いずれ最期に出会うなら2-2
「クカカッ! かつての“竜”の火に比べれば温いのぉ」
「うるさい! 竜など実在するものか!!」
「ならば、死者を生き返らせる法などあるものか」
「それでも、貴様が生きているのなら、どこかに!!」
「クカカカカッ! 貴様、儂が生きていると言ったか! 滑稽じゃな!」
筋肉質でヒステリックな男に鉄の棒で打ち据えられながら、今日も白骨は退屈な日々を送っていた。
(最近、客が増えたのぉ。儂を使って稼いでおるな下種どもめ)
おそらく、白骨の姿を喧伝して生と死にかかわる秘法を知る者であると伝え、多額の援助を受けているのであろう。ゆえに、毎日代わる代わる――人によってはほぼ毎日やってきては、彼を打ち据えて帰っていく。
(まあ、どのような者でも良い、等しくいずれ、儂が――)
そこで頭蓋骨を打ち据えられ、さすがに不快に思った白骨は思考を止めた。
肩で息をし、不機嫌な様子で帰っていった男の背を眺めながら、白骨は再び鎖に収まった。
室内では、小さな蝋燭が燃え上がりすえた匂いのする牢獄の埃を、きらきらと映し出して時折不気味な影絵を描いていた。
「――あの?」
次の招かれざる客が来るまでに、ささやくような小さな声が空気を揺らした。
白骨は周囲から観測者が立ち去った独特の変化がないために、誰かいるのだろうとは思っていた。しかし、その相手があの――少し前に自身が驚かせてしまった少女であることに驚いていた。
小柄で痩せている。しかし、そのことは彼女の美貌に影を落としこむことはなく、むしろはかなげな印象を見る者に与えている。長い金髪は絹の糸のようで、毎日丁寧にくしけずられていることが明らかだ。暗闇を払拭するには足りない僅かな蝋燭の明かりの中に映し出されていてもなお、その姿は不気味ではなく、当代の名画家がその筆を振るって表現を重ねた末にあるような、ある種の誰もが共感するであろう美しさがあった。
肌の色は白いが血色はよく、生気に満ち溢れている。そんな彼女の前で死を象徴する姿をした白骨が、薄汚い牢獄の中でうなだれている姿はおそらく、見ている者がこの様相を描き残していれば、本当に歴史的な名画の一つに数えられていたに違いない。
「あなたは、なぜ生きているの?」
「……クカカッ!」
歳の頃はおそらく十歳を下回っている。そんな者が白骨を見て好奇心を掻き立てられたのだろう。こんな場所に一人で来れるという事は、白骨を捕らえている者か、それともその周辺で権力をかざせるものの血縁か。
その事を察したものの、白骨は先日、怖がらせてしまった詫びについて考えたことを思い出す。
なればこそ、ここは真摯に答えることで、彼女への詫びとしよう。そして、もしも気に入ればもう一つを、何も知らないこの少女へ、礼として与えよう。
「そも、死とはなんぞ? 生とはなんぞや? 考えたことがあるのかな、お嬢さん」
「わからないわ。でも、生きていることと死んでいることを分けることはできる。例えば人間なら――」
「人間なら?」
非常に幼く、柔らかな表情をしながら「うー?」と顎に指をあてて考える姿は、子供向けのなぞなぞの答えを考えているようなしぐさにしか見えない。
しかし、いにしえの時代から生き続けているはずの白骨は、長年生きたせいで感覚が鈍磨し、そもそも、白骨死体にしか見えない彼を恐れていない――ただただ現象の一つとしてとらえている少女の異常性に感づいていなかった。
だから、少女が無邪気に振るった長広舌は、白骨の度肝を抜いた。
「人間はね、白骨になったら死ぬ」
「でもね、腕を切られても死なないし、ゆっくりと傷をつければ手足の肉をそいで手足をもいでも多分死なないの」
「死ぬのは手足じゃないところを、特に首や頭を傷つけられた時。だからね、魂は頭にあるのかとか、心臓の鼓動に宿って全身をめぐっているとかいう人がいるけれど、それは間違い」
「そもそも、目に見えないものなんて実在を信じる価値があるのかしら?」
「多分、人間には生きていける条件がある。飢えれば死ぬし、溺れれば死ぬ。火あぶりで死ぬなら、温度も重要なのかな? たぶん、死ぬってことは、生きていられないって事で――状態が変化するの」
「呼吸と、食べ物と、あと水が必要。長生きしたければ他にもいるけれど、死にたくないだけならそれで充分。だから、人が死ぬときは大抵、そのどれかが奪われる。あとは、それら全部が通る道みたいなもの。たぶん血が抜き取られると人は死ぬ」
「そもそも、生きている時の体と死んだ後の体は同じ重さのはずじゃない? 命にも魂にも物質的な重さなんてないのよ? だから変わるのは、『生きている』っていう状態だけ」
「簡単に言えば、生きているヒヨコと、ヒヨコをすり潰した肉塊との違いは、『生きている』っていう状態の変化だけなの。それなのに、みんな魂がどうのって小難しいことをくどくど言って誤魔化すのよ?」
「でもね、それを言ったらみんな私を指さして言うの。これだからお前は、って」
「何が間違っているのか、誰も教えてくれないのよ」
白骨はいつもの滑稽さを滲み出させるある種の演出すらを忘れて、少し身じろぎをした。この世界は一度、機械文明と呼ばれる高度な発展を遂げた後、ある“王”による災害によって数百年は文明が衰退した。
そして今では、人間が再び神やら怪異やらの存在を信じたことで、科学という宗教が滅び、旧態依然とした人間対不可思議という構図をこそ好む停滞した世界となっていたはずだ。
それを知る、機械文明を見届けた古い個体である白骨は、思わずほんの瞬くほどの間混乱していた。
(ありゃりゃ? 機械文明の頃の考え方ではないかこれは? どうやって行き着いた! そもそも、こやつ“幻燈”の影響を受けていないのか?)
