夢ではない
いくら考えても何かがわかるものでもなく、貴樹は結局、例の小瓶に水を詰めて中身のすり替えを終えた。
とはいえ、ただの水だとさすがに怪しまれるかもしれないので、父親のウィスキーをほんのちょびっとだけ、それぞれまぜておく。
なぜならあのクソッタレ薬品の味としては、ちょっと味見したことがある、ウィスキーが一番近いような気がしたからだ。
もちろん、瑠衣が間違っても酔わないよう、ほんの少し入れただけだ。
それでも結構、味的に自分が飲んだ本物の薬に近くなった気がするので、まあいいだろう。
そして、やはり貴樹は自分になんらかの変化が起きていることを、自覚せざるを得なくなった。
あの嬉し恥ずかしの夢のことは置いて、なぜか部屋の中がいつもと違って見えるのである。
しばらく棒立ちで天井を見つめて考え込んだ挙げ句、貴樹はようやく思い至った。
「もしかしてこれ、空気の流れか?」
推測を確かめるため、早速部屋の窓を開けてみた。
すると、今までまったりと対流していた室内の微かな動きが、よりはっきりと見えるようになった。
「ビンゴだ! やっぱこれ、空気というか大気の動きだな」
おおっと思い、ちょっと嬉しくなったが……問題は、それがどうしたってことだろう。
大気の流れが見える=魔力がつきましたという話にはならない気がする。
貴樹は腕組みして考え込んだが、そのうちお向かいのベランダから胡散臭い目でおばさんがこっちをみてるのに気付き、慌てて窓を閉めた。
まあ……そのうちわかるだろう。
とはいえ、よいことばかりではない。
瑠衣が帰るまでに、もう一つ気付いたことがある。
つまりその……異様に身体がダルくなっている。
最初はあの夢のせいでそうそう意識しなかったが、階段を上がるのにも息切れしている自分に気付き、ぞっとした。
試しに手を上げてみると、微妙に痛いし、また持ち上げるのが辛い。
なめらかに回っていた関節が、突然錆び付いたような感覚だった。
「……この年で四十肩とか、やめてくれ」
さっきとは別の意味で嫌な汗をかいたが、幸い夕方になる頃には、かなり改善された。
全快――とまではいかないが、「まあ少しダルいかも」程度には戻っただろう。
だがおそらく、目に見えないダメージが蓄積したのは、間違いない気がする。あのファッキンな謎薬の飲用を続ければ寝たきりになるというのは、おそらくマジだ!
「も、もう薬を飲まなくて済みますように」
貴樹は生まれて初めて、本気で神に祈った。
来たらまた自分が飲んでしまう気がして、本気で怖かったのだ。
「ただいま、帰りました」
鍵を外す音がして、瑠衣の綺麗な声がした。
「お兄様、お加減はいかがですか?」
「お、おお……もうだいぶいいよ」
貴樹は慎重に階段を下り、玄関口で靴を脱ぐ瑠衣に微笑みかける。
セーラ服の瑠衣は、いつもにも増して輝いて見えた……というか、見とれて注視していると、なんと本当に輝いていた。
「ま、マジか!」
少し金色がかかった瑠衣の後光をみて、貴樹は仰け反りそうになった。
焦って自分の掌を見たが、なんと自分の身体も少し光っている。まあ、瑠衣の輝きに比べたら、全然ショボいが。
「なんだこれ……」
「お兄様?」
廊下に上がってきた瑠衣が、心配そうに貴樹の顔を覗き込んできた。
目が合った貴樹はあえて深呼吸して、弱々しく笑ってやる……すると、意識を逸らしたのがよかったのか、瑠衣の全身を覆っていた淡い光が消えた。もちろん、自分のも。
「よ、よかったぁ」
「なにがでしょう?」
「ああ、いやっ。具合がよくなったから、よかったってね」
ははは、と乾いた声で笑う。
瑠衣は小首を傾げたが、結局釣られて微笑んだ。
「お加減がいいようなら、瑠衣も安心しました……今晩は、お兄様の大好きな肉じゃがにしましょうね。完全に治りますように」
買い物袋を持ち上げる瑠衣に、貴樹は破顔してみせる。
「それは嬉しいなあ」
もちろん、内心では大いに心配していた。
こんな調子で、俺は大丈夫なのか。
ヤバい感じの侵攻実験とやらまで、もうそんなに時間もないってのに。
和気藹々(わきあいあい)と晩ご飯を済ませた。
こんな気分じゃ、さして食えないだろうなと思った貴樹だが、身体は正直なもので、二度もお代わりした挙げ句、肉じゃがも全部ぺろりと食べてしまった。
むしろ、笑った瑠衣が、自分のまで分けてくれたほどだ。
食事のお陰で、ダルさはかなりマシになったが、でもやはり全快というわけにはいかなかった。微妙に継続中であり、動くのが気怠い。
「……ヤバいよなあ、俺」
自室に戻った貴樹は勉強机の椅子に座り、頭を抱える。
そのまましばらく悩んでいたが、瑠衣の部屋から派手な物音がしたので、ぱっと顔を上げた。
慌てて廊下に出て見ると、部屋のドアが少し開いている。
さして迷いもせずに覗くと――瑠衣が本棚にもたれかかって、例の小瓶を眺めていた……目を見開いて。あと、小瓶は既に空である。
(ああ、すり替えたアレを飲んだわけな)
納得して部屋に戻った。まあ美味くないのは事実だが、貴樹が飲んだ本物と違い、特に害もない。心配はいらないだろう。
――そう思って、部屋に戻ったのだが。
また座り込んだ貴樹の耳に、微かなノックの音がした。
返事をする前にドアが開き、瑠衣が入ってきた……どっかで見たような半裸の姿で。
「ええっ!?」
貴樹は思わず椅子から腰が浮いた。
光沢のある群青色のブラとショーツに、ブラウスひっかけただけの姿……これはまさに、夢で見たのと同じじゃないか。
「貴樹さん……瑠衣のこと、どう思います?」
夢と全く同じ掠れた声で、瑠衣が言う。