泡沫に消え
いつもの浜辺には人ならざる娘が横たわっている。
燦々と輝く太陽の麓、空の蒼、海の碧が描く弧が遥か遠くに広がっている。強い日差しを受けて、生白い彼女の細腕は僕の目を焦がす。
彼女は僕を一目見るなり、祖父の名を呼んだ。
「……アデル?アデルなの?」
知らない者からいきなり知った名を聞いたので、一瞬、狼狽した。僕はあわてて首を横に振る。彼女はクリスタルのような雫を降り注がせながら、伏せがちに睫毛をしばたいた。藍色よりもなお深い、哀を湛えた瞳は虚ろだった。
「あなたは、祖父をご存じなのですか」
「……ええ、昔のことだけれど」
彼女は震える腕をつっかえに、無理矢理起き上がった。思わず肩を支える。彼女はそれを見て、一層の絶望に囚われたように見えた。僕はまた、あわてて手を離す。彼女は小声で、僕に謝罪した。
「私は、高慢だったの」
彼女は潮騒に尋ねられて、語り出す。
「愛が手に入る確証なんて、まるでなかったのに……私は、アデルに愛を乞う事を選んだ。そして、勝手に、裏切られてしまったの」
押し寄せる小波が彼女を責めたてる。
「私はその現実を、拒絶した。魔女に言われるがまま、私は──他の人と結ばれたアデルを、刺し殺してしまった」
入道雲が光を遮る。溺れそうなほど重く、粘着質な空気が辺りに流込む。
彼女は腕で体を支えていられなくなり、再び、砂浜に背を預けた。唇には、一秒毎に蒼が差し込んでくる。僕は彼女の手を握った。ヒヤリと冷たかった。
「アデルの孫、どうか、どうか私の懺悔を彼に伝えてください。私は、ようやく気づいた。愛は有限で、心を、荒波に押し流そうとする」
彼女の喉から、ヒュウヒュウと息が漏れる。打ち上げられた死魚のように口をパクパクさせ、顔を苦悶に歪めて、彼女は懺悔する。哀の目は、しだいに銀砂色に溶けていく。
震える指で、彼女は髪飾りを外した。溢れる緋色の艶髪の合間から、美しい巻き貝が現れる。
「これを、彼の墓標に供えてください。これは、彼の慈しみ。私には持っている権利などない、愛の証です」
貝がそっと、膝元の砂にうずめられた。貝から手が離れた瞬間、彼女はその瞳を閉じる。
「最後まで、我儘なまま。でも、どうか、どうかお願いね──」
人魚姫は凍りつく。美しいまま、眠りにつく。さも、世界で一番幸せだと言わんばかりの、安らかな顔で横たわる。
僕は夏の浜辺に、暫く取り残された。全てを背負った貝殻が、ぽつり、僕の膝元で肩を震わせている。