その後、少女の話を、それはもう、真剣に聞き取った白骨は――
――恐怖した。
(……今聞いたことを整理して適当に記述するだけで、一つの理論体系が出来上がるのじゃが……それすらおいておくとしてもな、恐ろしいのはその展望じゃ!!)
彼女は猛禽類の滑空する姿から人間が空を飛べる事と結論付け、ハンググライダーに近い構造体と、それに動力を与えた飛行機に近い構造体を描いて見せた。その燃焼により推進力を得る構造体は、改良によっては特定の角度で飛翔する事によって、地球の引力を抜けられるとさえ言った。
雨粒が湖に落ちた際の波紋や、川面が藻や岩によって乱される様子を観察して、音や光は波立つ何かであると言った。そして、音や光に対して恐ろしいまでに正確な理解を示した。
未来の軍隊は剣や鎧を必要としないと彼女は言う。おそらく、人間を保護するよりも殺傷する方が簡易過ぎる時代が来て、戦線はなくなり、散兵ばかりになるのだと。特に、空を飛べる兵器がならば、地面から空へ火を放てるよう、射程距離の長い武器の研究が必須だと語った。
はるか先の人間は、遠くの人々とも話すことが出来るため、情報の秘匿や誤った情報の流布によってしばしば混乱する。一方で、誰でも一定の知識を得ることが出来るその時代がやってくるので、確かな教育と法律の整備が必要であるとこんこんと説いた。
表情や感情に変化はないが、その言葉には熱がこもっていた。まるでそれは、無邪気な子供が今日あった楽しいことを親に必死に伝えようとするような。
「だからね、私にはわからないの。あなたの存在は、生きているようでもあり、死んでいるようでもある」
「お嬢さんの」
「お嬢さんはやめて」
「お嬢の」
「なぜか意味が違う気がするけれどそれでいいわ」
「――好奇心は猫を殺すと、かつて友人が言っていた」
「なぜ猫だけ? 狼や狐だって死ねばいいのに」
「……そういう例えじゃ」
白骨は先ほどまで許されていた呼び名であるにもかかわらず、親しくなるや変に子供っぽくこだわる少女――お嬢に苦笑しながらも、この異常な存在の取り扱いを決めあぐねていた。
「おっほん、お嬢は不思議なものとそうでないものに分けるのが目的かね?」
「違うわ、わからないことを知りたいだけ。それに、たぶん突き詰めて考えていけば、この世にはわからないものなんてほとんどないわ」
「少しはあると?」
「例えば、私が見ているあなたの姿と、他者が見ているあなたの姿は違うかもしれない。でも、それは証明できない。同じ理屈で、空の青さや炎の熱さを同じように感じているかはわからない。基準と目盛りを作って、数字にして共有はできるけれど」
「……詩的じゃな。例えば、絵を見たり本を読んだりして感ずることが違うという、ただそれだけではないのかな?」
「そうなのかしら? それに、私たちは目や耳を通して外を観測しているけれど、それには限界がある。例えば、より小さいものを見ようとすればレンズを通せば見えるけれど、それより小さく、何より小さいものを見ることは不可能よ。だって、観測するってことは、何かに何かをぶつけたり伝達したりして反応しているのだから、観測結果が観測という行為によって歪んでしまう領域がある」
「……波であり、そして、粒子である」
「……なにそれ?」
「気にするな、独り言じゃ。
……確かに、かつての哲学者にはその領域に達する者はおった。………………でも今の世に、嘘じゃろ? まだ地動説を大半が受け入れられてないんじゃよ人間」
ブツブツと感じるはずのない頭痛を吐き出すようにつぶやいた白骨は、お嬢と呼んだ少女がどういうわけか、目をキラキラとさせてこちらを見ていることに気が付いた。それは、白骨という研究対象や不死の法を知るかもしれない者を見た時の人間たちとは違っている。まるでずっと探していた大切な落とし物が無事還ってきたとでもいうべき、歓喜に満ち溢れていた。
「不思議だわ。あなたは人間とは思えないのに、今までで一番、私の言うことを理解してくれるし、おかしい、って言わない」
「……皆なんと言うのじゃ?」
