薄氷沼の竜 1
冷たい霧と切り立つ槍のような岩山が延々と連なる・・ここは雲界と呼ばれている。
もう千年は昔、原始の巨人が神竜に敗れ、その遺骸からこの雲界の世界は産まれたという。
雲界の果ては別の世界に繋がっているともいうが、果てを越えて戻ってきた者はいない。
我々の大半はこの霧の世界で産まれここで生きてここで死んでゆく。
もしかしたら、死んだ後は霧の向こうにゆけるのかもしれないが。
「キリヒコ坊っちゃま。もうすぐトォトイ郷ですからね。何年も行ってませんが、あそこは確か鶏の香草焼きが旨いですよ」
荷負い人として雇っている小柄な蜥蜴人が呑気に言った。子供のように小さな身体で大荷物を背負っているのにすいすいと、霧で濡れ苔も目立つ岩場を歩く。
「食事より暖炉かストーブか、風呂が恋しいよ、ヤッポ」
「お風呂っ! 身体を清潔するのはあっしも嫌いじゃないですが、人間族の湯に身体浸ける習慣はよくわからないですね。スープじゃないんだから」
「スープって・・」
酷い例えだなぁ、と思いつつ、私も先頭に立って迷わず岩場を進んでゆく。軽量鎧の上から風抜き穴の空いたフード付きの薄い革のレインポンチョを着ている。
撥水加工品だが、雨も降っていないのに雫が落ちてしょうがない。と、
「っ! ヤッポっ」
岩場の先、崖になっているがその底にあった細い川の側で、岩石亀2体が、1人の人間の遺体を貪り喰らっていた。
「あの服装はトォトイ郷の人間ですね。事情はわかりませんが、まあ、野外は魔物のテリトリーです。こんなこともありますよ」
「これが自然でも、郷の近くで人の肉の味を覚えた個体を放っておくのは危険だ」
私は腰の後ろに留め具で固定している、折り畳まれた狩り手の槍を左で取り、右手で右の腰の3連装のグレネードガンに暴発対策で2発、炸裂弾が込められているのを確認した。
「あんなの放っておいたらいいですよ、坊っちゃま。こうして狩り手が居合わせることなんて、普段は無いことなんですよ?」
「この時はこの時だっ!」
私は岩場から飛び出し、崖を駆け降りだしながら、炸裂弾を2発撃って岩石亀を牽制した。
命中精度の低い銃を走りながら撃ったが、的の大きな岩石亀の甲羅に当たってくれた。ガァンッ! ガァンッ!その名の通り自ら生成した岩が張り付いた甲羅の破片が飛び散るっ。
怯ませたが、甲羅を全て破壊する程じゃない。それでも先制されずに崖は駆け降りれた!
畳まれたブーストランスを伸ばし展開して構える!!
「ゴァッ!」
「ウルゥッ!」
2体の岩石亀は揃って猛烈な石片の息を吐いてきたが、私は素早く躱し、ブーストランスに力を付与する!
与える属性は・・
「雷よっ!」
詠唱に応え、小さな魔方陣に覆われたブーストランスが激しく帯電するっ。意思を失わない限り、この雷はを私を傷付けない!
「セェアッ!」
1体の首筋にブーストランスを打ち込み、眼球が1つ弾ける程感電させて倒すっ。
続く2体は巨体で片足を上げて踏みつけてきたが、これも転がって躱し、起き上がり様に追い打ちで石片の息を放とうと開けていた岩石亀の口にブーストランスを投げ付け、体内から激しく感電させて倒した。
「やりましたね! 坊っちゃまっ」
「ヤッポ、まだ帯電している。ちょっと待てくれ」
崖を降りてきたヤッポを制止して、岩石亀の口から抜いたブーストランスを構え、周囲の電気を吸収して始末した。
「よし、いいよ」
「弔い料を頂きましょう!」
ウキウキと近くに来るヤッポ。
「いや、運び易い遺品と所持金はトォトイ郷に持っていこう」
「え~? 命懸けはタダでするもんじゃないですよ、キリヒコ坊っちゃま。命が安くなっちまう」
「手間賃は岩石亀から希少部位を取ればいい。ヤッポにも分け前3割5分譲るから、手伝って」
「っ! それならなんの問題もありやせんぜっ? ニシシッ」
文字通り現金なヤツ。ヤッポは大きなリュックを降ろすと、骨切り鉈を取り出して楽しげに岩石亀の解体を始めた。
私は人の遺体の方を見る。酷い状態だが、指輪や、所持金の回収はできそうだった。女性、だったか。まだ若いようにも見えた。
・・死臭に他の魔物が集まるのも時間の問題だ。霊木の灰を使って、早く燃やしてやらなくては。