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桜の鬼の満開の下 1-4

 最近とある鬼の少女は、桜の木の下ではなく、村のとある家屋の中で過ごす時間が多くなった。

 家屋には材木こそ一般的だが少々細工が凝った清潔なベッドと、傍らに同様の椅子や机があった。水差し代わりの桶は、一時(いっとき)村の唯一の人間が凝った曲げ物で作られており、その持ち手には清潔な布がかけられている。

 椅子に座っている少女は、ベッドの上に寝ている男性の寝顔を見ながら、時折穏やかに笑っている。


「……ならぬ」


 最近、少女は男性の寝顔を見ながらそう呟くことが多かった。


「しかし、なぜ人間だけに、寿命(・・)が……」


役割(ロロ)』を持つ者共は、皆、寿命を持っていない。

 一つの例外である観測者を除いて。


 少女は調べつくせるだけ調べて、彼を救う方法を探した。

 しかしそのどれもが、彼を人間ではない何かにすることだった。

 人魚の肉を食えば不老となる、竜の骨を砕いた薬を飲めば長寿が得られるなどの言い伝えはあれど、『役割(ロロ)』に記されていない以上、眉唾であるし、敵を作ってしまえば男性が穏やかに余生を過ごせないかも知れない。


 様々な苦悩を抱える少女に、青年であった男性は笑顔を向けて何度も宥めたが、日に日に起きている時間は短くなり、時折うなされて変なうわ言を呟くようになった。


「くぅぅぅ、ふ、うう……」


 少女は嗚咽を漏らす。

 この原因を知っていて、取り除くことができない。

 人間であった頃、時折年長者に見られたそれは、回避することができないのだ。






 ――寿命。






 人間はいつか死ぬ。彼は人間である。ゆえに彼はいつか死ぬ。


 これを覆す方法を少女は身をもって知っているが、実行するつもりはなかった。少女が好いていた男性は、きっと空に止まってしまった桜の花弁でも、常に浮かぶ月でもなく、こうして過去のものになってしまうかもしれない――だからこそ大切にしていた――喪失という恐怖の上にあった幸福だった。


(握り飯ももう、喰わぬようになって久しいのぅ)


 人間に寿命がある理由については、様々な説がある。


 “同じ演劇を同じ観客が見ても、飽きるだけだ。演劇を正当に評価するには、常に新しい観客が必要である”

 “何らかの『規律(レギュロ)』に抵触した結果、『反動(レコノ)』によって生じたものなのでは?”

 “『役割(ロロ)』により規定されるか、『反動(レコノ)』で書き換えられなければ寿命の無い我々こそが異常なのである”

 “観測者は他者とともに自己を常に観測しているが故、常に前へと進む自己言及の特異点”

 “そう在るべくそう在る。論ずる価値もない”


 しかし、これらの議論に一つの欠落を少女は感じていた。

 人間以外の『役割(ロロ)』を持つ誰もが、寿命を他人事(・・・)としてとらえているのだ。ゆえに、少女は先の“演劇”という言葉に対してこう反論する。


 “我らが演劇の演者であるのなら、幕を引くのは一体誰ぞ?”


 陳腐な演劇に飽きた観客は席を立つ。

 あるいは、かつて機械文明が発達していた頃ならば、いくらでも別の演劇を見ることができたし、見たくない演劇や演者を自らの一覧表(リスト)から削除することができた。

 そこに、鬼のような不確かな怪異が存在し続けることはできるのだろうか。

 未来に者共の存在する余地は、果たして残っているのだろうか。


 こういう暗い思考の底に行き着いたときは、いつも男性がそれとなく助けてくれたが、今そこまで求めるのは酷だろう。

 風が雨戸を叩き、雲が動くのを確認して、少女は男性ベッドに腰かけて顔を見降ろした。


「……おはよう」

「おはよう。今日は昨日より暖かいから、過ごしやすいじゃろ」

「そうだね。それにしても、君は不思議と僕が起きる時間がわかるんだねぇ」

「違うぞ、常に見降ろして――」


 少女は思わず目から零れ落ちそうになったものを見上げた。鬼の『役割(ロロ)』には、幸いにして睡眠や今こらえたそれに対する決まりごとはない。目に関する制約がある『役割(ロロ)』は案外多いので、幸いだと少女は現実逃避しながら、そんな話を男性とした過去を少し思い出していた。

