ワンマン呪術者
決死の覚悟で感染者まみれの拠点を脱出したグレンは、当然ながら、そこから一番近い他の拠点を目指して逃げ込んだ。
同じ秋葉原近辺でも、そこは侵入された場所よりさらに駅に近い。
しかも、なぜか中央通り沿いにある、不動産会社ビルの二十階という、意味不明な場所にあった。
普通ならいかにも感染者にすぐに占領されそうなところだし、正直に言えば、グレンもそこだけは避けたかった。
現時点で、もう感染者がビル中にうようよいても不思議はない。
走っていけるような場所に他の拠点があれば、そっちを選んだはずだ。
しかし後はもう、どう考えても無事にたどり着けないような遠方ばかりである。
問題の二十階にはまだ電気が灯っていたし、ひょっとしたら無事に機能している可能性もある。というか、そう信じるしかない。
もう銃も弾切れ間近だし、他へ走って行くような余裕はないのだ。
ところがである――問題のビル内に駆け込むと、なぜかその中は全く静かなもので、感染者はおろか、死体の一つも転がっていなかった。
入り口は鍵も掛かっていないので、誰でもホールに走り込めるはずなのに、なぜか街路をうろつくあの連中は、誰もこちらに近付かない。
首を傾げながらも、グレンは一応、エレベーターを試すと、普通にちゃんと動いている!
先程から有り得ないことばかりが続いている気がするが、とにかくもう息が上がっているし、拠点である限りは、なにか侵入されない仕掛けでもあるのかもしれない。
そう思うことにして、そのままエレベーターで二十階に上がってみた。
情報通りなら、今現在はそのフロア全部が、王国軍の拠点になっているはずなのだ。
……ところが、エレベーターのケージが開いた途端、グレンはここだけが妙に静かだった理由を、完璧に理解してしまった。
フロアの窓寄りの一画には、事務用のデスクをたくさん集めた前に女の子が立っていて、なにやら鼻歌を歌いながら透過パネルのようなものを操作している。
黒いビスチェとタイトミニという格好だが、一応マントだけは羽織っていた。
その周囲には拘束された王国軍の兵士が、大勢固まっている。とはいえ、隅の方に、兵士の死体もゴロゴロしていたが。
「……あっ」
とっさに相手の正体がわかったグレンは、もちろん、エレベーターに戻ろうとした。
外がいかに危険とはいえ、ここにいるあいつほどではないのだっ。
だがあいにく、時既に遅しらしい。
「こらっ、逃げないでよ!」
などと背後から声がした途端、グレンの足は己の意志とは別に、頑として動かなくなった。
むしろ「こっちへ来なさい!」という命令に従い、彼女が待ち構えるデスクまで足早に急ぐ始末である。
「み、ミレーヌ・シャリエール……殿」
白目の部分までうっすらと赤く染まった瞳を見て、グレンはぞっとした。
よりにもよって、このろくでもない騒ぎの張本人の居場所に逃げ込むとは。
「お一人様ご案内~……て、あんた、誰? この拠点の人じゃないわよね? 軍服着てないし」
今笑っていたのに、もう目が冷ややかになっている。
ツインテールの純白の髪をうるさそうに払い、ミレーヌが足早に近付く。
グレンとしても逃げたいのだが、どうしても足が動かない。
「はい、制限時間は五秒。なぜここに来たのか、簡潔に述べなさい。黙秘と嘘は、即死亡だから。もちろん、太るって意味じゃないわよ? カウントダウン、今からねっ。5、4、3、2――」
「他の拠点から逃げて来たんですよっ。偶然です!」
口でカウントダウンする相手に、慌てて告げた。
「――1! チーン……時間です。一応、嘘じゃないみたいね」
肩をすくめたミレーヌは、机に戻って引き出しから手錠を出すと、それを投げて寄越した。
「自分で後ろ手に手錠して」
「だ、誰がっ」
そう答えたのに、グレンはきっちり手錠を受け取り、いそいそと言われた通りにした。
早速、両手が塞がってしまった。
そう言えば、彼女の後ろの方で座らされている兵士達も、全員が無念そうである。大方、似たように操られたらしい。
ミレーヌはそれでもうグレンへの関心を失ったのか、また事務机の上に幾つも浮かぶ透過スクリーンを見て、ニヤニヤし始めた。
「あらあら、挑戦者も割といたんだけど、どんどんどんどん減っていくわねー。みーんな感染して脱落していくぅう。それか、特製の強キャラに当たって死んじゃうかねー」
画面上の光点を見て、あははと気楽に笑っている。
言われてみれば、確かに光点がマップ上にまばらにあるが、グレンが見ている間にも、ポツポツと消え始めている。死ぬか感染したか、どちらかなのだろう。
グレンとて、別に自分が善人だと思ったことなどないが、この子のやり方はどうも気に食わない。
おまけに、自分もたった今、死にもの狂いで感染者達から逃げてきたところだ。一言文句を言わないと、気が済まなかった。
「いいんですか、ミレーヌ殿。ここまで本国の命令を無視すると、遠からずあんたにも抹殺命令が出ますよ!」
振り向いたミレーヌは、くすっと笑った。
「ユー、アンテナ低いわね! そんなんじゃ、テレビ東京も映らないわよっ」
いきなりびしっと指差された。
「既にその命令は王家の名の下に出てるのよねぇ。何時間も前にねっ。陛下が激怒しているらしいのも、知ってますとも。でも、今の陛下はお尻に火がついているから、それどころじゃないと思うわぁ」
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