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いずれ最期に出会うなら2-4

 痛む首筋に手を当てながら体を起こせば、ごとごとと揺れる木の部屋の中だった。

 馬車の中だ。開け放たれた木の落とし窓から外を見ると、遠くが夕焼けのように赤く染まっていた。


 それが、生まれてから今まで住んでいた町だと気が付くまで、それほど時間を要さない程度に冷静怜悧な頭脳を持っていたことを、お嬢は少し疎ましく思った。


「目が覚めましたか?」


 ベッドの上に寝かされていた自分を見ているのは、頭頂部が輝いている太った男と、二人の兵士とわかる武装した人間だった。


「……そうね、最悪なことに」


 お嬢の皮肉に鼻白みながらも、太った男は仮にも目上の相手として取り扱う姿勢を崩さなかった。


「全く、礼の一つも言ってもらいたいものですね。私が連れ出さなければ、今頃あなたは火の海の中ですよ?」

「別に構わないわ。それならそれで、そういうものよ」


 お嬢は男には興味なさげにそう返した。

 ちなみに、お嬢は白骨以外に対しては男女関係なくこういう態度である。初めから理解されないことを前提で、適当に相手に解釈する余地を与えて放り投げて、あとは口を開かないのだ。

 どう考えても相手とかかわる時間を最小限に抑えるための、間違えた処世術である。

 開いた口がふさがらない様子の男だったが、別段ふさぐ必要もなかった。


「竜です! 竜が前方に!!!」


 並走する兵馬の上から、野太い声が馬車内に響き渡った。声がした方に向かって、男が続きをうながすように声をはった。


「敵の数と距離は!?」

「わかりません。なぜこんなところにまで」

「言っている場合か! 転進する間がないなら、突破する!」

「承知しました。 皆、馬車を守れ! 最悪、他の馬車は捨てて構わぬ! この馬車を死守せよ!」


 遅れて聞こえる大音声から、外の兵士の数は十数程度と察せられた。

 そして竜と思しき声は複数だ。それも囲まれている。お嬢は由々しき事態であることに気が付いて、仕方なくイラつく男に進言した。


「散開して。いい的よ」

「はぁ? 何を言っている!? そんなことをすればこの馬車が――」

「竜は火を吐くっていうじゃない。密集していたら複数人に当たるわ」

「愚かな。竜に対して個々の能力に劣る我々が――」


 最早、表面上の敬意すら払おうとしない男に、お嬢は嘆息を心中にとどめることに何とか成功する。そして、白骨ならばすぐ理解してくれるのに、と当然の信頼を寄せながら、状況が全く理解できていなさそうな目の前の男から興味をなくした。


(堕ちた竜って知性があるの? 待ち伏せて囲って、突破するために密集したところを叩くなんて……。まるで誰かに指揮されてるみたい。それに、逃げる先を誘導されているような……)


 そして、衝撃が襲い来る。


 馬車諸共に破壊する強靭な爪が、上空から襲い掛かったのだと、その中にいた誰が気づけただろうか。

 木がひしゃげ、暴風に全身をもてあそばれて気づけば地面に転がっていたお嬢は、生まれて初めて体に受けた膨大な痛みに、思わずうめき声をあげていた。


(一日に何度もやめてほしいものね。私は見ての通りやわなのだから)


 白骨が聞けば、見た目はそうじゃな、と余計な一言を呟きそうなことを考えながら、お嬢は何とか上半身を上げる。

 目の前には絶望的な光景が広がっていた。

 地面の上には、青黒い鱗や朱色の鱗に覆われた二足歩行の爬虫類がいた。体調は二メートルから十メートルほどか。どの個体も、目は退化しており、口腔が恐ろしく大きく、端からはよだれが垂れていた。

 それがお嬢と馬車の残骸を囲うようにして少なくとも二十数匹は蠢いている。


 しかし、そんなものはどうでもよかった。

 お嬢の頭上、もう夕暮れ時に近い時分でもなおよく見える、巨大な存在が大地を睥睨(へいげい)していた。


(『地を這う蛇のごとき体をし、鳥の翼で風のごとく翔け、水に棲む魚のごとき鱗で体を鎧い、口からは火山のごとく火を吐く』――とか、そういう理屈じゃないわね。ほんと、勝てるはずないわ)


