いずれ最期に出会うなら2-1
原初のルールと呼ばれる世界に定められた法則がある。
『役割』、『規律』、『禁則』、『反動』の大別して四つから成ると言われるそれらが、まだ生まれていない時代。
悪鬼羅刹が跳梁跋扈する混沌の時代に、形あるものは何一つはなかった。光が存在するゆえに影があるように、相反する性質が互いの存在を支えているためだ。おそらく原初の世界――複数の存在が集合し混濁し偏在した世界は、ある日何者かによって分かたれ、天地、去来今、現実と幻想、ありとあらゆるものが産声を上げた。
そんな中に生と死があった。
生きているがゆえにいずれ死ぬ。
その法則はあらゆる生物に適用され、いつしか生物は死を恐れることで進化していった。
さて、ここに“死”がある。
かつてはただ“死”と呼ばれたが、今では『役割』を持つ者全てが持っているものであり、『役割』――生き物の持つ根源的な意義や欲求、幸福を記した法律書のような――には、最期にピリオドが打たれ、本が閉じられる。
このピリオドこそが“死”である。
しかし、その先を夢想するもの、その先に別の始まりを想像するもの、生き続けるもの、死以外の永遠を与えられたもの――いわゆる者共にとって“死”は状態の変化にすぎなかった。
今回は、そんな“死”から逃れ出た者共と少し人間を外れた少女のお話。
§
それを繋ぎ止めるための牢獄にしては、ひどく原始的で簡素な場所だった。
その四角い部屋の六面のうち五面は、黄ばんだ白い石レンガ積みの壁であり、残りの一面には、錆付いた鉄格子があった。
もっとも、中にいる存在を見て、知らぬ者は牢屋が機能しているのかと疑問を抱くだろう。牢屋の中に入れる必要があるのかと――そもそも牢屋などなくともその存在は動けないのではないのかと。
そして、彼をよく知っている者はより強く無駄だと感じるだろう。いかなる者も、かの存在を繋ぎ止めておくことなど出来はしないのだから。
中にいるのは薄汚れた骨、それも人骨だ。
襤褸を纏い、肉の全くがこそげ落ちた白骨には少し不釣り合いな大きく――そしてひびの入った無骨な王冠が、つるつるとした頭蓋骨の上で傾いていた。力なく石壁に背を預けている姿からは一切の生気が感じられないが、ある一点において異常性を有していた。
それは数多くの鋼鉄の鎖が――それも牢屋の鉄格子のようにさび付いておらず、牢屋よりなお堅牢に見える――まるで操り人形に垂れ下がった糸のように――おびただしく、無数にこの白骨死体にしか見えない何者かを拘束している事だ。
しかも、その鎖の先にある手錠のような輪は、明らかに現在の骨の直径とほぼ一致しており――つまり肉体のあった頃にこの白骨を拘束していた名残ではない事が明らかであった。
――ジャラ
鎖の鳴る音が静謐な牢屋に響いた。
「ぐ、うぬぬぬ」
続いて、寝ぼけたようなうめき声と、衣擦れの音。
「クカカッ! 全く、飽きぬことよの」
そして、呆れたような笑声を漏らしながら、その人骨は首をかしげる。
目の前には非常に華美で、豪奢な服装をした太った男と、下卑た笑みを浮かべた禿げた男がいた。
「今日も拷問を行う、どうだ、話す気になったか?」
太った男は自信満々に――というよりはそれが常々の態度なのだろうが――言い放った。
「お主の寿命はあと8年2か月16日に5時間と34分09秒じゃな。まだ見ぬ土地へ行ってはならんぞ? 死ぬからな」
「そんな路傍の占い師が言いそうな事を聞きたいんじゃあないわ!!」
太った男の怒声を受けて、禿げた男が金属のハンマーを人骨に振り下ろした。
「おお、肩凝りが治ったわい!」
「凝る筋肉がないだろうが! クソッ!!」
「クカカカカッ! そこのそやつとて、髪がなくても頭くらい洗うじゃろ? そういうもんじゃ。わかったか未来の禿げ」
「我が家で禿げているのは父だけだ!!」
その後、三人はおおよそ人に聞かせられない罵詈雑言をかわし合い、二時間程度経った頃には白骨は粉々となった。肩で息をするくらい疲れた太った男は、ぜえぜえと呼吸を整えながら牢屋の外へ続く扉から出て行った。
「明日こそは聞き出すぞ! 貴様の不死の法を!」
扉の閉まる音を聞いた白骨は、
「クカッ! よっこいショーペンハウアー!」
と良く分からない事を言いながら次の瞬間には元通りになっていた。
者共などとも称される彼らのような非日常の存在は、『役割』に定められているがゆえに、その姿、着衣、装備にいくら干渉を受けていても、消滅さえさせられなければ元の姿に戻ることが出来る。
