いずれ最期に出会うなら2-5
“想いは山の彼方に、死は肩の後ろに”
故郷だったものを積み上げた瓦礫の上、荒涼とした風景の中を吹きすさぶ風に運ばれた、半ば焦げた紙片をお嬢は拾い上げた。どうやら、何かの標語か辞典のようなものだったのだろう。この地方に古くから伝わることわざが目の端に映る。
「確か、“いつ死ぬかもわからないのに、未来のことばかり考えるな”だったかしら」
お嬢はそれを細い指で摘まむと、後ろに放った。
「それで、どうしたものかしら?」
歩くことがままならないほどに、瓦礫が乱雑に転がっている。町の原型はほとんどとどめておらず、せいぜいあの少しばかり背の高い残骸が、王の城だったものか、と推測できる程度。生存者の有無など、誰に聞かずとも明らかであった。
「竜は皆いなくなったし、あの竜の親玉さんが死んだ後、見境なく敵味方両方の兵を食べ尽くしたみたいだし……」
「指揮する者がいなくなればそうなるじゃろうな。知性なき堕ちた竜ではのぅ」
傍らの白骨は当然のことと首肯する。
結局、この人間同士の戦いには勝者などいなかった。
敵の国もこれだけの兵が軍事上の意味ではなく、そのままの意味で全滅し失ったとあれば、相当な痛手であろう。
そして、とてもではないが、この瓦礫の山に治める価値などお嬢には見いだせなかった。故郷に全く思い入れがないとは言わないが、少なくともここを再び元の姿に復興させようだとか、王家最後の生き残りとして国を再興しようだとか、そんな思いは欠片も心中に湧いてこなかった。
「どうしようかしら。その、困るわ」
お嬢は単純に困惑していた。籠の鳥とまではいかなくとも、与えられた環境の中で生きてきた彼女にとって、この状況はすぐに受け入れがたいものがあった。
「うー……」
いつもの悲鳴ともつかないうなり声を上げながら、お嬢は組んだ脚の膝の上に肘をつき、彼方を見晴るかす。
夜闇は既に晴れていて奇麗な朝焼けが瓦礫の山に陰影を落としており、町の外には朝露に濡れ頭を垂れた作物の広がる畑の間に、茶色い道が幾条か伸びている。人の営みによって作り出され維持されていたこうした光景も、この国が終わりを告げた以上、少しずつ変わっていくのだろう。
「ところでお嬢、そろそろ降りてくれんかの?」
お嬢の憂いを帯びた横顔に感じ入るものがありつつも、白骨はいい加減自らの扱いを抗議しようと口を開いた。その声は、お嬢より背が高い彼にしては、ずいぶん低い位置から聞こえた気がした。
「……人をいつの間にか人外にしてくれた罰よ」
「椅子が欲しくば、その辺の瓦礫を儂が寸断した方が良いものができるぞ?」
「確かに、背骨って座り心地悪いのよね。子供の頃、裸馬に乗った時のことを思い出したわ」
「お嬢? 今儂、家畜と同レベルで話されてる気がしたのじゃが?」
「……うー?」
「その“うー”は嘘じゃ!」
お嬢はクスクスと一通り笑うと、おそらく世界で最も価値のある玉座から飛び降りた。
「思い出したわ」
立ち上がった白骨に背を向けながら、お嬢は彼方を見つめる。お嬢の足元から延びた道の先には畑があり、その先には家畜を放牧する草原が広がっている。そして、その先には、高くそびえる山の峰が、朝日を受けて新緑に輝いていた。
そして、その先には――何があるのだろう。
「小さい頃、流行り病で死にそうになった事。その時、確かに私は酷い状況で、意識だってあるのかないのか分からなかったわ。目を開けて見上げた天井が、夢か現実かも分からなかった。でも、そんなある日、お医者様は確かに、今夜が峠だって言ってたの。なぜだかよく聞こえたわ。生きるか死ぬか、わからないって」
それは、お嬢が白骨に出会ってすぐの頃、戯れに白骨の冠を冠して王女を気取った後に起こった事である。
「私は二度、助けられたのね」
白骨の目には、あらゆる生物の寿命が見えている。そして、お嬢のそれがもう幾ばくも残されていないこともわかっていた。だから、彼の持つ『死王の冠』でその運命を書き換えた。
病や外傷などによるものではない、本当の運命が与える“死”に至るまで、万難を排する祝福を。
「勘違いするでないぞお嬢。儂はこの冠を下賜したのではない。お嬢に冠したのだ」
「分かってるわ」
それがどれだけ重大なことか、お嬢は理解していた。
全ての生物を統べる“死”の王の象徴を、人間が冠するという意味。それは、“死”を従えた主として、白骨がお嬢を認めたという事だ。
「でも、だからと言って私はこんな瓦礫以外何もない場所は御免よ?」
白骨から見たお嬢の背後には、生命にあふれた木々草花が広がっていた。
お嬢から見た白骨の背後には、生命を奪われた瓦礫の山が積もっていた。
二人を決定的に分かつ背景が、そこにはあった。
「無論、どこへでも」
言葉少なに、国だったものから歩を進める白骨に、お嬢は安堵したようで、ひとまず敵国だった国とは違う方向の道を選ぶと、近くの町まで行ってみることにした。
「しかしてお嬢よ、これからどうするのかのぅ?」
「分からないわ。でも」
お嬢は白骨が自分の後ろを歩んでいることを確かめるように振り返ると、こう楽しそうに言った。
「死が肩の後ろにあるのなら、せめて今くらい、“あの山の向こうに何かいいものがあるかもしれない”。そう、期待したっていいんじゃないかしら?」
お付き合いいただきありがとうございます。二つ目のお話はこれでおしまいです。
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