 それは、竜だった。

 蛇というには胴が膨れ、首と尾の境目がよくわかる姿をしているが、角が生え、太い後ろ足としなやかな前足を持つそれが、空を覆うほどの翼をはためかせて飛んでいるのだ。

 かつて西洋竜(ドラゴン)などと呼ばれた存在に近い姿である。


彼奴(そやつ)が第三王女か」


 驚くことに人間の言葉を話した竜だったが、その言葉はお嬢に向けられてはいなかった。無論、意識すらも。


「はい、はい、そうです。私が連れてまいりました。竜の王よ!」

「!!?」


 お嬢が目を向けると、どういうわけか無傷の姿で太った男が竜に向かって膝を折り、臣下の礼を尽くしていた。

 その姿を見れば十分だった。男は国を裏切り、お嬢を売ったのだと。


「……あなたが竜の親玉さん?」

「ふん、いかにも。しかし、口を慎めよ人間風情が」


 それは生まれて初めての衝撃だった。

 どっ、と体の芯をえぐられるような衝撃は、もたらされた結果に比して痛みを感じなかった。


「っえ……」


 胸元に穴が開いている。

 速すぎてお嬢には見えなかったが、竜がその尾で胸元を貫いたのだ。

 衝撃に遅れて訪れた風がお嬢の頬を撫でる。

 遅れて、痛みを伴う熱と、感覚が鈍磨し寒気がするような喪失感が全身を伝う。


「!!?」


 一瞬意識を失っていたのだろうか。

 お嬢は気がつけば地面に頬をつけて倒れていた。


「俺は空の覇者、竜の王である。地を這う虫けら同然の人間が、許可なく口を開くな」


 声が遠い。

 いや、意識が遠いのだ。


 体から急速に生気が失われていくのがお嬢には分かった。

 意外とすんなりと自らの死を受け入れている自身に驚きながら、走馬灯のようにこれまでの光景が去来する。

 そして、その多くに白骨が居て――


「なるほどのぉ」


 走馬灯と二重写しになるように、かすみゆく視界。

 瀕死のお嬢には、死の足音が聞こえるようだ。


「状況は分かった。愚かじゃな竜の王とやら」


 コツリ、コツリと人間よりはるかに軽い足音は、


「せめて竜と名乗るだけならば、こうまで儂を怒らせなかったであろう」


 しかして確かに鉛のように鈍重。


「覚悟は良いな? 王とやら。本物の王を知らぬ小童が、格の違いを見せてやろうぞ?」


 そして、混濁する意識の中で、お嬢は確かに親しい死の象形の声を聴いた。






 ――まだこちらに“来るな”。想いは山の彼方を見続けよ、お嬢






 §






「何者だ貴様? 人間……ではない、のか?」


 困惑する竜の王は、しかし相手の姿を見降ろして安堵する。

 小さい。あまりにも。


 その姿は人骨が襤褸を纏ったようであり、その矮小な頭蓋に僭越にも王冠を頂き、頭を垂れることもなく竜の王たるその身を見上げていた。


(……馬鹿な!)


 しかし、その時、竜の王と称するも、未だ若い者共として感じた感覚に、この竜は驚愕した。

 そう、なぜ相手の姿を見て、自分は安堵した(・・・・)のか。


 例え神話に語られる最古最大の者共“竜”、世界を滅ぼす力を持つ死の王、人知れず世界を廻る箱庭の海亀、現実と幻想の狭間に棲む獣――機械文明が崩壊する以前から存在する者共が相手であろうとも、自身が負けるとはこれまで毛ほども思ったことはない。むしろ、噂に聞く原初の者共を、凌駕していると確信していたはずではないか。

 にもかかわらず、竜は安堵していた。いったい何故だと初めての感覚に竜は数瞬、困惑する。


(屈辱だ)


 鋭敏な危機意識を、漫然としたプライドが塗りつぶす。

 それが、竜の敗因だった。


「お前も者共ならば、()とやらの違いは分かるはずだが?」

「そうじゃの、意外に儂も大人げがないのぅ」


 ポリポリと王冠のふちのあたりの頭をかく動作は酷く人間臭く、とてもではないが、強者の風格は感じられない。

 しかし、何故かはわからないが、強者や弱者という言葉は、この白骨には似合わない気がした。


 しいて言うならば、得体が知れない。


 何もないはずの暗闇に不安を抱くように、小さな隙間や物陰を怖がるように、無意識に忌避し畏怖し、恐怖する――あえて言うなら、そういった表現不可能な恐怖を象ったような――弱者を気取った――畑にたたずむ案山子(カカシ)を串刺しの死体と見間違えたような――磔刑(たっけい)の死刑囚を案山子と見間違えたような――その存在の軽重を姿からうかがうことのできない、測定不能な化け物だ。

