第五話
僅かに残る鮮やかな橙色を覆うように広がる、薄墨をこぼしたかのような闇。空はとっくに日が暮れていた。
生暖かい風が吹き抜け、火照った体を丁度いい具合に冷ます。それと同時に張り詰めていた緊張の糸もほぐれる。
永遠に続くと思える螺旋階段をひたすら降り続けて数十分。ようやく私達はこの塔から出ることができた。
疲れた。しばらくこうして風に当たっていよう。
本当は守護者がいつ戻ってくるか分からないこの状況で、こうしてのんびりするわけにはいかないのだけど、かといってすぐに動く気分にはなれなかった。体の疲労に加えて魔力の使いすぎによる頭痛が原因だ。
幸い守護者がすぐ戻ってくるような気配はない。もしかしたら今日中には戻ってこないかもしれない。
今はこの状況に甘えさせてもらおう。
ライルも私と同じことを思っているのか隣で立ち尽くしたまま動かない。
しばらく静寂の時が流れた。
「ねぇ、エリシア。君は知ってるかい?今ここに守護者がいない理由を。」
突然ライルが口を開いた。顔は私の方を向いているはずだが、薄闇に褐色の肌が同化しているため表情は読み取れず、クリアブルーの瞳だけが妖しく光って見える。
「さあ、知らない。知るわけないでしょそんなこと。」
守護者ではない私が彼らがここにいない理由など知る由もない。
「ふふっ。じゃあ教えてあげようか。」
ライルは言った。顔は見えないけど多分彼は今得意気な顔をしているはずだ。何となくだがそれが分かる。
「じゃあ教えて。本当に知ってるっていうのならね。」
私だって知らないのにましてや彼が知っているとは到底思えないのだが。それでも話題自体には興味はあるから、本当に知っているのなら是非教えてもらいたい。
「本来大いなる星の遺産を守るべき守護者達がここにいない理由。それはね、この世界が終わりを迎えようとしているからだよ。」
はぁ、少しでも期待した私が馬鹿だった。あまりに突拍子もなく、そして下らない答えに私は肩を落とした。
「あのさ、知らないからってそんな適当なこと言っても全然面白くないから。」
「適当じゃないよ。本当のことだよ。」
「本当のこと、ですって?そんなわけないでしょう、どう見てもこの世界が終わりかけているようには見えないし、それに第一、世界の終わりと守護者がこの場所に居ないのとどういう関係があるのよ。」
「いくら大いなる星の遺産を守ったところでこの世界そのものが終わってしまうようであれば、無意味だよね。だから彼等は大いなる星の遺産を守るよりも、終わりかけたこの世界を救うことを優先したのさ。」
確かにそう考えれば一応筋は通る。しかし、だからといって納得できるかといえばそうではない。
「なるほどね。でも、それって本当にこの世界が終わろうとしているっていうことが前提の話よね。それが事実かどうかはっきりしない以上結局その説はあなたの突飛な想像に過ぎないわ。」
「いや、突飛な想像ではなく事実だよ。だってこの目で直接見たからね、この世界を終わりへと導く原因を。」
「原因をこの目で直接見た、ですって?はぁ、よくそんな嘘つけるね。」
「嘘じゃないよ。本当だよ。」
「だったら証拠見せてよ。世界が終わるっていう証拠をさ。」
「いいよ。」
ライルは何故か自信たっぶりに答えた。
「おー、言ったね。じゃあもし嘘だったらサンフリードの全メニュー驕ってもらうからね。」
「サンフリード?」
「ああ、私の行きつけの喫茶店。あそこの料理、全部店長の自作でどれもすっごく美味しいの。」
「なるほど。分かった。いいよそれで。」
「えっ、いいの!!やったっ。」
ただなんとなく言ってみただけだったんだけど。まあいいか、相手がその気なら。
「ただし、これでは僕に何のメリットもないから、僕からも条件を付けさせてもらうよ。」
「いいわよ。何?」
そこでライルは大きく息を吸い込んでから言った。
「もし僕が証拠を見せることができたら、君には僕のエルフィーネ探しの旅に付き合ってもらう!!」
「・・・・・・・・・・いいわよ。」
どうせ嘘だろうし、私は軽い気持ちで答えた。
「ふふっ、楽しみだね。それじゃあ明日ね。今日はもう遅いからこの辺で帰るとするよ。」
「あっ、ちょっと待って!!そんなこと言って逃げるつもりじゃないでしょーね?」
私は去ろうとするライルの腕をギュッと掴んだ。
「逃げたりしないよ。こう見えて約束はきちんと守る人間だからね。流石に今から行くわけにはいかないでしょ。こんな時間だし。場所と時間を決めてくれたら明日必ず連れてってあげるよ。」
「そうねぇ、そこまで言うなら明日にしましょうか。」
確かに彼の言う通り、今からまたどこかへ行くのは気が引ける。それによく考えたらそんな気力も体力も残っていない。
待ち合わせ場所の喫茶サンフリードの場所と集合時間をライルに伝えた後、私達は解散した。
「あ~あ、いいの~あんな約束しちゃって。どうなっても知らないわよ~。」
去りゆくライルの背中をボーッと眺めているとふいに左肩から声がした。
ライルとの会話に夢中で彼女の存在を完全に忘れていた私はまたしても驚く羽目になった。
「うわっびっくりした。いいのよどうせあんなの嘘に決まってるんだから。明日には嘘でした
ごめんなさいって謝ってくるわよ。」
「そうだといいんだけどね。なーんか妙に自信あったのが気になるのよねぇ。」
「なぁにルミエナ、あなたまさかあんな戯れ言を信じるつもり?」
「いや、そういうわけじゃないけど・・・もしものことがあったらと思って心配しただけ。」
「大丈夫よ。普通に考えてこの世界が終わるなんて絶対にあり得ないから。ただ引っ込みがつかなくなっただけでしょ。それより喜んで。明日はサンフリードのメニュー全て食べられるんだよ。私の長年の夢がようやく叶うんだよ。嬉しぃ~。」
「私は食べられないけどね。まあいいわ、契約主がどうなろうとウィカである私はそれに従うだけだから。」
ルミエナはライルという少年がサンフリードの全メニューを奢れるだけのお金があるのか心配になった。
「それより寮の門限とっくに過ぎちゃってるけど大丈夫なの?」
「大丈夫よ。私が学園では優等生って言われてるの知ってるでしょ?外の図書館で勉強してたらいつの間にか時間が経ってましたって言えばいいのよ。1度くらいなら許してくれるはずよ。」
「そう上手くいくかしら?」
「大丈夫。きっと上手くいくわよ。」
ルミエナの心配を余所に、薄闇の中を私は意気揚々と帰った。
軽い気持ちでした彼との約束がまさか、果てしない旅の始まりになるとはこの時の私は露にも思っていなかった。