間接的な依頼
育てている唐辛子に水をやる。つい一ヶ月ほど前からこれを寝起きに行うのが日課になっている。
ペペロンチーノが好物の俺は、近所の花屋で思いつきで購入した唐辛子の種を蒔いてから、毎朝欠かさずに水をあげていた。
これが意外と性に合ったらしい、日に日に育って行く姿を見るのがとても楽しい。
俺の苗は白く綺麗な花をちらほらと纏い始めていた。こんな花のあとに、悶えるほど辛い刺激物が実るのというのだから不思議である。隠していた本性が現れるといったところなのだろうか。
この花がもうすぐ散ってしまうことに寂しさはあるが、自分で栽培した唐辛子で作るペペロンチーノに興味があった。
ジョウロ代わりのペットボトルが空になったので、ベコベコベコベコと鳴らして遊びながら、テーブルに置いてあるノートパソコンの電源をつけた。
かなり古い型なので、起動までには時間がかかる。カカカッ、ガーっというパソコンの寝起き文句を聴きながら、水で適当に顔を洗い、コーヒーを淹れ、一昨日購入した食パンを1枚とって何もつけずに頬張った。
朝には水やりをした後にパソコンを起動するが、それ以外では電源をつけない。ここにメールで送られてくる依頼以外に仕事はないのだが、悲しいことにあまり依頼がくるものでもない。しかし今日は珍しい日のようだった。
「娘を助けてもらえませんか」
どうせ今日も暇だろう、と懸賞つきのパズル雑誌に手を伸ばしていたが、メールに驚き動きが止まった。
だがここで手を止めてしまうのもなんだかメールに負けたような気がして、栞がわりにボールペンを挟んでいたページを開いて1問だけ解いてやった。
よしっ、と自分の中で何かに対して勝利を収めたので、コーヒーを口に含み余韻に浸る。独り暮らしが長いと、このように自分で自分を楽しませるバリエーションが増えるのだ。
そんな時、ガチャガチャと玄関の方から物音がしたと思えば、やる気のない挨拶を繰り出しながら迫田玲奈が家に入ってきた。
彼女とは一緒に仕事をするようになって4ヶ月になる。当初は若い女性と共に働くことに緊張があったが、こちらの下手な気遣いを読み取ってくれたのだろうか、玲奈ちゃんの明るさに緊張は解されていき、今では彼女の人柄がどこまで良いのか検証をするために悪戯ができるくらい仲がいい。と思っている。
先日はこっそりと靴の左右を入れ替えてみたのだが、後日、玄関の俺の傘が骨の部分を外側にした状態で畳まれていた。少し酷い仕返しかとも思うが一体全体どうやったのだろう。
「おはよう。今日はかなり早いね。」
俺は平静を装ってズボンを履き始める。パンツ一枚の状態だったが慌てる必要は決してない、連絡もなしにいつもより早くに現れた彼女が悪いのだ。ここで慌てるようであれば彼女に負けた気がする。
「ええと、朝まで遊んでいたんですけど、眠ると起きれないだろなーって思いまして。」
ああ、そのせいか、いつもはふわふわのボブヘアが今はワカメが張り付いたようになっている。
「メールも珍しく入ってましたし、やることパパッとやってチャチャっと上がらせていただこうかと。」
玲奈ちゃんは徹夜とは思えないハキハキとしたいつもの口調で退社願望を伝えると、福永さんが寝ていたら朝食くらい用意しましたよ。といたずらっぽく付け加えた。
「ふうん、終業時間はメールによるけどさ、もし俺が寝ていた時は何を作ってくれたの?」
ほんの少しだけ気になる。が、その献立は俺のせいで知ることは出来なかった。
「はやく上着を着てください。このまま急ぐ素ぶりを見せないのであればセクハラで訴えます。」
ここに来るまでずっと飲んでいたのだろう。彼女の方からもやーっと酒の臭さが漂ってきた。