 その化け物が、人間の歯のような白く黄ばんだ骨格の隙間から、声を発する。


「それにしても、この人間とトカゲ共はなんじゃ?」


 お嬢を(かどわ)かした太った男は、今初めて発言する許可を得たとでも思ったのか、不用意に白骨に向かって汚いつばを吐きながら喚き立てた。


「き、貴様は一体何をしにここへ来た無礼者がぁ!!」

「……いいのか?」


 高貴な身分を称する者として、追従を常としていた禿げた男は、首をかしげる白骨のふざけた言葉に、思わず吐息に近い疑問符を漏らす。


「……は?」


「イチ……ゼロ。それが、最期のお主の言葉じゃぞ?」






 首が落ちた。

 白骨も、竜も目もくれないが、竜の尾が男の首を切り裂いたのだ。それは、竜の危機意識による行動だった。

 竜の直感が語る。

 今、この場では、森の端で落ちる木の葉の音一つで状況が変わる。羽虫の羽音で空気が震え、微風で砂粒一つが転がる――そんなわずかな変化を見逃すや、死に直結する。

 その間合いや先見のやり取りを乱す太った男は、竜にとって邪魔でしかなかった。

 だからこそ、無意識に殺したのだ。


「ちなみに、今言っても仕方ないが、貴様の殺した配下が欲した不死じゃが、『壺中天(スピーシーズ)砂時計ピーシーズ』、『輪廻都市(ディストピア)』、『エドガーの使い魔たちの指輪』、あとは……そうじゃなぁ、」


 白骨は竜を見上げ、己がプライドたる冠を二三度つつくと、こう続ける。


「『死王の冠(クラウン)』なんぞで、叶えられるぞ? いくつか悪辣な現象系怪異も混ざっておるがの」

「今だ……囲めッ!!」


 竜の声に僅かに焦りが混じる。

 十重二十重、堕ちた竜に囲まれた白骨は周囲の木々や堕ちた竜、そして空を舞う竜と比べて最も小さくか細かった。しかし、それらに中心に、演台の中央で胸を張る舞台の主役がごとく、確かに彼はいた。


「のぅ、問うが、何故こんな堕ちた竜どもを手下としたんじゃ? 何故人間どもにくみしておる?」

「ははっ、怯えているのか? 恐れているのか? まさか卑怯とは言うまい?」


 竜の王は既にそれが虚勢だと内心で否定する事に苦労していた。


「人間の軍勢とて武力になる。さらには、我が身より出でた堕ちた竜で作った竜の軍勢。空の覇者たる我が身より、生まれし軍勢に、打ち勝つ者などあるものかぁ!」


 裂帛(れっぱく)の声は、白骨のわだかまるような低くか弱い呟きにかき消された。






「“来い”肩の後ろより、彼方を想う全てに巣食うは、死よ」






 それは、例えるなら重力。

 白骨に向かって生じる不可視の重力は、稲穂を刈り取る鎌のように、その場にいる竜から何か(・・)を刈り取ってしまった。


「うぅむ、久々じゃから、精度が微妙じゃな」


 数匹、痙攣を続ける堕ちた竜がいたものの、それは竜の王を称する矮小の身とっては絶望に過ぎ、死の王たるその万物を統べる王たる白骨にとっては、僅かばかりの誤差に過ぎなかったらしい。

 生の幕引きとは、すなわち生けとし生ける者全てにやがて降り立つ理不尽な終わりである。そう知っているゆえに、白骨はにとってそれは誤差に過ぎない。

 遍く総ては、白骨の元へいずれ来たる同胞(はらから)であるがゆえに。


「さて、引き続き問うが、何故、空の王を誇るのかの?」

「そ、それは、それはかつて“竜”が……」

「……ほう? “来る”か? (トカゲ)よ」

「ッ……!!?」


 白骨が、いや、“死”を統べる王が一歩を踏み出した。

 胸骨にわだかまる陰から取り出すは、無数の骨が絡み合った大剣だ。それは荘厳というには恐ろしく、冒涜的で、しかし純粋な祈りを象ったかのように、神聖さすら感じられる白亜の剣であった。