もっとも、それは人間が傷を負った際に療養を経て行う回復と同じことであり、粉々にされても数秒の間に元に戻る白骨は、者共の中でも異常な再生能力を有している。
「おっと、いかんいかん」
白骨は律義に、外れてしまっていた鎖に拘束され直して、その全てが正しい位置に固定されていることを確認すると再び壁にもたれて力を抜いた。
「なんじゃろうか、この鎖の圧倒的我が家感」
枕が変わると寝れないとでも言わんばかりに白骨はそう呟くと、徐々に生まれた時からがらんどうの眼窩に灯る意思の光が消えていき、やがて白骨は眠るように思考を緩やかにした。
白骨は眠ることはできないが、まどろむことぐらいはできる。そっと、遠くの景色を眺めるように、彼は思考の海に再び意識を沈めていった。
人間とは観測者である。
世界は人間が観測――見聞きしたり、存在を認知したり、絵や何かを通して存在する事、あるいは存在するかもしれないことを認識しない限り――存在せず、進行せず、いつか忘却される。
存在しないとは、人間が認識していない存在は存在しないのと同じということであり、もし仮に、座る、立つ、walk、run、үсрэхといった動作のうち、理解できないものがあったとすれば、それがその人間の認識の外にあるということだ。これは、今聞き覚えのあった言葉を、読んだ人間が別の言語に置き換えることが不可能である場合とは、逆のプロセスによって言及できないものであるといえる。あるいは、言語という認識によって定義されていない存在はその枠から零れ落ちるように、人間に認識されていなものは定義されないとでもいうべきか。
進行しないとは状態が変化しないということであり、雨粒は空中に制止し、雲は漂うことを止めて凍りつく。場所によっては太陽も月も廻らないが、外界から観測者が入った場合、外との辻褄を合わせるために、時間帯や季節に変化が起こる場合すらある。いわば、進行が一時停止している状態であり、観測者によって再び時間という法則にとらわれても、内部の存在が急速に劣化および老化する事はない。もっとも、やってきた観測者が過去にその地点に来たことがあれば状況は変わるが……。
忘却されるとは、あらゆる人間が知らない存在が事実上否定されるという事で、裏を返せば認識されることを認識する事によって存在が認識されるようになるという、ある種の入れ子構造となっている。かつて滅びた機械文明が隆盛を極めた時分は、あらゆる者共が忘却の果てに消滅の危機に陥っていた。平たく言うと、『存在しないと認識されている・あるいは認識すらされていない存在は、存在しないのと同じ』なのである。
『役割』により、観測者として規定されている人間は、白骨のように老いない身体を持ってはいないが、彼らよりも余程世の中の理にかかわりを持っている。
現象系と呼ばれる一部の道具と組み合わせれば、面白いことができそうである。
(まあ、こういった事は“理”や“箱庭”が好く話題であるのぉ。儂は、人間にしろ者共にしろ、最期には――)
軋んだ音を立てて、牢獄に繋がる扉が開いた。
「?」
「クカッ?」
笑い声を上げて余裕を演出しようとした白骨は、その隙間から見えた姿に一瞬だけ、身動きを止めた。
「……」
「クカカカカカカ!!」
「ッ!!」
それは逃げて行った。
きらびやかな長い金糸の髪と仕立ての良い薄い青色の服。一目で十歳もいかぬ子供とわかる身長に、白骨は柄にもなく少し落ち込んだ。思わず揶揄ってしまったが、もしかしたら太った男や禿げた男のような者ではなく、本当に悪意のない子供だったのかもしれないと思うと、控えめに言って大人げない。
(今度、詫びに――何をやれば良いのかな)
旧知の友の一人に気まぐれで気難しい獣がいたことを思い出しながら、こういう時によくあの獣が良く分からない精神構造によって、機嫌が戻っても当面の間は、不機嫌そうにふるまっていたことを思い出す。
(“幻燈”の奴なら、なんといったかの、青い肌の魚肉を好いておったの)
白骨は食を嗜めぬ身なれど、食を通じた幸福というものを獣は教えてくれた。
そんなことを懐かしく思っていると、再び扉が開いた。
「さて、今日こそ話してもらうぞ? 古代の英知というものを」
それは先ほどの太った男とは別の老人であり、しかし、毎日顔を合わせている人物であるため、白骨はややげんなりとしながらも再び揶揄うために笑みを浮かべた。