「『これだからお前は』、『恥を知れ!』、『〇〇が〇ないなどとこの〇〇〇〇が』、『取り換え子』、『出来損ないの第三王女』、『怠け者』、『のろま』、『現実をみなさい』、『冒涜的な――」
「もうよい!」
白骨は不愉快な言葉をとどめるために、やや語調を荒げた。しかし、劇的にお嬢は表情を曇らせる。
目を伏せて――左右に視線を迷わせ――時折白骨の虚ろな眼窩を見上げた。両の手を握り締めては離し、少しだけ震えてはまた掌の色が変わるほどに、握り締める。唇は互いに離れることはなく一文字を結び、その表情は緊張と恐怖に彩られていた。
(色々と聞きたい部分があったが、とりあえずは、置くか。安らかなる心を手折るのは、儂の主義に反する)
白骨は様々な事で混乱していた自身を恥じつつ、おそらく初めて得られた理解者を失うかもしれないと恐怖しているお嬢に、自らの本心を伝える。
「……すまん、お嬢を否定したのではない。お嬢を否定する者を否定した。それほどに、お嬢の考えは非常に興味深かった。しかし、これは、要らぬ……義憤だな。許してほしい」
「……詫びを言う時は、脱帽するものよ?」
「クカカッ、これは失敬、王女様」
白骨は悪戯心を演出しながら、自らの冠するひび割れた王冠をお嬢の頭に置いた。
「これで許してもらえるかな、王女様?」
「……」
臣下のように膝をつく白骨に、お嬢はきょとんとした。
その後、わかりやすく不機嫌そうな表情をして腕を組み、思わず自分で小さく噴き出して、笑った。そして、彼女の父とは異なり、白骨がそうしていたように――多分、この王冠はこう冠するべきなのだろうと思ったのではなく、共通項が欲しくて――斜めにかぶりなおした。
「許すわ」
「寛大なる王女様に感謝を!」
白骨は王冠を再びかぶりなおすと、お嬢の唇に人差し指をあてた。
「ただ、この王冠は儂の『役割』――」
「ロロ?」
「すまぬ、言い間違えた。そう、いわば、その、プライドじゃから、貸したことは二人だけの秘密じゃ!」
「秘密?」
「そう、秘密じゃ」
「他の人は知ることができない?」
「儂か王女様が話さなければな」
「いいわね。失われてしまえばいいわ、私以外にとって」
情報の遺失に対して、変なあこがれや何かを持っているお嬢は、きっとのちの世に影響を与えるような記述や記録を残すつもりはないのだろう。だからこそ、今、変えたことは間違いではないと、白骨は不思議と確信した。
「ところで、一つ聞いてもいいかの?」
「何を?」
「王女様――」
「お嬢でいいわ。いえ、お嬢がいいの」
「あいや、わかった。それでは、お嬢、は死を恐れているのかの? 他の儂に会いに来る者共と一緒で……」
「そうね、それはもう怖いわ。だって、永遠に無くなるし、全て失って壊れるのだから。でも――」
「でも、なんじゃ?」
「多分、私はその先を知っても、知れない状態になっても、こういうものなんだって思うわ」
「クカカッ! それならば良い、合格じゃ。死なぬよう儂に祈る者よりよほどいい」
「お祈りってあの、変な像の前でみんなで目をつぶって何もしないことでしょ? 不合理だわ」
白骨はそんな理屈以外を排して考えるこの異常な子供を、不思議と快く思っていた。おそらく、一本筋の通った考え方をするあたりが、好ましく思えるのだろう。確かに、子供らしくなく今の価値観からすればありえないほどに外れている。
「心配するな。お嬢は当分死なぬ。死なせぬよ」
妙に落ち着いた声音でそんなことを言う白骨に、お嬢はどこか嬉しそうだったが、素直に態度には表さず不遜に返した。
「貴方にそんな権限があるの? 白骨さん」
「クカカッ! さてな。あるかもしれんぞ?」
そんな風に言い合っていると、牢獄に繋がる扉の前に別の人物の気配があることに、白骨は気が付いた。
「ふむ、迎えかの」
「そのようね。ねえ、また来てもいいかしら?」
「構わぬ。儂からそちらを訪ねると、騒ぎになりそうじゃし」
「やろうと思えばできるような言い方ね」
白骨の笑声が漏れたが、お嬢はそれきり口を閉ざして、牢獄の外へと出て行った。
蝋燭の火の揺らぎが止まり、牢獄は静かになった。