 それは確かに美しかった。


「わ、わわ、わ我が爪牙、人間の鋼などと比べものにならんぞ!!?」

「そもそも比べるものではないぞ? この剣はかつて“竜”と切り結んだ。鋼鉄? 貴様の爪? “竜”のそれと比べれば紙と呼ぶこともおこがましいわ(たわ)け!!」


 自慢の爪牙も鱗も、やすやすと切り裂かれ、生まれて初めての痛みを受けて、竜はようやく気が付いた。目の前に立ちはだかる――否、散々と忠告を重ねた弱者を演じる老人――永久不変の死という概念を象る存在は、竜ごときで立ち向かえる存在ではなかったのだ。


「愚かなりや竜の王よ」

「空を統べる“空の王者”とは、すなわち地を統べることのできぬ“虚空の王”よ」

「一体どうして、空を翔ける事しかできぬその身を尊ぶものか!!?」


 翼を()がれ、脚を斬られ、爪を穿(うが)たれ、鱗を貫かれたときには、もう遅い。

 白骨の持つ剣は、幻想に生きるはずの竜すら軽く凌駕していた。


「さて、最期じゃ。“来い”儂こそが、その道の果て」

「!!?」


 竜は死んだ。

 そこに理由はなく、理屈はなく、事実だけがあった。

 ただ死んだ。


 それが攻撃ならば、射程距離や威力があり、向けられたものは防御しいなし、あるいはかわして攻防を続けるものだ。何某かの物理法則により拮抗し相殺し、その一部しか影響が通りはしない。

 しかし、この世界にある以上、生物は死に、形ある存在はいずれ壊れる。

 “死”とは不死ではなく不滅の概念である。


「さぁて」


 竜は生まれて初めて恐怖した。

 それは、圧倒的強者に相対した故では、全くない(・・・・)


「“来るな”」


 生きていたから(・・・・・・・)だ。

 そして、一度死んだことで目の前の白骨がとんでもない存在であることを理解したからだ。


 死した時、確かに竜は目の前の白骨の中に吸い込まれた。まるで、あの世とこの世の境界の門が白骨であるかのように。そして、その先には、おびただしい数の生き物だったものの群れ、群れ、群れ――この世にある数の概念では到底数えきれないほど、群がっていた。

 生物の行き着く先が死であるというのならば、いずれあらゆる生物は死を司る者の元へと召される、いずれ来たる仲間なのだろう。少なくとも、この白骨にとっては。


「のぅ、竜の王とやら?」


 華奢なその手で、竜の鼻先を持って吊り上げる膂力(りょりょく)や、どうして空を飛んでいるのかという疑問をひとまず置いて、竜は目の前の恐怖から逃げることを第一義と考えた。


「なんだ……いえ、……何か御用でしょうか?」

「何か、と言ったか?」


 その真白い痩躯が指をさす先には、竜が殺した第三王女の姿があった。

 しかし、その胸元は静かに上下しており、呼吸し、ゆえに生きていることは明らかだった。竜は確かに殺したはずの矮小な存在に恐怖する。


「どうして……」

「我が『死王の冠(クラウン)』を冠したからのう。天寿を全うするまで、あらゆる外部からの“死”を免れる。お嬢が望むのであれば、不老不死でも良かったが、お嬢は死のうが生きようが同じ(・・)だと言った傑物よ」


 なぜなら、死は常に寄り添う者であり、死の象形たる白骨とともに生きている少女にとって、死んで白骨の元に行くというのであれば、生も死も変わらずそこにあるだけのものだったから。

 結果は変わらないのだ。


「さて、貴様の根性を叩きなおす必要がある故に、罰をくれてやろう」

「それは……一体?」


 一度の死と蘇生で恐怖に爪牙を震わせる竜は、絶望的な答えを聞いた。


「なぁに、殺しはせぬよ。ただし、生死を寸毫(すんごう)の間に、千度、味わうがよい」


 確かに、その時、竜は虚空を飛んでいた。


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