。
「うん。あの力……かなり高い魔力を付与されてるみたいだし、普通の術ではなさそう。ルルネの言う通り、亜神の力とやらかもしれない。敵が何を狙ってるにせよ、危険な存在になってしまった」
亜神という言葉が落ちるたび、場の空気が重く沈む。
この大陸において、それほど知れ渡っているわけではないが、噂だけでも十分にその危険性を感じさせる。
他人を傷つけたくないネシウスが、あそこまで無差別に攻撃してくる時点で、何らかの術式か呪縛が働いていると見るのが自然だろう。
「どうすれば……元に戻すことができるんでしょうか」
エリスが震える声で問いかける。
目には微かな涙が浮かんだままだ。
「先立って動くには、まず情報が必要ね。あの少年を操ってる元を探らないと。アルベルト公爵家とか、『人類統一計画』とか、今までの情報からすると怪しい組織が絡んでいそうだけど……」
ルルネは膝に肘を置きながら、深く考え込む。
「それに、私たちも指名手配の身分だし、うかつに表を歩けないわね。衛兵隊も厳戒態勢らしいし」
「……それなら、私が動く」
ニーナが手を挙げる。
「私は聖女としての知名度がこっちでどこまであるか分からないけど、魔法である程度は変装できるし、足取りくらいなら掴めるかも。アカネも一緒に行ってもらえれば、かなり心強いしね」
アカネはそれに対し、ほんの少し驚いたような顔をしてから微笑む。
「分かった。二人で周辺を少し探り歩いてみる。夜中のほうが逆に紛れやすいし、情報屋がいる店なんかも夜の方が活発かもしれない」
「でも気をつけて。ネシウスだけじゃなくて、他にも私たちを狙う敵がいるかもしれない」
ミアが心配そうに声をかけると、ニーナは軽く肩をすくめて微笑んだ。
「大丈夫。ルインやナナがいない分、私とアカネのコンビネーションだって捨てたもんじゃないわ」
一方、その会話を聞いていたエリスは、大きく息を吸い込んでから、恐る恐る口を開く。
「あの……私も協力します。兄さんのこと、もう放っておけない。何かできることがあれば言ってください」
その決意の固さに、ルルネも胸に迫るものを感じる。
「分かったわ。じゃあリアとエリスの二人には、ここに残ってミアと一緒に待機してもらえる? 万が一、ネシウスが再び襲ってきたら、状況を見てすぐ隠れて」
「はい、任せてください」
リアは少し神経質に頷く。
解体の技術はあっても、戦闘となると経験が薄いことは否めない。
アカネやルルネほどの実力はないのだ。
エリスも複雑そうな表情だったが、「分かりました」と小さく同意した。
「よし、じゃあ決まりね。ニーナとアカネは夜の街で情報を集める。私とミア、そしてリア、エリスはここで待機。もし緊急事態が起きたら、音か光で知らせるとか、なんらかの合図を決めておいたほうがいいかも」
そう言い終わると、アカネが腰の鞘から短い発炎筒のようなものを取り出した。
「これは私が拾った魔道具なんだが、炎色反応で光信号を出せる。夜でも結構目立つから、これを使うといい。もしネシウスか敵が来たら、外に出て空に向けて光を放ってくれ」
「分かったわ。ありがとう、アカネ」
ミアが受け取り、しっかりとポーチにしまう。
その光景を見ながらニーナは背伸びを一つして、静かに気合を入れた。
「それじゃ、アカネ、行こう。夜はそんなに長くないし、手早く動く」
「了解。時間が勝負だな」
二人が出発するために廃屋の扉を開けると、夜の空気がひんやりと流れ込んできた。
町のざわめきはまだ遠くから微かに聞こえる程度だが、どこか不穏な気配を孕んでいる。
「戻ってくるまで、みんな気をつけてね」
ニーナは念を押すように言い残し、アカネと共に路地へ消えていく。
残されたルルネとミア、そしてリアとエリス。
エリスは辛そうに唇を噛んだまま俯いている。
ルルネが彼女の肩に手を置いて、励ますように微笑みかけた。
「大丈夫よ、エリス。私たちだって、本気でネシウスを助けたいと思ってるからね」
「……はい。ありがとうございます」
小さな声で返された答えに、ルルネは力強く頷く。
まだ夜は始まったばかり。
亜神としての力に操られた銀狼・ネシウスを取り戻すために、みんなが一丸となって動く時が来た。
「必ず、見つけ出して、そして救ってみせる――」
そう誰にともなく宣言するルルネの瞳には、迷いのない決意の光が宿っていた。
薄暗い廃屋の中で、彼女の声だけが小さく反響する。
嵐の前の静けさが、王都の夜を包み込み始めていた。