 見上げた視界は不思議とぼやけているが、何とかもう一度、男性の顔を見た。


「すまんな、こう……我は人食い鬼であるからして、よだれが垂れてしまいそうになったのじゃ」

「はは、懐かしいねぇ」


 男性は首元を撫でて、そこにわずかに残る凹凸を嬉しそうになぞった。


「今日も桜は咲いているかい?」

「うむ、見に行くのじゃ」

「その前に、今日は少し食べたいな」


 少女は嬉しそうにうなずくと、盃を取り出した。中には、白く濁ったとろみのある液体があった。ほとんど米も、味も無い粥である。


「食べさせてほしいかの?」

「そうだねぇ」

「素直なのはいいことじゃ。今日は贅沢にちょっとだけ梅干しを――入れておるのじゃ」


 器が陶磁器ではなく、漆器であった事に少女は感謝する。

 きっと、手の震えが伝わって、カチャカチャと小うるさい音が鳴っただろうから。


「相変わらず美味しいね」

「そうじゃろう」


 味覚を失った少女には、男性が感じた幸福はわからなかった。

 しかし、言いようのない暖かさは伝わった。


「それじゃあ、行こうか」

「うむ、まだ昼間じゃが、今夜も月が奇麗じゃろうて」

「それは、楽しみだ」


 少女はある種の確信を抱きながら、彼に肩を貸しながら、桜の木の下に歩いて行った。


 少女は鬼であり、その『役割(ロロ)』には悪いものを象徴する事が含まれていた。

 そして、鬼の中には、荒天や死に連なる者がいる。特に、死に連なる鬼はあの世で人間とかかわりを持つ種族である。

 それらに近しい鬼の少女には、ここに至って見えてしまっていた。


(今日、なのじゃな)


 桜の下には鬼が棲む。桜の下には死人がいる。なんと酔狂な戯言(たわごと)か。

 桜の木はかつて少年が見上げていたころに比べて、なお遜色なく咲き誇っている。


「ううむ、きれーな(サクラ)だねぇ」

「……お主、酒でも飲んだのか? 滑舌が悪くなっておるぞ」

「いやぁ、ごめんね。盃で粥なんて食べたせいかなぁ」

「言っておくが、酒で炊いたりしておらんからな。一般的な粥じゃ」

「うん、ありがとう」

「……何がじゃ?」

「なんとなく」

「何じゃそれは」

「きっと、これ以上はないんだろうねぇ」

「……」

「ねえ、最期に――」

「そんなこと言うでない!!」


 それは二度目だった。

 一度目は男性が青年だったころ、村から一日いなくなった時の事で。


「す、すまないのじゃ! 急にその――」


 男性は両手で少女の手を握る。


 少年の手は少女と同じかやや大きく、少しだけ肌が荒れていたが若々しかった。

 青年の手は少女より大きく、細工事に凝ってからは常に爪を短くしていた。

 そして、男性の手は。


「……相変わらず、あったかいのぅ」


 筋張っていて細長く、握る力も雪が手に積もるようだ。しかし、確かにそこにある。


「落ち着いて」


 大事な話をする時、青年はよくこうしていた。


「ごめんね、でもお願いしたいことがあるんだ」

「……なんじゃ?」

「君にしか、出来ないことだ」

「何なのじゃ一体?」

「実は……」


 男性は神妙にうなずくと、彼女の手を少しだけ強く握りしめると、続ける。

 その内容はどうしようもない事に、少女にしかできない事だった。


「分かったのじゃ」


 それから、少女と男性はこれまでの事を色々と振り返るように会話を続けた。

 二人がともに過ごした時間は長く、重ねた会話の中には二人にしかわからない冗談や皮肉が混ざっていて、きっと傍から聞いていた者がいても、時折首を傾げていただろう。


 男性は少年だったころ、ややずれた価値観をしていて、よく少女を困惑させていたが、そのずれがほほえましく、新鮮でだった。鬼の少女を恐れない姿は愚かに映る事もあったが、二人がこうやって過ごしてこれたのは偏に少年のこの気質によるものだろう。

