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どんな理由で呼び出されているのかわからない。できることなら帰りたい。空になった巨大なリュックサックは何も入っていないはずなのに足取りを重たくする。いつもなら絶対に関わる会うことのないデスク側からの呼び出しが気分を重たくする。


(いったい何の用で俺を呼んだんだよ)


今は仕事終わりの真昼頃、デスクワークを中心にしている連中が三々五々お気に入りの店に入るころ合いを見計らって俺は2階の編集室の扉をたたく。普段中にいない人間が顔を合わせると不審がられるうえに、この格好と臭いで必ず煙たがられる。こんな生活が3か月も続けば当たり前だが、それでも避けられるのなら避けたいところだ。


「すみません。マリーさんという方から呼ばれてきました。マリーさんはどちらですか?」


ドアの前で大声を上げても誰も返事がない。入りたくないからそうしているのに気づいていないのだろうか。

不安で恥ずかしいからこの方法をとっているのにわざと入るまで居留守を使う気なのだろうか?


(返事がないならこのまま帰ろうか)


ドアの前で、返事がないことにやきもきしながら考え事をすると不安が大きくなる。帰りたいと思う気持ちと何をしているんだと考えいらだつ自分、そしてこのまま帰ったら会社を首になるかもしれないと不安になる自分。3人の自分が俺の体にまとわりつくように動けなくしている。


「お前何しているんだ」


男がドアの前で突っ立っている俺に不審な奴といわんばかりの顔を向ける。お昼を仲間より早めに済ませて戻ってきたのだろう。ドアの前グダグダとしていたから鉢合わせしてしまった。


「えぇ・・、マリーさんっ・・という方から呼び出されていると、ガトーさんからっ・・言われてきました。」


下手に考えて何も言わないよりもここに来たい理由を伝えたほうがいい。失敗しても言い訳が効く。冷や汗をかき、心拍数が急上昇するのを感じる。今世紀最大級の緊張と闘いながらなんとかやり切った。


「マリーのやつに用って、いつものやつかな。とにかく中に入れよ」


「・・・はい・・・」


促されるまま編集室の扉が開く。両手両足を一緒に動かす俺を見て顔を隠すように笑っていたのを背中越しに見えたが気にしないようにした。


「フフフっ・・とにかくここに座って待ってろ。マリーのやつを呼んでくる。」


ねぐらにおいてある埃とカビだらけでスプリングが緩んで使い物にならないものとは比べ物にならないと破格の違う来客用のソファからの感触が心地よく、スプリングが効いているから座り心地も最高。明らかにもてなされる対象であるという事実、いつもと違う環境が余計に俺のことを混乱させる。破格の待遇、普段合わない人物、そのすべてに圧倒され、混乱している。


(わざわざもてなしてまで俺を呼び出した理由はなんだ・・・)


混乱の中、カップを運ぶ音ともに一人の女性が衝立の奥からこちらに来るのが見えた。眼鏡をかけた美人第一印象がそんな感じのオレンジ色のセーターにジーンズをはいて、髪を後ろでまとめた一人の女性が俺の座っているソファの目の前で軽くお辞儀をすると微笑み、俺の目の前に座る。


「急なお願いにもかかわらずお越しいただきありがとうございます。私はユーストリア日報専属記者兼編集マンとして籍を置きます、マリー=デレシアと申します。本日は初めてお会いする方に不躾なお願いしたく、お呼びいたしました。」

 

 「初めまっっして、俺っ、私は、わたくしはカズマとっ申します。」


自分の緊張が初対面の美女に対してのものなのか、経験のないことにおびえているせいなのか、それとも編集室に入った時からぐるぐると頭の中を支配する妄想のせいなのかわからなくなっている。手先の震えが止まらず、舌が回らない。緊張が緊張を大きくし、目の前にいる女性の言葉がうわごとのように聞こえる。どうしてこうなったか自分でも把握できない。


「要件をお話の前に、お茶請けのお菓子とお茶を口になさってはいかがですか。どちらも私のお気に入りな  んです」


「はいっ、いただきますっ。」


その瞬間、飛び上がるような大声で返事をしてしまった。ガトーの親父からこの3か月みっちり叩き込まれた動作が極限の緊張状態で無意識にやってしまった。入口の戸を閉めた女性記者と思われる女性が肩をすくめてこちらを見たとき、やってしまったという感想と珍獣を見たようなマリーさんの表情が一瞬、俺の視界に入った。


「慣れない場所で緊張していらっしゃるんですね。ゆっくりと座ってください。大丈夫ですよ。私も新人の  頃は緊張恣意な性格で言い間違えや余計なことを言ってしまって編集長から何度も叱られました。」


緊張をほぐそうとしている気遣いが自分の心に深々と刺さる。コスモスの花が咲いているような笑顔を向けられていることが自分の過ちの大きさを何度も確認するようでとても居心地が悪い。普段なら絶対に座る機会のないソファは極上の座り心地を与えてくれていたはずなのに、お尻の感覚は何度座りなおしても戻ってこない。


 「それで、今回お願いしたい内容はお使いなんです。」


 「へっ?」


できうる限り、最悪なパターンを想像していたカズマは全くの別方向からの話題に頭が付いていけず、本日2回目の顰蹙を買ってしまうのだった。

 


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