 青年となった男性は、相変わらず少し変わったところはあったが、物事の本質を見通すような鋭いところが時折あって、少女を揶揄(からか)うほどに、したたかに成長していた。一人で村を出るなど、無謀なところは変わっていなかったが、いつしか二人にとってもう一方がなくてはならない存在になっていた。




 そして、男性は今日を迎えた。

 いつしか夜になっていた。




 少女の膝を枕にして空を見上げていた男性は、既に動かなくなっていた。

 桜の花びらは空中に静止し、盃を傾けた少女のもとに降り落ちることはない。


「……実感が湧かぬものじゃの」


 盃に映った月を飲み干すように、少女は一気に酒をあおった。






 §






 少女は遠くから桜の木を見上げていた。

 既に桜の花びらが空中に静止して久しい。


 男性の最期の望みを叶え、気持ちに整理をつけた少女は旅に出ることにした。


 彼女自身、知己の者共に久方ぶりに会いたいと思ったこともあるが、静止した桜の木の下に棲んでいると、男性の事を常に思い出してしまうため、辛いものがあったからだ。

 何より、どういう訳だか桜の木を見上げる事で、そういった感傷が生じることを男性は見抜いていたらしく、最期の場所、そして男性が眠る場所として桜の木の下を望んだのだ。これでは、ここにいる限り男性が生きていた頃の残照に悩まされる。


 そして、それは男性からの嫌がらせや浅慮のためでは無論なく、少女にここから旅立つようにうながすつもりがあったのだと、少女は理解できた。

 広い世界を知ることは、ついぞ、男性が望んでいてできない事だったから。


(とりあえず、竜の爺でも探すとするかの)


 刀を片手に村を出た少女は、最も古い友人を探すことをひとまずの旅の目的と定めた。

 進むべき道さえ決まっていれば、もう迷うことはない。少女は最後に一度だけ、桜が咲き誇る村を振り返った。


「さよならじゃ――!!?」


 その時だった。

 静止していたはずの、桜の花弁が再び散り始めたのは。


 ほんの一瞬だけ、少女は男性が生きていたのかと夢想するが、すぐさまそんな訳がないと気が付いた。なにせ、最期を看取り、葬ったのは少女自身であるのだから。

 少女が少しだけ悲し気な顔をしながら周囲の気配を探ると、どうやら何者かが近くまで来ているらしかった。急速に、風や木々の葉擦れの音が世界に波紋のように広がっていく。世界が色づいていくようだ。


 少女はほんの数分の努力で、一人の子供を村の近くで見つけた。年恰好はかつて少年を見つけた時とほとんど同じだが、どうやら、山菜取りに来ているらしかった。様子を見るとずいぶん疲弊している。道に迷ってここまで来たようだ。


「えっ」


 少女が観察しているうちに、子供は少女の姿を認めた。そして、はじめは迷子の末にようやく人を見つけたことに安堵して近づいてきたが、少女の角や手にする刀をみて、即座に表情を恐怖に染めた。


「……」


 それは、少女にとって今でも鮮明に思い出せる情景であり、もう戻らない過去との鮮やかな対比だった。

 少女を受け入れた少年は、堕ちた竜を斬った少女をこそ恐怖したが、その容姿を恐れたことは一度もなかったのだから。


「ふふふ、我は人食い鬼じゃ! 童め、逃げぬと喰ろうてやるぞ!!」


 刀を引き抜き、二三の木々を薙ぎ払って脅すと、子供は悲鳴を上げて逃げて行った。


「村に帰ったら伝えよ! この山には人喰いの鬼が棲んでおるとな!!」


 道がふさがるようにいくつかの木々を断ち、ついでに概ね最寄りの集落の方向に子供の逃げる方向を誘導しつつ、しばらく少女は子供を追いかけた。

 やがて、桜が見えなくなるほど遠くまで来たことに気が付くと、山道に沿って歩き始めた。


「許せよ。今すぐは酷じゃ。しばらく――今しばらくは彼奴(あやつ)を静かに眠らせてやってくれ。桜の木の下には、既に鬼は居らぬがの」


鬼と人間の少年の物語はここまでです。

別のキャラクターになりますが続きが書ければ、またアップします。


感想等いただけると励みになります。

お読みいただきありがとうございました。


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[一言] 面白くて九話まで一気読みとなりました。 鬼の話は切なくて良いですね。
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